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さんづけ

大人として、扱ってくれた

さんづけ

朗読で聴く

第一章 港の食堂

六十六になった。

宮城の、小さな漁港の町に住んでいる。

三十のときから、港の前で、小さな食堂をやってきた。

三十六年になる。

夫は漁師だったが、二十年前に、海で死んだ。

子どもは、いない。

食堂は、カウンターが八つと、たたみの席が二つ。

朝の五時に開けて、漁から戻った人たちに、ごはんと味噌汁と焼き魚を出す。

昼は、港で働く人たちの定食。

午後の二時に閉めて、次の日の仕込みをする。

わたしは、口数が少なく、客に愛想を言うのも、下手だった。

いらっしゃい、と、ありがとうございました。

あとは、注文を聞いて、黙って作る。

それでも、港の人たちは、毎朝、来てくれた。

仕込みは、前の日の午後から始める。

干物を焼く炭をおこし、大根をおろし、味噌汁のだしをとる。

魚は、毎朝、港で、その日にあがったものを買う。

漁師たちは、わたしに、黙って、いちばんいい魚を回してくれた。

夫が死んだ年から、ずっとそうだった。

わたしは、礼を言うのも下手で、毎朝、同じように、ありがとうございます、とだけ言った。

冬の朝は、まだ暗いうちから、ストーブをたいて、のれんを出した。

港の明かりの中で、店の明かりだけが、道の上に四角く落ちていた。

第二章 かわいげのない人

町の人には、よく言われた。

あの人は、かわいげがない。

子どもが店に来ても、ちっともにこにこしない。

たしかに、わたしは、子どもの扱いが下手だった。

子どもに話しかけるときも、大人と同じ言葉で話した。

ご注文は、何になさいますか。

小学生にそう聞いて、母親に笑われたこともある。

子どもなんだから、もっとやさしく言ってあげなよ。

わたしは、はい、と答えた。

でも、どうしても、子ども向けの声が出なかった。

夫には、生きていたころ、よく言われた。

おまえは、だれにでも同じ顔だな。

祭りの日、店の前を、子どもたちがわたあめを持って走っていった。

ほかの店のおかみさんたちは、子どもに声をかけ、頭をなでていた。

わたしは、店の中から、それを見ているだけだった。

声をかけようとしても、何と言えばいいのか、わからなかった。

子どもたちも、わたしの店の前だけは、少し急いで通りすぎた。

わたしは、自分を、かわいげのない、つまらない女だと思っていた。

子どもに好かれない人間なのだと。

第三章 洋子さん

三十二年前の冬、店の裏口に、女の子が一人で立っていた。

十二の、やせた子だった。

近所の、洋子ちゃんという子だった。

お母さんが病気で寝こみ、お父さんは遠くの港に出稼ぎに行っていると聞いていた。

洋子ちゃんは、小さな声で言った。

ここで、働かせてください。下の弟たちに、ごはんを食べさせたいんです。

わたしは、少し考えてから、言った。

では、土曜と日曜の朝、五時から八時まで。皿洗いと、野菜の下ごしらえ。

日当は、一回、千円。働いた分は、ちゃんと払います。

それから、帰りに、弟さんたちの分のおにぎりを持っていきなさい。それも、お給料のうちです。

洋子ちゃんは、目を丸くして、うなずいた。

次の土曜日、洋子ちゃんは、四時五十分に来た。

わたしは、洋子ちゃんを、洋子さん、と呼んだ。

店で働く人は、みんな、さんづけで呼ぶ。それが、わたしの決まりだった。

洋子さん、大根を、このくらいの厚さで切ってください。

洋子さん、今日は、ありがとうございました。

日当は、ほかの手伝いの人と同じ、茶色の封筒に入れて渡した。

封筒には、洋子さん、と書いた。

町の人には、ずいぶん言われた。

子どもを働かせて、あの人は、何を考えているのか。

わたしは、何も言い返さなかった。

洋子さんは、最初の朝、皿を二枚割った。

顔を真っ青にして、あやまった。

わたしは、割れた皿をかたづけて、言った。

洋子さん、皿は、重ねすぎないこと。三枚ずつ運んでください。

それだけ言って、また、魚を焼いた。

割った皿の分を、日当から引くことはしなかった。

ほかの手伝いの人が割っても、引いたことはなかったからだ。

ひと月もすると、洋子さんは、大根を、わたしと同じ厚さで切れるようになった。

味噌汁の味見を頼むと、少し塩が足りません、と、はっきり言うようになった。

わたしは、言われたとおりに、塩を足した。

洋子さんは、二年、休まずに来た。

お母さんの病気がよくなり、お父さんが戻ってきた春に、やめた。

最後の日、洋子さんは、封筒を受け取って、深く頭を下げた。

第四章 洋子さんの話

この秋、ひざを悪くして、店を閉めることにした。

最後の日の朝、五時に店を開けると、一番に、一人の女の人が入ってきた。

四十四になった、洋子さんだった。

いまは、仙台で、食堂を三つやっているという。

洋子さんは、カウンターに座って、焼き魚の定食を頼んだ。

食べ終わると、かばんから、古い茶色の封筒を出した。

洋子さん、と書いてあった。

あのころ、大人はみんな、わたしを、かわいそうな子、と呼びました。

お母さんが病気の、かわいそうな洋子ちゃん。

でも、あなただけは、わたしを、洋子さんと呼んでくれた。

お給料を、ほかの大人と同じ茶色の封筒に入れて、同じように渡してくれた。

あれで、わたし、初めて、自分は一人前なんだって思えたんです。

かわいそうな子じゃなくて、働いて、弟たちを食べさせている人なんだって。

わたしを、大人として、扱ってくれた。

洋子さんは、少し笑った。

うちの店でも、働く人は、みんな、さんづけです。

高校生のアルバイトの子にも、です。

さんづけで、呼んでくれたんです。それが、全部の始まりでした。

わたしは、何も言えなかった。

窓の外で、漁から戻った船が、港に入ってきていた。

第五章 同じ言葉で

その日の昼過ぎ、最後の客が帰ったあと、わたしは、カウンターの中に座った。

三十六年、わたしは、自分を、かわいげのない女だと思ってきた。

子どもに、子ども向けの声が出せない、つまらない人間だと。

でも、そうではなかったのかもしれない。

だれにでも、同じ言葉で話した。

だれにでも、同じ顔をした。

それは、あの子を、一人の人間として扱うことだったのだ。

かわいそうな子と呼ばれるより、洋子さんと呼ばれるほうが、うれしい子もいた。

夫の言葉を、思い出した。

おまえは、だれにでも同じ顔だな。

あの人は、そのあとに、こう続けたのだった。

だから、おまえの店は、だれでも入りやすいんだろう。

あのときは、聞き流していた。

わたしは、店の帳面を出して、最後のページに、今日の日付を書いた。

その下に、小さく、洋子さん、と書いた。

エピローグ

冬、洋子さんから、写真が届いた。

仙台の、洋子さんの店の、調理場の写真だった。

白い帽子をかぶった若い人たちが、並んで、こちらを向いていた。

写真のうしろに、短く書いてあった。

新しく入った十八の子が、初めてのお給料を受け取って、泣きました。

封筒に、名前と、さん、を書いただけなのに。

わたしは、写真を、台所の壁にはった。

それから、茶色の封筒を一枚出して、自分の名前を書いた。

その横に、少し迷ってから、さん、と書きたした。

ソウルミッション358

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