名札のない手袋
名前は、入れなかった

朗読で聴く
第一章 待合所の箱
七十一になった。
北海道の、雪の深い小さな町に住んでいる。
駅前に、バスの待合所がある。
木のベンチが二つと、古い石油ストーブが一つあるだけの、小さな小屋だ。
その入口のわきに、段ボールの箱が一つ置いてある。
冬になると、わたしは、その箱に手袋を入れてきた。
毛糸で編んだ、ミトンの手袋だ。
三十一の冬から、四十年になる。
毎年、秋から編みはじめて、雪が降ると、箱に入れる。
大人の大きさも、子どもの小さいのも、ひと冬に二十組ほど。
毛糸は、町の手芸屋で、いちばん安い太い毛糸を買う。
色は、紺か、灰色か、こげ茶。
だれがはめても目立たない色にしている。
親指の付け根だけは、二重に編む。
雪かきをすると、そこからすり切れるからだ。
箱には、何も書いていない。
手袋にも、名札は付けていない。
わたしが編んだことを知っている人は、町にほとんどいない。
はじめたのは、母の言葉があったからだ。
母も、冬になると、だれかのために手袋を編む人だった。
子どものころ、母に聞いたことがある。
この手袋は、だれのものなの。
母は、編み針を動かしながら、言った。
手袋は、手が冷たい人のものだよ。
第二章 地味な人
夫は、六年前に死んだ。
娘は、旭川で看護師をしている。
生きていたころ、夫は、ときどき言った。
名前くらい、入れたらどうだ。
だれが編んだか、わからんじゃないか。
せっかく編んだのに、礼も言われんぞ。
わたしは、うなずくだけで、名前は入れなかった。
なぜ入れないのか、自分でもうまく言えなかった。
ただ、名札を付けると、手袋が少し重くなる気がした。
町の人には、地味な人だと言われた。
自分を出さない、何を考えているかわからない人。
寄り合いでも、いつも隅に座って、黙って茶をいれていた。
婦人会の役員をすすめられても、断った。
前に立つのは、どうしても苦手だった。
ある年、町の広報の人が、待合所の手袋のことを聞きつけた。
だれが置いているのか、記事にしたいという。
わたしは、知らないふりをした。
次の冬も、その次の冬も、何も言わずに箱に入れた。
人の役に立ちたいというより、ただ、編むのが好きだった。
そう思うと、自分は、ずいぶんつまらない人間に思えた。
第三章 浩二くん
三十五年前の冬、待合所に、一人の男の子が来るようになった。
九つくらいの、やせた子だった。
毎朝、町はずれの小学校へ行くバスを、ここで待っていた。
浩二くんといった。
母親が家を出ていって、父親と二人で暮らしていると聞いた。
父親は、仕事をなくして、昼から酒を飲んでいるという。
浩二くんは、雪の中を、素手で歩いてきた。
手は、まっかにふくれていた。
ある朝、わたしは、自分の手袋をはずして、さし出した。
浩二くんは、首を横にふった。
いらねえ。
人から物をもらうなって、父ちゃんが言うから。
そう言って、手をポケットにつっこんで、外へ出ていった。
次の朝、わたしは、子どもの大きさの手袋を一組、箱に入れた。
そして、待合所には入らず、向かいの店の窓から見ていた。
浩二くんは、だれもいないのをたしかめてから、箱をのぞいた。
しばらく、手袋を見ていた。
それから、すばやく取って、ポケットに入れた。
バスが来るころには、その手袋をはめていた。
それから毎年、わたしは、浩二くんの大きさの手袋を、一組ずつ入れた。
手が大きくなるたびに、少しずつ大きく編んだ。
浩二くんは、いつも、だれもいないときに取っていった。
二年目の冬、浩二くんの手袋の親指に、穴があいていた。
次の朝、わたしは、親指を三重にした手袋を入れた。
その冬、一度だけ、浩二くんの父親が待合所に来たことがある。
浩二くんの手から手袋をはずして、これはどこで取ったと聞いた。
浩二くんは、箱を指さして、拾った、と言った。
父親は、箱をのぞいて、だれのだ、とつぶやいた。
だれのだか、わからなかった。
父親は、しばらく手袋を持っていたが、だまって浩二くんの手に戻した。
中学を出た春、浩二くんは、札幌へ働きに出たと聞いた。
それから、浩二くんの大きさの手袋は、取られずに残るようになった。
第四章 浩二さんの話
今年の冬、手袋を入れるのを最後にすることにした。
指が、編み針を思うように動かせなくなった。
最後の手袋を箱に入れた朝、待合所に、一人の男の人が立っていた。
浩二さんだった。
四十四になっていた。
箱の中の手袋を、じっと見ていた。
この手袋、あなたが編んでいたんですね。
ずっと、だれが置いているのか、知りたかったんです。
去年、町に帰ってきた人に聞いて、やっとわかりました。
浩二さんは、箱の前にしゃがんで、言った。
あのころ、ぼくは、人から何かもらうのが、いちばんいやでした。
もらったら、頭を下げなきゃいけない。
頭を下げたら、父ちゃんに、なさけないって殴られる。
でも、この箱の手袋には、名前が無かった。
だれのものでもなかったから、だれにも頭を下げなくてよかった。
名前が無かったから、ぼくは取れたんです。
名前が入っていたら、きっと、一度も取れなかった。
父ちゃんも、返す相手がいないから、取りあげられなかったんです。
親指のところが、いつも厚かったのを、覚えています。
あの手袋が無かったら、ぼくの指は、たぶん、どこかでだめになっていました。
浩二さんは、いま、札幌で、子ども食堂をやっているという。
来る子には、名前を書かせません。
食べ物をくれる人の名前も、張り出さないんです。
だれのでもないご飯だから、子どもは、だまって食べられる。
あの箱から、教わったんです。
第五章 手が冷たい人
その夜、ストーブの前で、一人で座っていた。
四十年、地味な人だと言われてきた。
自分を出さない、何を考えているかわからない人。
それは、本当のことだと思う。
でも、名前を入れなかったから、浩二くんは、手袋を取ることができた。
わたしの名前は、あの子にとっては、重い荷物になるところだった。
母の言葉を思い出した。
手袋は、手が冷たい人のものだよ。
あれは、編んだ人のものではない、という意味だったのだと思う。
夫のことも、思い出した。
名前くらい、入れたらどうだ。
夫は、死ぬ前の冬、病院のベッドで、わたしの編んだ手袋をはめていた。
これは、おまえのだって、すぐわかる。
名前なんか、入っていなくてもな。
そう言って、少し笑った。
娘に電話をすると、娘は、しばらく黙っていた。
それから、言った。
お母さんの手袋、わたしも、学校で友だちにあげたことあるよ。
だれが編んだのって聞かれて、知らないって言ったの。
エピローグ
春のはじめ、浩二さんから、小さな包みが届いた。
札幌の子ども食堂の写真が一枚、入っていた。
入口のわきに、段ボールの箱が一つ置いてある。
箱には、何も書いていない。
中には、いろいろな色の手袋が、名札も付けずに入っていた。
わたしは、写真を台所の壁に張って、編み針を一本だけ、出してみた。
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