繕ったコート
手入れされて、使われていた

朗読で聴く
第一章 坂の上の家
七十四になった。
イギリスの北西、ランカシャーの、昔は紡績工場があった町に住んでいる。
石造りの家が、坂にそって、長屋のように並んでいる。
わたしは、その坂の上の、いちばん端の家で、五十年暮らしてきた。
夫のジャックは、工場の機械工だったが、十四年前に死んだ。
子どもは、いない。
わたしは、昔から、物を捨てられない女だった。
靴下に穴があけば、ふさいで、またはく。
セーターのひじがすり切れれば、毛糸で編みなおす。
ボタンが取れれば、缶にためたボタンの中から、似たものをさがしてつける。
夜になると、台所のランプの下で、毎晩、何かを繕っていた。
針と糸と、指ぬきと、古い木の卵。
卵の形の木を靴下の中に入れて、穴をふさぐのだ。
母が使っていたものを、そのまま使っている。
昼は、町の小さなパン屋で、売り子をしてきた。
朝の六時に店に入り、焼きたてのパンを棚に並べ、昼過ぎまで店に立つ。
帰りに、市場で、その日の夕飯の材料を買う。
夕飯がすむと、ジャックはラジオを聞き、わたしは、ランプの下で針を持った。
ジャックの作業着の破れ、シーツのほつれ、台所のふきんの穴。
繕うものは、毎晩、何かしらあった。
夜の十時になると、針箱のふたを閉め、指ぬきを外した。
第二章 しまり屋
町の人には、よく言われた。
あの人は、しまり屋だ。
新しい服を、一枚も買わない。
工場が閉まってから、町には、安い服の店がいくつもできた。
どの家も、穴があけば捨てて、新しいのを買うようになった。
わたしは、それでも、繕いつづけた。
隣の奥さんには、笑われた。
エドナ、そんなつぎはぎだらけの服、恥ずかしくないの。
ジャックにも、一度、言われたことがある。
たまには、新しいのを買ったらどうだ。お金がないわけじゃないんだから。
わたしは、まだ着られるから、と答えた。
自分でも、けちな、時代おくれの女だと思っていた。
楽しいことを知らない、つまらない人間なのだと。
教会のバザーでも、わたしが出すのは、繕った古いものばかりだった。
ほかの人は、買ってきた新しい小物を並べた。
わたしの台は、いつも、最後まで売れ残った。
ジャックは、売れ残った靴下を、黙って自分の引き出しにしまった。
第三章 ルーシー
三十五年前の冬、ひどい雪の朝だった。
坂の下の家に、ルーシーという女の子が住んでいた。
十二の、やせた、目の大きな子だった。
父親が工場を失業して、家には、ほとんどお金がなかったと聞いていた。
その朝、ルーシーは、うすいカーディガン一枚で、雪の坂を学校へ登っていた。
くちびるが、紫色だった。
わたしは、玄関の戸を開けて、ルーシーを呼んだ。
それから、壁にかけてあった、自分の冬のコートを持ってきた。
二十年着ている、茶色のウールのコートだった。
ひじには当て布があり、すそは三度、縫いなおしてあった。
ボタンは、一つずつ形が違った。
でも、毎年、秋になると、わたしはブラシをかけ、ほつれを縫い、虫よけを入れて、手入れしていた。
古いけど、あたたかいよ。
わたしは、ルーシーの肩に、コートをかけた。
ルーシーには、ずいぶん大きかった。
ルーシーは、袖を三回折って、小さな声で、ありがとう、と言った。
その冬から、わたしは、ジャックの古い上着を着た。
ジャックは、何も言わずに、ボタンを一つ、つけなおしてくれた。
次の年、ルーシーの一家は、仕事をさがして、マンチェスターへ引っ越していった。
あのコートがどうなったのか、わたしは、知らなかった。
その冬のあいだ、ルーシーは、毎朝、あのコートを着て、坂を登っていった。
ときどき、わたしの家の前で立ち止まり、窓に向かって、小さく手をふった。
わたしは、台所の窓から、手をふりかえした。
ある夕方、ルーシーが、コートを抱えて、玄関に来たことがある。
ポケットの角が、少し破れてしまったのだという。
わたしは、ルーシーを台所に入れて、ランプの下で、破れを縫った。
ルーシーは、わたしの手もとを、じっと見ていた。
小さい縫い目で、何度も、行ったり来たりするのよ。
そう言いながら、わたしは、針を動かした。
第四章 ルーシーの話
この春、わたしは、坂の上の家を出て、町の老人ホームに入ることにした。
荷物を片づけていると、一人の女の人が、訪ねてきた。
四十七になった、ルーシーだった。
いまは、マンチェスターで、古い服を直す小さな店をやっているという。
捨てられそうな服を、繕って、また着られるようにする店だと言った。
ルーシーは、紙の袋から、一枚のコートを出した。
茶色の、ウールのコートだった。
ひじの当て布も、三度縫いなおしたすそも、形の違うボタンも、そのままだった。
ルーシーは、少し笑った。
あのころ、学校で、つぎはぎのコートだって、笑われたんです。
でも、着ると、あたたかかった。どの子の新しいコートより、あたたかかった。
ある日、ポケットの裏を見たら、細かい縫い目が、何重にもあった。
だれかが、何年も、このコートを手入れしてきたんだって、わかりました。
手入れされて、使われていた。だから、あたたかかったんです。
それから、毎年、秋になると、わたしも、ブラシをかけて、ほつれを縫ってきました。
三十五年、このコートを、着つづけてきたんです。
店の名前も、このコートから、つけました。
わたしは、何も言えなかった。
窓の外で、坂の下の煙突の向こうに、春の雲が流れていた。
第五章 ランプの下で
ルーシーが帰ったあと、わたしは、台所のランプの下に座った。
五十年、わたしは、自分を、けちで、時代おくれの女だと思ってきた。
新しい服も買わない、つぎはぎだらけの、つまらない人間だと。
でも、そうではなかったのかもしれない。
毎晩、穴をふさぎ、ほつれを縫った。
それは、物を、使える物のままにしておくことだった。
手入れされて、使われていたコートは、雪の朝、一人の女の子をあたためた。
そして、そのコートは、いまも、だれかに手入れされて、使われている。
ジャックのことを、思い出した。
たまには、新しいのを買ったらどうだ。
そう言いながら、ジャックは、わたしが繕ったシャツを、いつもいちばん先に着ていった。
工場の仲間に、女房が直したんだ、と見せていたと、葬式の日に聞いた。
わたしは、針箱を開けた。
母の木の卵は、すっかり、手の形にすり減っていた。
エピローグ
夏、マンチェスターのルーシーから、写真が届いた。
小さな店の窓辺に、茶色のコートが、木のハンガーにかけてあった。
その横で、若い人たちが、テーブルを囲んで、針を動かしていた。
写真のうしろに、短く書いてあった。
毎週土曜日に、繕い方を教える会を開いています。
最初に、あのコートのポケットの裏を、見てもらうんです。
わたしは、写真を、老人ホームの部屋の窓辺に立てた。
それから、新しい部屋の机の上に、針箱を置いた。
靴下が一足、穴をあけて、待っていた。
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