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ひとつの明かり

一つだけを、彫りつくした

ひとつの明かり

第一章 岬の灯台

七十五になった。

アメリカの西の海ぞい、オレゴン州の、小さな港の町に住んでいる。

町の北の岬に、白い小さな灯台が一つ立っている。

わたしは、二十五のときに、灯台守の夫ウォルトと結婚して、灯台の下の家に住むようになった。

ウォルトは、八年前に死んだ。

息子が一人、ポートランドで働いている。

灯台のてっぺんには、大きなガラスのレンズが一つある。

何十枚ものガラスの輪が重なった、古いレンズだ。

その真ん中に明かりを置くと、レンズが光を集めて、遠い海まで届ける。

わたしは、五十年、そのレンズだけを磨いてきた。

毎朝、九十八段の階段を上って、柔らかい布で、ガラスの輪を一枚ずつふく。

潮の白い粉を落とし、虫のあとをふき、指のあとを残さないように。

一回に、二時間かかる。

それを、五十年、一日も休まなかった。

磨き方は、ウォルトの父に教わった。

その人も、この灯台の灯台守だった。

ガラスは、上から下へ、一方向にだけふく。

往復させると、細かい傷がつく。

一枚のガラスの輪を、ふき終わるまで、次の輪にさわらない。

結婚した年の夏、わたしは、それだけを、毎日、何十回も言われた。

第二章 古いガラスの女

灯台の明かりが、機械で自動につくようになったのは、三十年前だった。

灯台守の仕事は、なくなった。

ウォルトは、町の船の修理工場で働くようになった。

わたしは、灯台の手入れを、町からたのまれて、続けた。

明かりは機械がつけるが、レンズを磨く人はいなかった。

町の人には、よく言われた。

あの人は、いまでも古いガラスを磨いている。

ほかに、することがないのかね。

息子にも、言われたことがある。

母さんは、あのレンズのことしか考えていない。

息子の学校の行事にも、わたしは、ほとんど行かなかった。

朝は、レンズを磨く時間だったからだ。

ウォルトにも、言われた。

おまえは、ひとつのことしかできないんだな。

わたしは、自分を、ひとつのことしかできない、不器用な女だと思っていた。

料理も、庭の手入れも、町の集まりも、どれもうまくできなかった。

ただ、ガラスの輪を、一枚ずつ、ふいていただけだ。

ある冬、足首をひねって、一週間、歩けなかったことがある。

それでも、わたしは、手すりにつかまって、九十八段を上った。

一段上るたびに、足首が痛んだ。

ウォルトは、あきれて、何も言わなかった。

その日も、レンズは、二時間かけて、すみずみまでふいた。

第三章 霧の夜

三十六年前の秋の夜、海に、濃い霧が出た。

港の漁船が、一そう、戻ってこなかった。

夜の十時、港から灯台に電話があった。

ハンセンさんの船が、まだ戻らない。十の娘も乗っている。

灯台守のウォルトは、明かりがちゃんとついているかを確かめに、階段を上った。

わたしも、あとから上った。

明かりは、ついていた。

でも、霧が、レンズのまわりにまで、白くまとわりついていた。

わたしは、布を持って、レンズの外のガラスを、何度もふいた。

ふいても、ふいても、霧は、またガラスにつく。

わたしは、朝まで、ふきつづけた。

夜中の二時ごろ、港の方から、船の汽笛が、小さく聞こえた。

ハンセンさんの船が、岬の明かりを見つけて、港に戻ってきたのだった。

朝、港に下りていくと、毛布にくるまった女の子が、父親のとなりに座っていた。

ノラ、という子だった。

女の子は、灯台のほうを、じっと見ていた。

次の日、ハンセンさんが、大きな魚を一匹、家に持ってきた。

ハンセンさんは、玄関で、帽子を取って、ウォルトに頭を下げた。

ウォルトは、ガラスをふいたのは、こいつだ、とわたしを指さした。

ハンセンさんは、何も言わずに、わたしの手を、しばらくにぎっていた。

手は、まだ、布の繊維で少しざらざらしていた。

第四章 ノラの話

この春、町から、知らせが来た。

灯台の古いレンズを外して、新しい小さな電気の明かりに替えることになったという。

古いレンズは、町の博物館に移すのだという。

五月のある日、灯台の下の家に、一人の女の人が来た。

四十六になった、ノラだった。

いまは、港の水先案内人をしているという。

大きな船に乗りこんで、せまい港の入り口まで、船を案内する仕事だ。

霧の夜は、灯台の光だけを頼りに、何万トンもの船を、港の口まで連れていくのだという。

ノラは、灯台を見上げながら言った。

あの夜のこと、ずっと、覚えているんです。

霧で、父の手も見えないくらいでした。

父は、もうだめかもしれないって、わたしを抱いていました。

そのとき、霧の向こうに、ひとつだけ、光が見えたんです。

ぼんやりじゃなくて、針の先みたいに、はっきりと。

あの光だけは、霧の中でもはっきり見えたんです。

ノラは、少し笑った。

水先案内人になってから、いろんな灯台を見ました。

でも、霧の夜に、あんなにはっきり見える明かりは、ほかになかった。

あのレンズが、いつも、すみずみまで磨いてあったからだと思います。

町の会議で、レンズを残してほしいって、話します。

わたしは、何も言えなかった。

岬の向こうで、海が、春の光を受けていた。

第五章 ガラスの輪

その夜、わたしは、灯台のてっぺんの部屋に、一人で座っていた。

五十年、わたしは、自分を、ひとつのことしかできない、不器用な女だと思ってきた。

古いガラスを磨くことしか、できない、と。

でも、そうではなかったのかもしれない。

ほかのことは、何もしなかった。

ひとつのレンズの、ガラスの輪を、一枚ずつ、すみずみまで、磨きつくした。

だから、霧の夜にも、あの光は、針の先のように、はっきりと届いた。

あれこれと手を出していたら、レンズには、少しずつ、くもりが残っていただろう。

ウォルトのことを、思い出した。

おまえは、ひとつのことしかできないんだな。

そう言っていたウォルトが、死ぬ前の冬、ベッドから窓の外の灯台を見て、言った。

あの明かりは、おまえの明かりだな。

あのときは、何と答えればいいか、わからなかった。

ウォルトの父の言葉も、思い出した。

一枚の輪を、ふき終わるまで、次の輪にさわらない。

あの人も、ひとつのことしかできないと笑われながら、この明かりを守っていたのだ。

息子から、電話があった。

町の会議のことを、ノラさんから聞いたという。

母さんのレンズ、ぼくも、残してほしいと思う。

息子は、そう言って、少しだまった。

小さいころ、夜、目がさめると、いつも窓の外で、あの光がまわっていた。

あれがあると、こわくなかったんだ。

エピローグ

夏のおわり、町の会議で、レンズは、灯台に残すことに決まった。

新しい電気の明かりは、そのレンズの真ん中に置くことになった。

次の朝、わたしは、いつものように、九十八段の階段を上った。

柔らかい布で、ガラスの輪を、一枚ずつふいた。

窓の外の海に、霧は出ていなかった。

それでも、わたしは、いちばん下の輪まで、ふきつくした。

レンズの真ん中で、新しい小さな明かりが、静かに光っていた。

ソウルミッション358

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