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おなじ字

輪郭は、ぶれなかった

おなじ字

朗読で聴く

第一章 窓口

六十五になった。

茨城の、霞ヶ浦に近い小さな町の郵便局で、窓口に座ってきた。

二十二で入って、四十三年になる。

この春で、やめることになった。

夫は、三年前に死んだ。

娘は、東京で働いている。

窓口の仕事は、毎日、おなじことのくり返しだ。

切手を売り、荷物の重さをはかり、お金を預かり、書類を受けつける。

わたしは、四十三年、おなじ言葉で、おなじ順番で、それをやってきた。

いらっしゃいませ。

お預かりします。

こちらに、お名前をお願いします。

ありがとうございました。

字を書くときは、いつも、一画ずつ、ゆっくり書いた。

とめるところはとめ、はねるところははねる。

小学校で習ったとおりの、楷書だ。

急いでいる日も、混んでいる日も、字の形を、くずしたことは無い。

くずすと、読みまちがえる人が出る。

郵便は、字がまちがっていたら、届かない。

はじめて窓口に座った日に、局長に、そう教えられた。

第二章 機械みたい

窓口に来る人に、冗談を言われても、わたしは、うまく笑えなかった。

お天気の話をされても、そうですね、としか言えなかった。

あの人、機械みたいね。

お役所みたい。

そう言われているのは、知っていた。

若い局員たちは、わたしの字を見て、印刷したみたい、と笑った。

いまどき、そんなにきちんと書かなくても、とも言われた。

夫にも、言われたことがある。

おまえの字は、年賀状の字まで、窓口の字だな。

夫は、笑っていた。

わたしも、少し笑った。

でも、ほんとうは、少しさみしかった。

ほかの書き方を、知らなかった。

やわらかい字も、くだけた言葉も、わたしの中から、出てこなかった。

つまらない人間だと、自分でも思っていた。

人の役に立っているのは、字が読みやすいことぐらいだと思っていた。

第三章 マリアさん

二十年前の春、一人の若い女の人が、窓口に来た。

フィリピンから、町の農家に嫁いできた人で、マリアさんといった。

二十四だった。

フィリピンのお母さんに、お金と手紙を送りたい、という。

でも、国際郵便の伝票が、書けなかった。

日本語は、まだ少ししか話せず、字は、ほとんど読めなかった。

わたしは、伝票を、代わりに書いた。

マリアさんが、紙に書いてきた住所を、一字ずつ、写していく。

いつものように、一画ずつ、ゆっくり。

マリアさんは、わたしのペンの先を、じっと見ていた。

それから、毎月、マリアさんは来た。

わたしは、毎月、おなじ伝票に、おなじ順番で、おなじ字を書いた。

送り主の欄には、マリアさんの日本の住所と、名前を書いた。

中身の欄には、手紙、と書いた。

半年ほどたった月に、わたしは、母の看病で、一週間、休みをもらった。

その週に、マリアさんが来たらしい。

代わりに座った若い局員が、伝票を書いた。

急いでいたのか、少しくずした、走るような字だったという。

次の月、マリアさんは、その控えを持って、わたしの窓口に来た。

何か言いたそうに、控えを指でさしたけれど、言葉が出てこなかった。

わたしは、何も聞かずに、いつものように、伝票を書いた。

マリアさんは、わたしのペンの先を、いつもより長く見ていた。

一年ほどたったころ、マリアさんは、伝票を書いて持ってくるようになった。

ぎこちないけれど、わたしの字に、よく似た形だった。

わたしは、何も言わずに受けつけた。

それから四年、マリアさんは、毎月、自分で書いた伝票を持ってきた。

字は、月ごとに、少しずつ、なめらかになっていった。

五年目の秋、マリアさんは、夫の仕事の都合で、別の町に引っ越していった。

最後の日、窓口で、小さく頭を下げた。

わたしは、いつものように、ありがとうございました、とだけ言った。

第四章 手本

窓口をやめる日の夕方、局の外で、マリアさんが待っていた。

四十四になっていた。

手に、古い伝票の控えを、たくさん持っていた。

あの五年分の、毎月の控えだった。

ゴムでたばねて、角がすりきれていた。

マリアさんは、きれいな日本語で話した。

わたしは、あのころ、日本語の字が、全部、おなじに見えました。

どこで線が終わって、どこから次の字なのかも、わからなかった。

でも、あなたの字は、毎月、少しもちがいませんでした。

毎月、おなじ形だったから、まねできたんです。

字を、絵のように、形で覚えました。

もし、月によって形がちがっていたら、わたしは、どれをまねしたらいいか、わからなかったと思います。

あなたが休んだ週の控えを、覚えていますか。

あの字を見たとき、わたし、泣きそうになりました。

また全部、わからなくなったと思ったんです。

次の月、あなたの字が、前とおなじ形で戻ってきて、ほんとうに、ほっとしました。

あの字が、わたしの、日本で最初の地図でした。

フィリピンのお母さんは、去年、亡くなったという。

母は、わたしの手紙を、全部、箱にしまっていました。

封筒の宛名の字が、毎月おなじ形だったんです。

だから、村の郵便屋さんも、近所の人も、また日本の娘さんからだね、とすぐにわかった。

そして、走って届けてくれたそうです。

母は、字は読めなかったけれど、あの形を見ると、わたしの手紙だとわかった、と言っていました。

マリアさんは、いま、町の公民館で、外国から来た人に、日本語を教えているという。

最初の授業では、いつも、この控えを見せるんです。

この字を、手本にしています。

一画ずつ、ゆっくり書けば、ちゃんと届く字になる、と教えています。

わたしは、控えの束を、手に取った。

自分の字が、五年分、並んでいた。

どれも、ほんとうに、おなじ形をしていた。

第五章 くずさなかった字

その夜、台所のテーブルで、控えを一枚ずつ、めくった。

四十三年、機械みたいだと言われてきた。

つまらない、面白みがない、お役所みたいだ。

それは、そのとおりだと思う。

でも、わたしの字が、毎月、くずれなかったから、マリアさんは、まねできた。

形がぶれていたら、手本にはならなかった。

局長の言葉を、思い出した。

郵便は、字がまちがっていたら、届かない。

わたしの字は、手紙を届けただけではなかった。

一人の人に、字の形そのものを、届けていた。

夫の年賀状のことも、思い出した。

夫は、毎年、わたしに、宛名を書いてくれと頼んだ。

おまえの字なら、どこへ出しても、まちがいなく届くからな。

笑われていたのだと、ずっと思っていた。

たぶん、そうではなかった。

娘に電話をすると、娘は言った。

お母さんの字、小学校のとき、先生にほめられたのよ。

わたし、あれをまねして、字を覚えたんだから。

エピローグ

夏に、マリアさんの公民館へ行った。

十人ほどの人が、机に向かって、ペンを持っていた。

黒板には、わたしの字をまねた、大きな字が書いてあった。

わたしは、いちばんうしろの机に座った。

そして、マリアさんに言われて、ひらがなを一つ、黒板に書いた。

一画ずつ、ゆっくり。

四十三年、くずさなかった形で。

ソウルミッション358

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