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下の端を持つ

傾けずに、水平に持っていた

下の端を持つ

朗読で聴く

第一章 山の担架

七十一になった。

スイスの東の、山あいの小さな村に住んでいる。

冬になると、村は、すっぽり雪に埋もれる。

わたしは、この村で、牛を飼ってきた。

そして四十年、村の山岳救助隊にいた。

山でけが人が出ると、四人で担架を運んで、村まで下ろす。

若いころ、隊の年寄りに、こう教わった。

下りでは、下の端を持つ者が、いちばん重い。

下の端を高く持ち上げて、担架を水平にしておく。

上に乗っている人を、どちらにも傾けてはいけない。

傾けたら、けが人は、ずり落ちる。

わたしは、四十年、いつも下の端を持った。

腕も、肩も、腰も、そのせいで、少し曲がっている。

だれも、下の端を持ちたがらない。

だから、わたしが持った。

三十年前の冬、町から来たスキーの客が、谷に落ちた。

夜の斜面を、四人で、三時間かけて下ろした。

上の端を持った若い隊員は、途中で、何度も足をすべらせた。

そのたびに、わたしは、下の端を、もっと高く持ち上げた。

客は、村に着くまで、一度も担架から落ちなかった。

次の日、客は、上の端の若い隊員に、何度も礼を言った。

下の端のことは、だれも、何も言わなかった。

それだけのことだと思っていた。

第二章 どっちつかずの父親

妻のアンナは、八年前に死んだ。

息子が二人いる。

兄のルーカスは四十四で、村に残って、牛を継いだ。

弟のヨナスは四十一で、チューリッヒで働いている。

アンナが死んだあと、二人は、ひどくけんかをした。

牛舎を建て直すか、土地を売るかで、もめたのだ。

ルーカスは、残ると言った。

ヨナスは、売って、兄さんも楽になればいいと言った。

二人とも、わたしに、どっちが正しいのかと聞いた。

わたしは、答えなかった。

ルーカスが、夜に、ヨナスの文句を言った。

わたしは、黙って聞いた。

ヨナスが、電話で、兄の文句を言った。

わたしは、黙って聞いた。

どちらの言うことにも、そうだ、とは言わなかった。

どちらの悪口も、もう片方には伝えなかった。

父さんは、いつも、どっちつかずだ。

ルーカスは、そう言って、テーブルをたたいた。

父さんには、意見ってものがないのか。

ヨナスは、それきり、村に帰ってこなくなった。

クリスマスにも、アンナの命日にも、帰らなかった。

村の寄り合いでも、わたしは、同じだった。

道を広げるか、どうするかで、村が二つに割れたときも、どちらにも手を挙げなかった。

あの人は、何を考えているのか、わからない。

そう言われているのは、知っていた。

わたしは、担架の棒みたいな人間なのだと思っていた。

上に何が乗っても、何も言わない、ただの木の棒だ。

第三章 氷の斜面

去年の冬のはじめ、ルーカスが、山の上の牧場で、けがをした。

さくを直していて、凍った斜面で足をすべらせたのだ。

足の骨が、折れていた。

救助隊に、知らせが来た。

わたしは、七十一だったが、行くと言った。

隊長は、困った顔をしたが、止めなかった。

ちょうどその日、ヨナスが、村の宿に泊まっていた。

八年ぶりに、アンナの墓に来ていたのだ。

知らせを聞いて、ヨナスは、救助隊の小屋に走ってきた。

四人目が、いなかった。

ぼくが持つ、とヨナスが言った。

牧場の上で、ルーカスは、雪の上に横になっていた。

ヨナスの顔を見て、何も言わなかった。

ヨナスも、何も言わなかった。

四人で、ルーカスを担架に乗せた。

わたしは、いつものように、下の端を持った。

ヨナスが、黙って、もう片方の下の端を持った。

氷の斜面を、一歩ずつ下りた。

下の端は、重かった。

腕がふるえたが、担架は、一度もかたむかなかった。

途中で、ヨナスの足が、氷の上ですべった。

担架の片側が、がくんと下がった。

わたしは、自分の端を、肩の上まで持ち上げた。

ヨナスは、ひざをついたまま、棒を離さなかった。

息を整えて、もう一度、立ち上がった。

二時間かかって、村の明かりが見えた。

ルーカスは、一度も、担架から落ちなかった。

第四章 ヨナスの話

その夜、病院の廊下で、ヨナスと二人で座った。

ルーカスの手術は、うまくいった。

ヨナスは、両手を見ていた。

手のひらに、担架の棒のあとが、赤く残っていた。

父さん、ぼくは、ずっと腹が立っていた。

父さんは、ぼくの味方を、一度もしなかった。

兄さんの味方も、しなかった。

どっちつかずの父親だと思っていた。

でも、今日、下の端を持って、わかった。

下の端は、いちばん重いんだね。

上の人を、水平にしておくために。

ヨナスは、少し黙ってから、続けた。

父さんが、兄さんの味方をしていたら、ぼくは、二度と帰らなかった。

ぼくの味方をしていたら、兄さんは、ぼくを許さなかった。

父さんが、どっちにもかたむかなかったから、ぼくらは、まだ兄弟でいられた。

父さんは、八年、ずっと、下の端を持っていたんだね。

わたしは、何も言えなかった。

次の朝、ルーカスが、ベッドの上で、ヨナスに言った。

おまえが、下を持ってくれたのか。

ヨナスは、うなずいた。

ルーカスは、天井を見たまま、少し笑った。

重かっただろう。

ヨナスは、ああ、とだけ答えた。

それから、牛舎の話を、二人で、少しだけした。

建て直すとも、売るとも、決まらなかった。

でも、二人は、八年ぶりに、同じ部屋で、同じ話をしていた。

わたしは、窓のそばのいすで、それを黙って聞いていた。

第五章 傾けずに、水平に持っていた

雪の中を、一人で家に帰った。

台所の壁に、アンナの写真がある。

八年、わたしは、自分を、意見のない父親だと思ってきた。

息子たちのどちらの味方もできない、どっちつかずの人間だと。

でも、そうではなかったのかもしれない。

わたしは、水平に持つと、決めていたのだ。

二人とも、わたしの担架の上に乗っていた。

どちらかにかたむければ、もう片方は、ずり落ちる。

だから、下の端を、高く持ち上げていた。

重かった。

黙っているのは、どちらかの味方をするより、ずっと重かった。

それでも、一度も、傾けなかった。

山の斜面で、四十年、していたことだった。

家でも、わたしは、同じことをしていたのだ。

アンナは、知っていたと思う。

死ぬ前に、一度だけ、こう言った。

あなたは、いつも、いちばん重いところを持つ人ね。

あのときは、何のことか、わからなかった。

三十年前の、スキーの客のことを思い出した。

礼を言われたのは、上の端の若い隊員だった。

それで、よかったのだと思う。

下の端を持つ者は、礼を言われるために、持つのではない。

上の人を、落とさないために、持つのだ。

エピローグ

春、雪がとけて、二人の息子が、牧場のさくを直しに上がった。

ヨナスは、休みを取って、村に来ていた。

わたしは、古い水準器を、二人に渡した。

木の枠の真ん中に、小さな泡が入っている。

横木を渡すたびに、二人は、水準器をのせた。

ルーカスの娘のミアが、七つで、のぞきこんだ。

泡が、まんなかにいる。

二人の息子が、同じ顔で、笑った。

アンナが見ていたら、何と言うだろうと思った。

わたしは、さくの下の端を、両手で持ち上げていた。

ソウルミッション358

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