鐘の綱
機械のようには、ならなかった

朗読で聴く
第一章 教会の鐘
七十六になった。
オーストラリアの南の島、タスマニアの、山あいの小さな町に住んでいる。
町の真ん中に、古い石の教会がある。
二十六のときから、その教会の鐘を鳴らしてきた。
ちょうど五十年になる。
本業は、町の製材所の職人だった。
妻のマーガレットは、三年前に死んだ。
鐘は、塔の下の小さな部屋から、太い綱を引いて鳴らす。
日曜の朝、九時半に、三十回。
結婚式の日には、続けて長く。
葬式の日には、ゆっくり、一つずつ。
綱を引くと、腕に重みが来て、少し遅れて、頭の上で鐘が鳴る。
わたしの鐘は、いつも、少しずつ間がそろわなかった。
速くなったり、遅くなったりした。
強く鳴る日も、弱く鳴る日もあった。
五十年引いても、どうしても、きっちりとは鳴らせなかった。
最初に鳴らしたのは、自分たちの結婚式の翌週だった。
前の鐘つきの老人が、腰を痛めて、わたしに綱をわたした。
若いのに頼む、と言われて、断れなかった。
それから、町の子どもが生まれた日も、だれかが死んだ日も、わたしが鳴らした。
三年前には、マーガレットの葬式の鐘も、自分で鳴らした。
あの日の鐘が、いちばん、そろっていなかったと思う。
第二章 そろわない鐘
町の人には、よく言われた。
ジョージの鐘は、いつも一分ずれてるな。
今日のは、ちょっと元気がなかったね。
笑って言われたが、わたしは、少し恥ずかしかった。
十年ほど前、町の議会で、話が出た。
電気で、時間どおりに鳴る装置をつけたらどうか。
隣の町の教会は、もう、そうしている。
いつも同じ速さで、同じ強さで、一秒もずれずに鳴る。
議員の一人が、わたしに言った。
ジョージも、もう年だ。機械にまかせたら、楽になる。
わたしは、まだ引けるから、と答えた。
でも、家に帰ってから、マーガレットに言った。
おれの鐘は、そろってないからな。機械のほうが、いいのかもしれん。
マーガレットは、何も言わずに、紅茶をいれた。
わたしは、自分を、不器用な鐘つきだと思っていた。
五十年やっても、機械のようには鳴らせない男だと。
第三章 霧の夜
三十一年前の秋、九つの男の子が、山で行方不明になった。
リアムという、町の郵便局の家の子だった。
学校の帰りに、犬を追いかけて、森に入ったのだという。
夕方から、山に深い霧が下りてきた。
町じゅうの男たちが、懐中電灯を持って、山に入った。
でも、霧が濃くて、十歩先も見えなかった。
夜の九時ごろ、警察の人が、教会に来た。
鐘を鳴らしてくれないか。音のするほうへ、歩いてくるかもしれない。
教会の入り口には、リアムの母親が、毛布を抱えて立っていた。
顔は真っ白で、唇が震えていた。
わたしは、その人の肩に、一度だけ手を置いた。
何も言えなかった。言える言葉を、知らなかった。
わたしは、塔の下の小さな部屋に入って、綱をにぎった。
そして、鳴らしはじめた。
一回、また一回。
腕が重くなっても、手の皮がむけても、引きつづけた。
疲れてくると、間がのびた。
はっとして、また速く引いた。
夜中の二時、マーガレットが、紅茶の入った水筒を持ってきた。
わたしは、片手で綱を引きながら、それを飲んだ。
明け方の五時すぎ、外で、大きな声がした。
リアムが、教会の裏の牧草地に、ひとりで歩いて出てきたのだ。
泥だらけで、震えていたが、けがはなかった。
わたしは、綱から手を離すと、その場に座りこんだ。
手のひらは、皮がむけて、血がにじんでいた。
八時間、鳴らしつづけていたのだと、あとで聞いた。
町の新聞は、山岳救助隊と警察の働きを、大きく書いた。
鐘のことは、最後に一行だけだった。
わたしは、それで、いいと思っていた。
第四章 リアムの話
この冬、わたしは、鐘つきをやめることにした。
肩が痛んで、もう、太い綱を引けなくなった。
教会には、電気の装置がついた。
最初の日曜日、九時半に、鐘は、きっちり三十回鳴った。
一秒のずれもなく、同じ強さで。
その日の午後、家の戸をたたく人が、何人もいた。
ジョージ、具合でも悪いのか。今日の鐘、なんだか変だったぞ。
夕方、最後に来たのは、四十になったリアムだった。
リアムは、いま、この州の山岳救助隊にいる。
台所のテーブルで、リアムは、しばらく黙っていた。
それから、言った。
あの霧の夜のこと、ちゃんと話したことがなかったね。
森の中で、ぼくは、もう歩けないと思って、座りこんでたんだ。
そしたら、鐘が聞こえた。
最初は、時計の鐘だと思った。
でも、だんだん、間がのびたり、急に速くなったりした。
ああ、だれかが、いま、手で鳴らしてるんだって、わかった。
ぼくのために、だれかが、まだ起きてるんだって。
だから、立ち上がって、その音のほうへ歩けたんだ。
機械の鐘だったら、ぼくは、たぶん、座ったままだった。
リアムは、窓の外の教会の塔を見た。
救助のとき、ぼくは、無線で、ずっと話しかけるんだ。
決まった言葉じゃなくて、その時に思いついたことを。
だれかが、いま、ここにいるって、わかるように。
わたしは、何も言えなかった。
手のひらの、古い綱のたこを、ただ、さすっていた。
第五章 機械のようには、ならなかった
その夜、わたしは、一人で台所に座っていた。
五十年、わたしは、自分を不器用な鐘つきだと思ってきた。
きっちり鳴らせない、そろわない男だと。
でも、そうではなかったのかもしれない。
わたしの鐘は、機械のようには、ならなかった。
毎回、少しずつ、間も強さも違った。
その違いが、あの子には、だれかがいる、という知らせだった。
きっちり同じに鳴る鐘は、時間を知らせる。
そろわない鐘は、人がいることを知らせる。
疲れて間がのびたところも、あわてて速くなったところも。
全部、あの夜、わたしの腕がそこにいた跡だった。
マーガレットのことを、思い出した。
あの霧の夜、マーガレットは、何も言わずに水筒を持ってきた。
わたしが、機械のほうがいいのかもしれん、と言った夜も、何も言わなかった。
あいつは、たぶん、知っていたのだ。
前の鐘つきの老人のことも、思い出した。
子どものころ、あの老人の鐘も、毎回、少しずつ、ずれていた。
日曜の朝、その鐘を聞くと、ああ、じいさんが今朝も来ている、と思った。
わたしは、そのずれ方を、知らないうちに、腕で覚えていたのかもしれない。
窓の外で、教会の塔が、暗い空に黒く立っていた。
エピローグ
春の祭りの日、町の議会が、一つだけ決まりを変えた。
祭りの朝の鐘だけは、手で鳴らすことにする、と。
その朝、リアムが、七つの娘のエミリーを連れて、塔の下に来た。
わたしは、エミリーの小さな手を、綱にそえさせた。
さあ、引いてごらん。
エミリーは、両手でぶら下がるように、綱を引いた。
少し遅れて、頭の上で、鐘が、ごおん、と鳴った。
間はばらばらで、強さもそろわなかった。
広場で待っていた町の人たちが、それを聞いて、手をたたいた。
リアムが、うしろで、声を出して笑った。
あなたの魂のテーマに気づく場所