草の中の道
踏み固められていた

朗読で聴く
第一章 草原の家
七十七になった。
アメリカの真ん中、ネブラスカ州の、広い草原の中の農家に住んでいる。
まわりは、見わたすかぎり、草と空しかない。
妻のヘレンと二人で、とうもろこしと牛を育ててきた。
息子が一人、デンバーで働いている。
うちから、東へ一マイル、歩いて二十分ほどのところに、もう一軒、家がある。
あいだには、腰の高さまでのびる草原が広がっている。
わたしは、四十のときから、毎日、夕方になると、その家まで歩いた。
七十でやめるまで、三十年。
夕方の仕事を終えると、牛乳をびんに入れて、草の中を歩いていく。
同じところを通り、いつもの、さくのすきまをくぐり、同じ小さな丘をこえる。
帰りも、同じところを通って、戻ってくる。
草は、わたしの足の幅だけ、倒れたまま、起き上がらなくなった。
土は、かたく、平らになった。
夏になると、空から見たら、草原に、一本の細い線が見えただろう。
春は、ぬかるんだ土に、長靴のあとがならんだ。
秋は、かわいた草が、足の下で、かさかさと鳴った。
冬は、雪の上に、自分の足あとを、毎日もう一度、踏みなおした。
どの季節も、同じ二十分だった。
第二章 暇な男
東の家には、マーサという年寄りの女の人が、一人で住んでいた。
夫に先立たれ、子どもたちは、みんな町へ出ていた。
はじめは、うちの牛乳を届けるためだった。
それから、毎日、なんとなく、顔を見に行くようになった。
話すのは、天気と、牛と、とうもろこしのことだけだった。
しばらくいて、また、同じところを通って帰った。
町の人には、よく笑われた。
あんたは、毎日、草の中を往復して、暇な男だね。
マーサの子どもたちにも、言われたことがある。
母のことは、わたしたちが見ますから、そんなに来なくていいですよ。
ヘレンにも、からかわれた。
あなたは、そのうち、草原にみぞを掘ってしまうわね。
わたしは、自分を、同じことばかりしている、気のきかない男だと思っていた。
毎日、同じ道を行って、同じ話をして、同じ道を帰ってくるだけ。
何かを変えたことも、助けたことも、一度もない、と。
牛乳なら、町の店でも買える。
わたしが行かなくても、マーサは、たぶん、困らなかった。
一度、ひどい腰痛で、一週間、寝こんだ夏がある。
八日目に、杖をついて草原に出ると、道は、もう、のびた草にかくれかけていた。
わたしは、草を踏みながら、少しずつ、道を探した。
マーサは、ポーチで、何も言わずに、牛乳を受け取った。
第三章 トム
三十二年前の秋、マーサの家に、男の子が来た。
マーサの孫で、八つのトムという子だった。
両親が町で働けなくなって、しばらく、おばあさんのところで暮らすことになったのだという。
トムは、はじめ、だれとも口をきかなかった。
夕方、わたしが牛乳を届けに行くと、ポーチのすみに座って、じっと草原を見ていた。
ある日、わたしは、トムを、帰り道の途中まで連れて歩いた。
ここを通るんだ。草が倒れているところを。
ほかのところは、穴やへびがいるかもしれないからな。
トムは、わたしのうしろを、同じところを踏んで、ついてきた。
それから、トムは、ときどき、わたしの家まで遊びに来るようになった。
いつも、同じ道を通って。
二年たった冬の夜、雪が降っていた。
夜中の一時ごろ、うちの戸を、だれかが、はげしくたたいた。
戸を開けると、トムが、パジャマの上に上着を一枚、はおって、立っていた。
十になったばかりだった。
ばあちゃんが、たおれた。
わたしは、トラックでマーサの家まで走り、マーサを町の病院へ運んだ。
心臓の発作だった。
あと一時間おそかったら、助からなかったと、医者は言った。
マーサは、それから十年、生きた。
トムは、十八で、町の大学に入るまで、マーサの家で暮らした。
マーサが死んだのは、それから十年たった冬だった。
マーサの家は、空き家になった。
それでも、わたしは、七十になるまで、夕方になると、あの家まで歩いた。
窓が割れていないか、屋根がはがれていないか、見て回るためだった。
ほんとうは、ほかに理由があったのかもしれない。
足が、夕方になると、勝手に東を向いた。
第四章 トムの話
この春、うちの前に、一台の車が止まった。
降りてきたのは、四十になった、トムだった。
いまは、郡の救急車に乗って、遠くの農家まで、急病人を迎えに行く仕事をしているという。
マーサの古い家を買いもどして、こっちに戻ってくるのだと言った。
トムは、ポーチに座って、東の草原を見ながら言った。
あの夜のこと、ずっと考えていたんです。
真っ暗で、雪が降っていて、前が何も見えなかった。
でも、足の下に、かたいところがあった。
おじさんが毎日歩いた道だけは、雪の下でも、かたかった。
そこから足がはずれると、ひざまで沈んだ。
だから、かたいところを、足でさがしながら走ったんです。
暗くても、あの道だけは、足がわかったんです。
トムは、少し笑った。
救急車の仕事を選んだのも、あの夜のせいだと思います。
あの道がなかったら、ぼくは、たぶん、草原で迷っていた。
ぼく、いまの仕事で、夜中に、知らない農家へ向かうことがあるんです。
道のない牧草地を、懐中電灯一本で歩くこともある。
そういうとき、いつも、足の下のかたいところをさがしてしまう。
わたしは、何も言えなかった。
夕日が、東の草原を、赤く照らしていた。
草の中に、まだ、うっすらと、一本の線が見えた。
第五章 足の下
その夜、わたしは、台所の机に、長いあいだ座っていた。
三十年、わたしは、自分を、同じことばかりしている男だと思ってきた。
毎日、同じ道を行って、帰ってくるだけ、と。
でも、そうではなかったのかもしれない。
同じところを、毎日、踏んだ。
だから、草が倒れ、土がかたくなり、雪の下にも、道が残った。
暗い夜に、十の子どもの足が、それをさがし当てた。
毎日ちがうところを歩いていたら、あの夜、草原には、何の線もなかっただろう。
牛乳なら、町の店でも買えた。
でも、あの道は、どこの店にも売っていなかった。
毎日、同じところを踏む者がいなければ、できない道だった。
ヘレンが、向かいに座った。
わたしがトムの話をすると、ヘレンは、しばらくだまっていた。
それから、言った。
だから言ったでしょう。あなたは、草原にみぞを掘るって。
ヘレンは、そう言って、少し笑った。
でも、みぞじゃなかったわね。道だったのね。
エピローグ
夏、トムが、マーサの家に越してきた。
越してきた日の夕方、トムが、草原の向こうから歩いてきた。
七年のあいだに、草は、またのびていた。
それでも、トムは、まっすぐ、うちのほうへ歩いてきた。
草の下の土が、まだ、かたかったのだという。
トムは、牛乳のびんを、一本、持っていた。
町の店で買ったものだった。
わたしは、ポーチに出て、トムを待った。
草の中を歩いてくるトムの足は、わたしの通ったところを、一つもはずれなかった。
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