ひくい腰かけ
座った人の高さで、見ていた

朗読で聴く
第一章 駄菓子屋
七十になった。
島根の、出雲に近い小さな町で、駄菓子屋をやってきた。
二十六で嫁いできて、夫の母から店を継いだ。
それから四十四年になる。
夫は、七年前に死んだ。
息子は、松江で働いている。
店は、家の土間を半分使っただけの、小さな店だ。
ガラスの入れ物に、ラムネやあめや、ふ菓子がならんでいる。
帳場の机は、ふつうの店より、ずっと低い。
継いだ年に、夫にたのんで、脚を半分に切ってもらった。
机の上は、ちょうど子どもの胸の高さになった。
子どもは、背のびをしなくても、ガラスの入れ物の中をのぞける。
お金を置くのも、おつりを受け取るのも、自分の手の高さでできる。
わたしは、その奥の、足の短い木の腰かけに座っている。
座ると、わたしの目は、小学一年生の目と、ちょうどおなじ高さになる。
客は、ほとんどが子どもだ。
子どもが入ってくると、わたしは、座ったまま、いらっしゃい、と言う。
大人が来ても、座ったまま、いらっしゃい、と言う。
四十四年、店に出ているあいだ、わたしは、ほとんど立たなかった。
夫の母は、立って客をむかえる人だった。
背の高い人で、帳場のうしろに立つと、店じゅうが見わたせた。
でも、子どもたちは、夫の母の前では、いつも小さくなっていた。
第二章 無作法な人
夫には、よく言われた。
大人の客が来たら、立つもんだ。
座ったままじゃ、失礼だろう。
わたしは、はい、と言って、それでも座っていた。
なぜ立たないのか、自分でもうまく言えなかった。
ただ、立つと、子どもの顔が、ずっと下のほうに行ってしまう気がした。
町の人には、無作法な人だと言われた。
座ったまま客をむかえる、行儀の悪い駄菓子屋。
子どもに甘い、商売が下手だ、とも言われた。
実際、子どもが十円足りなくても、わたしは、だまってあめを渡した。
店は、もうかったことが一度も無い。
一度、町内会長が、店に来たことがある。
祭りの寄付をたのみに来たのに、わたしは、座ったまま話を聞いた。
会長は、帰りぎわに、夫に言った。
おたくの奥さんは、頭が高いね。
座っているのに頭が高いと言われて、わたしは、少しおかしかった。
でも、その年から、寄付の話は、夫のほうにだけ来るようになった。
夫の母も、亡くなる前に、ため息をついた。
あんたは、いつまでたっても、店の主人の顔にならないね。
わたしも、自分は、人の上に立てない人間なのだと思ってきた。
第三章 誠くん
三十六年前の春、一年生の男の子が、店に来るようになった。
誠くんといった。
誠くんは、言葉がつかえる子だった。
ら、ら、ら、と、最初の音のところで、何度も、とまってしまう。
はじめて来た日、誠くんのうしろに、大人の客が一人立っていた。
大人は、早くしなさい、と、上から言った。
誠くんは、まっかになって、何も買わずに出ていった。
次の日、誠くんは、店の戸の外に立っていた。
わたしは、腰かけに座ったまま、待った。
誠くんは、しばらくして、入ってきた。
わたしの目と、誠くんの目が、おなじ高さにあった。
ら、ら、ら、と、誠くんは言った。
わたしは、何も言わずに、誠くんの目を見て、待った。
三分くらい、かかったと思う。
ラムネ。
誠くんは、そう言って、少し笑った。
それから、誠くんは、毎日、学校の帰りに来た。
ほかの大人がいるときは、外で待っていた。
だれもいなくなってから入ってきて、わたしの前で、ゆっくり話した。
学校で何があったか、犬が子どもを産んだこと、算数がきらいなこと。
つかえても、わたしは、一度も先回りして言わなかった。
ほかの子が来て、誠くんをからかったことがある。
ら、ら、ら、とまねをして、笑った。
わたしは、その子にも、誠くんにするのとおなじように、座ったまま待った。
その子が、何を買うのか言うまで、だまって、目を見て待った。
その子は、なんだかきまりが悪そうに、あめを一つ買って、出ていった。
それから、店では、だれも、誠くんのまねをしなくなった。
店に来る子はみんな、だれかが話しおわるまで、待つようになった。
誠くんは、歌をうたうときだけは、一度もつかえなかった。
ときどき、ラムネを飲みながら、学校で習った歌を、小さな声でうたって帰った。
誠くんは、六年生まで、毎日来た。
中学に上がる春、家族で広島へ引っ越していった。
第四章 誠さんの話
今年の秋、店を閉めることにした。
ひざが、腰かけから立ち上がるのに、もう耐えられなくなった。
最後の日の夕方、店の戸が開いた。
背の高い男の人が、入口に立っていた。
誠さんだった。
四十三になっていた。
誠さんは、わたしの前まで来ると、土間に、しゃがんだ。
目が、おなじ高さになった。
ぼく、あのころ、大人の顔を見るのがこわかったんです。
大人の顔は、いつも、ずっと上のほうにあって、上から言葉が落ちてきた。
早くしなさい、何が言いたいの、もう一回、ゆっくり。
上から言われると、のどが、きゅっと閉まりました。
でも、ここだけは、ちがいました。
あのおばあちゃんだけ、目が、おなじ高さにあったんです。
だから、ここでは、話せた。
ほかの子たちが、ぼくが話しおわるまで待ってくれたのも、ここだけでした。
あれは、おばあちゃんが、そうしていたからだと思います。
ここで話せたから、ほかのところでも、少しずつ話せるようになったんです。
誠さんは、いま、広島の病院で、言語聴覚士をしているという。
言葉がつかえる子どもの、話す練習を手伝う仕事です。
子どもと話すときは、いつも、ひくい椅子に座ります。
ぼくの目が、子どもの目とおなじ高さになるように。
ここで、教わったんです。
第五章 立たなかった人
その夜、店の奥で、一人で座っていた。
四十四年、無作法な人だと言われてきた。
座ったまま客をむかえる、店の主人の顔にならない人。
それは、本当のことだと思う。
でも、立たなかったから、誠くんは、わたしの前で話すことができた。
立っていたら、わたしの顔も、上から言葉を落とす大人の顔になっていた。
夫の母のことを思い出した。
あんたは、いつまでたっても、店の主人の顔にならないね。
あの人は、亡くなる少し前、病院のベッドで、わたしに言った。
寝ていると、立っている人の顔は、こわいものだね。
あんたが座ってくれると、ほっとするよ。
夫のことも、思い出した。
大人の客が来たら、立つもんだ。
でも、帳場の机の脚を切ってくれたのは、夫だった。
息子に電話をすると、息子は、しばらく黙っていた。
それから、言った。
母さんの店、ぼくも、友だちを連れていくのが自慢だったんだ。
あそこのおばちゃんは、ぼくらとおなじ高さにいるんだぞって。
エピローグ
冬のはじめ、誠さんから、写真が一枚届いた。
病院の、小さな部屋の写真だった。
低い机と、足の短い椅子が、二つならんでいた。
どちらの椅子も、おなじ高さだった。
わたしは、その写真を、店だったところの、低い机の上に立てた。
そして、足の短い腰かけに座って、しばらく、それを見ていた。
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