おにぎりの形
機械のようには、ならなかった

朗読で聴く
第一章 駅前のおにぎり屋
七十二になった。
新潟の、米どころの小さな町に住んでいる。
駅前で、小さなおにぎり屋をやってきた。
三十二で店を開いて、ちょうど四十年になる。
二十五で、勇と結婚した。
勇は、町の農協に勤めていた人だ。
毎朝、四時に起きて、釜でご飯を炊く。
炊きたてのご飯を、手に塩をつけて、一つずつ握る。
梅、おかか、鮭、昆布、それに、たらこ。
朝の一番電車が来るころには、店先に、五十個ほど並んでいる。
買っていくのは、通学の高校生や、工事現場の人たちだ。
わたしのおにぎりは、形がそろわない。
大きいのもあれば、少し小さいのもある。
三角のつもりが、丸っこくなっていることもある。
毎日、同じように握っているつもりなのに、一つとして同じ形にならない。
自分でも、不器用な手だと思ってきた。
店は、勇と二人で始めた。
勇は、農協の仕事に行く前に、店の前を掃いてくれた。
そして、毎朝、わたしの握ったおにぎりを、二つ持って出ていった。
秋の稲刈りのころは、田んぼのあぜに座って、それを食べたという。
おまえのは、腹にたまる。
勇は、いつも、それだけ言った。
第二章 形がそろわない
店を開いたころから、よく言われた。
おばちゃん、大きさがばらばらだね。
おれのは、隣のより、小さくないか。
笑って言われたが、わたしは、そのたびに少し恥ずかしかった。
二十年ほど前、駅の向こうにコンビニができた。
コンビニのおにぎりは、どれも、まったく同じ形をしていた。
機械で握るから、重さも、角も、ぴたりとそろっている。
うちの客は、少しずつ、そちらへ移っていった。
娘にも、言われた。
お母さん、型を使えば。そのほうが、きれいだよ。
わたしは、プラスチックの型を買ってきた。
ご飯を詰めて、ぽんと押すと、きれいな三角ができた。
ひと月、その型で、おにぎりを作った。
形は、そろった。
でも、なぜか、握っている気がしなかった。
常連の運転手さんが、一つ食べて、首をかしげた。
おばちゃん、なんか、今日のは違うな。
毎朝、ここで握るのを、見てたからな。
型のは、だれが握っても、同じ味がする。
わたしは、次の日、型を引き出しにしまった。
それからも、わたしのおにぎりは、そろわないままだった。
機械のようにきっちり握れない、不器用な女だと思っていた。
第三章 どちらさん
三年前の冬、勇が、物忘れをするようになった。
財布をなくし、同じことを何度も聞くようになった。
認知症だと、医者に言われた。
二年前から、町はずれの施設に入っている。
わたしは、週に三回、店を閉めたあと、会いに行く。
去年の春ごろから、勇は、わたしの顔がわからなくなった。
部屋に入ると、勇は、わたしを見て、ていねいに頭を下げる。
どちらさんですか。
わたしは、笑って、近所の者です、と答える。
それから、窓の外を見て、田んぼの話をする。
今年は、雨が少ないな。稲が心配だ。
勇は、もう十年も前に、農協をやめている。
わたしは、そうだね、とうなずいて、勇の手をさする。
帰り道、駅前の店の暗いガラス戸に、自分の顔が映る。
四十七年いっしょにいた人に、どちらさんと聞かれた顔だ。
施設の食事も、あまり食べなくなった。
職員さんが、困った顔で言った。
どれも、ひと口かふた口で、やめてしまうんです。
ある日、わたしは、店のおにぎりを三つ、持っていった。
梅と、おかかと、鮭だ。
勇の前に、皿にのせて置いた。
勇は、しばらく、それを見ていた。
それから、一つを手に取って、ゆっくり、手の中で回した。
指で、角をなぞった。
そして、小さな声で言った。
これは、かあちゃんのだ。
第四章 手の形
勇は、それを、ゆっくり、全部食べた。
二つ目も、三つ目も、食べた。
職員さんが、目を丸くしていた。
わたしの顔は、わからない。
でも、わたしのおにぎりは、わかったのだ。
帰りに、若い職員さんが、言った。
奥さんのおにぎり、形がそろってないから、わかるんですね。
施設のおにぎりは、業者さんの機械で作ってるんです。
あれだと、だれが作ったのか、わからないから。
わたしは、何も言えなかった。
次の週も、わたしは、おにぎりを持っていった。
勇は、また、手の中で回して、角をなぞった。
かあちゃんのだ。
そう言って、食べた。
ある日、職員さんが、ためしに、と言った。
施設のおにぎりと、わたしのおにぎりを、一つずつ並べて置いた。
どちらも、梅だった。
勇は、両方を見比べて、施設のほうには手を伸ばさなかった。
わたしのほうを取って、角をなぞって、かあちゃんのだ、と言った。
職員さんは、何度か皿を入れ替えたが、勇は、一度もまちがえなかった。
わたしの名前も、顔も、もう出てこない。
でも、おにぎりを持つと、勇の手は、わたしを知っていた。
店に戻ると、常連の運転手さんが待っていた。
施設の話をすると、運転手さんは、笑った。
おれだって、おばちゃんのは、暗いところでもわかるよ。
形が、毎回、ちょっとずつ違うからな。
それが、おばちゃんの手なんだよ。
第五章 機械のようには、ならなかった
その夜、わたしは、一人で台所に座った。
四十年、わたしは、自分を不器用な女だと思ってきた。
形をそろえられない、きっちりできない手だと。
でも、そうではなかったのかもしれない。
わたしの手は、機械のようには、ならなかった。
毎回、少しずつ、違う形に握った。
その違いが、わたしの手の形だった。
型で押したおにぎりは、きれいだった。
でも、そこには、だれの手もなかった。
勇は、四十七年、わたしのおにぎりを食べてきた。
毎朝、弁当に二つ、入れてきた。
名前を忘れても、顔を忘れても、手の形だけは覚えていた。
そろわない形の中に、わたしが、ちゃんといたのだ。
母のことを、思い出した。
母も、毎年、田植えの朝に、大きなおにぎりを握った。
母のおにぎりも、一つとして、同じ形がなかった。
わたしは、母の手を見て、握り方を覚えた。
教わったのではない。毎年、隣で見ていただけだ。
わたしの手の形のどこかに、母の手が、まだ残っているのだろう。
引き出しの奥から、あの型を出してみた。
ほこりをかぶった、白いプラスチックの三角。
わたしは、それを、そっと、燃えないごみの袋に入れた。
明日の朝も、四時に起きて、ご飯を炊こう。
形のそろわないおにぎりを、五十個、握ろう。
エピローグ
夏休み、孫娘の美月が、東京から遊びに来た。
十歳になる。娘の、上の子だ。
おばあちゃん、おにぎりの作り方、教えて。
朝四時、二人で台所に立った。
手に塩をつけて、熱いご飯を、ころころと転がす。
美月のおにぎりは、大きくて、少し、いびつだった。
ごめん、きれいにできない。
いいんだよ。それが、美月のだから。
その日の午後、二人で、施設へ行った。
勇は、美月のおにぎりを手に取って、しばらく回していた。
それから、首をかしげて、言った。
これは、知らない子のだな。でも、うまそうだ。
美月が、声を出して笑った。
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