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町の放送

飾りは、何も無かった

町の放送

朗読で聴く

第一章 役場の小さな部屋

六十八になった。

岐阜の、川ぞいの小さな町に住んでいる。

夫は、農協をやめてから、家の裏の畑で野菜を作っている。

娘が一人、名古屋で働いている。

わたしは、二十四のときから、町の役場で働いてきた。

六十四でやめるまで、四十年。

仕事はいろいろあったが、四十年、ずっと続けてきたことが一つある。

町の放送だ。

町には、電柱の上に、灰色のスピーカーがいくつもついている。

朝と夕方、それから何かあったとき、役場の二階の小さな部屋から、町じゅうに声を流す。

部屋には、机が一つと、マイクが一本と、時計が一つ。

窓からは、川と、その向こうの山が見えた。

ごみの日のお知らせ。

町の運動会の日にち。

迷子になったおじいさんの、服の色。

台風が来るときの、川の水の高さ。

わたしは、それを、毎日、同じ調子で読んだ。

ゆっくり、短く、言うことだけを言う。

おはようございます、も、みなさま、も、つけなかった。

はじめに、こちらは、町役場です、と言い、終わりにもう一度、同じことを言う。

それだけだった。

放送の仕事を教えてくれたのは、定年まぎわの男の先輩だった。

最初の日、先輩は、わたしの書いた原稿に、赤い線をたくさん引いた。

この言葉は、なくても、わかる。

これも、なくても、わかる。

残ったのは、三行だけだった。

放送は、手紙じゃない。聞く人は、読み返せないんだ。

先輩は、それだけ言って、マイクの前の席を、わたしにゆずった。

第二章 愛想のない声

となりの町の放送は、明るかった。

はじめに音楽が流れて、若い女の人の声が言う。

みなさん、おはようございます。今日も、いい一日になりますように。

町の人は、よく、あっちの放送のほうがいいねえ、と言った。

うちの町の放送は、冷たい、と言われた。

機械が読んでいるみたいだ、とも言われた。

役場の上の人にも、一度、言われたことがある。

もう少し、やわらかく、読めないかね。

お年寄りが、こわいって言ってるよ。

わたしは、はい、と言って、少しだけ、声を高くしてみた。

でも、三日で、元に戻った。

やわらかく読もうとすると、言わなくていいことを、言いたくなった。

お足元にお気をつけて、とか、くれぐれも、とか。

そういう言葉を足すたびに、言いたいことが、うしろに下がっていく気がした。

夫にも、言われた。

おまえの放送は、正直すぎて、色気がないな。

わたしは、自分の声を、愛想のない、冷たい声だと思っていた。

自分のことも、気のきかない、かたい女だと。

役場の新年会では、いつも、端の席で、だまってお茶を飲んでいた。

娘が中学生のころ、友だちに、からかわれたことがあるらしい。

あんたのお母さんの放送、ロボットみたい。

娘は、家に帰ってきて、少し怒ったように、それをわたしに言った。

わたしは、ごめんね、とだけ言った。

放送のことを、ほめられたことは、一度もなかった。

ほめられるような仕事では、ないと思っていた。

第三章 大雨の夜

三十年前の夏の夜、大雨が降った。

夕方から、川の水が、みるみるふえていった。

夜の九時、役場に、川があふれそうだという知らせが入った。

わたしは、二階の部屋に走った。

マイクの前に座って、紙に、言うことを書いた。

何度も、消して、短くした。

となりにいた若い職員が、もっと、ていねいに言ったほうが、と言いかけた。

わたしは、首をふった。

手が、少しふるえていた。

それから、読んだ。

こちらは、町役場です。

川の水が、あふれそうです。

川の東の、みなさんは、いますぐ、小学校へ、にげてください。

川の東の、みなさんは、いますぐ、小学校へ、にげてください。

こちらは、町役場です。

雨の音で、スピーカーの声は、とぎれとぎれにしか聞こえなかったはずだ。

わたしは、十分ごとに、同じことを、同じ調子で読んだ。

朝まで、三十回、読んだ。

朝になって、雨がやんだ。

川の東の家は、半分ほどが、床の上まで水につかった。

でも、けがをした人は、一人もいなかった。

その日の昼、小学校の体育館をのぞきに行った。

毛布にくるまった人たちが、床に並んで座っていた。

すみのほうで、十二くらいの男の子が、耳の遠いおばあさんの背中をさすっていた。

大地くん、という子だった。

第四章 大地さんの話

この春、町の防災の集まりに、わたしも呼ばれた。

やめて四年になるのに、昔の大雨の話をしてほしいという。

集まりが終わって、帰ろうとすると、一人の男の人が、声をかけてきた。

四十二になった、大地くんだった。

いまは、となりの市の消防で、通信指令員をしているという。

火事や事故の電話を受けて、消防車や救急車に、短く知らせを出す仕事だ。

大地さんは、少し照れたように言った。

あの夜、ぼく、ばあちゃんと二人で、家にいたんです。

ばあちゃんは耳が遠くて、テレビの声も、よく聞こえなかった。

でも、スピーカーの声は、聞こえたんです。

ゆっくりで、短くて、同じことを、何度も言ってたから。

ばあちゃんが、小学校へ、にげるんだね、って言って、自分から立ったんです。

となりの町の、明るい放送だったら、ばあちゃんは、たぶん、立たなかった。

飾りが無いから、聞こえたんです。

大地さんは、少し笑った。

ぼく、いまも、無線で話すとき、あの放送を思い出すんです。

言うことだけを、短く、同じ調子で。

こわいときほど、飾りのない言葉が、まっすぐ届くから。

わたしは、何も言えなかった。

窓の外で、川が、春の光を受けて、静かに流れていた。

第五章 言うことだけ

その夜、わたしは、台所のいすに、長いあいだ座っていた。

四十年、わたしは、自分の声を、愛想のない、冷たい声だと思ってきた。

自分のことも、気のきかない、かたい女だと。

でも、そうではなかったのかもしれない。

飾りを、つけなかった。

言うことだけを、言った。

だから、雨の音の中でも、耳の遠い人にも、届いた。

くれぐれも、や、お足元に、を足していたら、言いたいことは、雨の音にまぎれていただろう。

最初の日の、先輩の赤い線を、思い出した。

聞く人は、読み返せない。

だから、一度で、わかるように言う。

わたしは、四十年、それだけを守ってきたのだった。

夫が、畑から戻ってきて、向かいに座った。

わたしが大地さんの話をすると、夫は、しばらくだまっていた。

それから、言った。

あの夜、おれも、二階の窓をあけて、おまえの放送を聞いてたよ。

色気はなかったけど、あれで、町じゅうが立ったんだ。

夫が、そんなことを言うのは、初めてだった。

わたしは、お茶をいれながら、少しだけ、泣いた。

エピローグ

夏、大地さんから、一枚のはがきが届いた。

指令室の机の写真だった。

机の上に、小さな紙が一枚、貼ってあった。

ゆっくり、短く、言うことだけ。

わたしは、そのはがきを、台所の窓辺に立てた。

その日の夕方、町のスピーカーから、若い職員の声が流れてきた。

こちらは、町役場です。

明日は、燃えるごみの日です。

こちらは、町役場です。

ゆっくりで、短くて、飾りが、何もなかった。

ソウルミッション358

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