百グラム
傾けずに、水平に持っていた

朗読で聴く
第一章 お茶屋の天びん
六十三になった。
瀬戸内の、小さな港の町に住んでいる。
商店街のはずれで、古いお茶屋をしている。
二十三で、この店の息子と結婚した。
それから四十年、毎日、店に立ってきた。
夫の正一は、十年前に死んだ。
子どもはいない。
いまは、わたし一人の店だ。
店の奥に、古い天びんがある。
真ちゅうの皿が二つ、左右に下がっている。
片方にお茶をのせ、もう片方に、おもりをのせる。
棒が、まっすぐ水平になったら、ちょうど百グラムだ。
嫁いだ年に、お姑さんに、この使い方を教わった。
棒は、どちらにも、傾けてはいけないよ。
多くても、少なくても、いけない。
だれが来ても、同じだけ量るのよ。
はじめのころは、針がなかなか真ん中で止まらなかった。
茶さじで、ひとつまみ足して、ひとつまみ戻す。
一年たつと、ひとさじで、ぴたりと止まるようになった。
第二章 かたい店
町の人は、わたしのことを、かたい人だと言った。
おまけを、しなかったからだ。
となりの乾物屋さんは、いつも、ひとつかみ多く入れた。
向かいの八百屋さんは、常連さんに、みかんを一つつけた。
わたしは、だれにでも、百グラムは百グラムだった。
長いつきあいのお客さんにも、初めてのお客さんにも。
町の議員さんにも、近所の子どもにも。
ちょっとくらい、おまけしてよ。
そう言われても、わたしは、棒が水平になるまでしか、入れなかった。
あの奥さんは、愛想がない。
お茶はいいけど、かたいのよね。
いちばで、そう話しているのを聞いたことがある。
夫も、ときどき、困ったように笑った。
少しくらい、いいじゃないか。
わたしは、言い返さなかった。
ただ、ほかのやり方を、知らなかった。
夫の妹が、店に来たことがある。
ほかのお客さんの前で、身内なんだから、少し多めにね、と言った。
わたしは、いつもと同じように量った。
棒が水平になったところで、袋の口を閉じた。
妹は、それきり、しばらく店に来なかった。
法事の席で、親戚に、あの人は冷たい、と言われた。
夫は、黙って、お酒をついでいた。
駅前に、大きなスーパーができた。
お客さんは、少しずつ、そちらへ行った。
わたしは、自分が、ただの融通のきかない人間なのだと思っていた。
やさしさも、気前のよさも、持っていない。
持っているのは、まっすぐな棒だけだ。
第三章 番茶の男の子
三十五年前、毎週土曜に来る男の子がいた。
健太くんといって、十だった。
いつも、いちばん安い番茶を、百グラム買っていった。
小さな手に、十円玉を何枚も握ってきた。
カウンターに一枚ずつ並べて、数えてから、わたしに渡した。
お父さんが、家を出ていったらしい。
お母さんは、体が弱くて、働けないらしい。
町の人は、そんなふうに、うわさをしていた。
乾物屋さんは、健太くんに、かわいそうにね、と言って、するめを持たせた。
別の店では、子どもだからと、目方をごまかされたこともあったらしい。
わたしは、いつもと同じように、天びんで量った。
棒が、水平になるまで。
はい、百グラム。
ありがとうございました。
大人のお客さんと、同じ言葉で、同じように渡した。
健太くんは、袋を両手で受け取って、頭を下げて帰っていった。
ある雨の土曜、健太くんの十円玉が、一枚足りなかった。
健太くんは、真っ赤な顔で、何度も数え直した。
わたしは、百グラムを量って、袋を渡した。
足りない一枚は、来週でいいですよ。
ほかのお客さんにも、同じように言っていることだった。
次の土曜、健太くんは、十円玉を一枚、先にカウンターに置いた。
それから、いつものように、百グラム分を並べた。
二年ほどして、健太くんの家は、町を出ていった。
わたしは、それきり、健太くんのことを忘れていた。
おまけの一つも、してやればよかったのかもしれない。
ずっとあとになって、そう思ったことはあった。
第四章 あの天びんの上では
この秋、店に、背広の男の人が入ってきた。
四十五くらいの人だった。
番茶を、百グラムください。
わたしは、天びんで量った。
はい、百グラム。
ありがとうございました。
男の人は、袋を両手で受け取って、そのまま、しばらく立っていた。
覚えていますか。
健太です。
毎週土曜に、十円玉を数えていた。
わたしは、天びんの前で、手を止めた。
健太くんは、いま、薬剤師をしていると言った。
隣の県の、病院で働いていると。
あのころ、ぼくは、町じゅうで、かわいそうな子でした。
どこの店でも、かわいそうにね、と言われました。
ごまかされることも、ありました。
でも、この店だけは、ちがった。
あの天びんの上では、うちも、よその家も、同じだった。
ぼくは、かわいそうな子じゃなくて、お客さんでいられた。
健太くんは、少し笑った。
ぼくは、いま、毎日、粉薬を量っています。
お年寄りにも、子どもにも、えらい人にも、同じ目方で。
はかりの針が真ん中で止まるとき、いつも、この店を思い出すんです。
わたしは、何も言えなかった。
天びんの棒が、目の前で、まっすぐに止まっていた。
第五章 傾けずに、水平に持っていた
健太くんが帰ったあと、わたしは、店を早めに閉めた。
天びんの前に座って、しばらく、棒を見ていた。
四十年、わたしは、自分を、かたい人間だと思ってきた。
愛想がなく、気前が悪く、やさしさを持たない人間だと。
でも、そうではなかったのかもしれない。
わたしは、棒を水平に持つと、決めていたのだ。
おまけをすれば、棒は、その人のほうへ傾く。
傾いた棒は、その子を、かわいそうな子にしてしまう。
水平な棒の上でだけ、あの子は、ただのお客さんでいられた。
お姑さんは、それを、知っていたのだろうか。
だれが来ても、同じだけ量るのよ。
あのときは、ただの店の決まりだと思っていた。
夫が、死ぬ前の年に、ぽつりと言ったことがある。
おまえの棒は、一度もかたむかなかったな。
だから、この店の百グラムは、町じゅうで、百グラムなんだ。
あのときは、ほめられたのか、あきれられたのか、わからなかった。
いまは、少し、わかる気がする。
わたしは、真ちゅうの皿を、布でふいた。
四十年、毎晩、わたしがふいてきた。
片方の皿に、そっと、おもりをのせた。
もう片方に、同じだけのお茶をのせた。
棒は、ゆっくりゆれて、真ん中で止まった。
エピローグ
冬の土曜、健太くんが、娘を連れてきた。
娘の真奈ちゃんは、九つで、あのころの健太くんと同じくらいだ。
お父さんが、この天びんの話ばっかりするの。
わたしは、真奈ちゃんを、天びんの前に立たせた。
小さな手に、茶さじを持たせた。
針が、真ん中で止まるまで、入れてごらん。
真奈ちゃんは、少し入れすぎて、ひとつまみ戻した。
棒が、ゆっくりゆれて、まっすぐになった。
止まった。
真ん中で、止まったね。
はい、百グラム。ありがとうございました。
わたしは、いつもと同じ言葉で、袋を渡した。
真奈ちゃんが、うれしそうに、父親を見上げた。
健太くんは、十のときと同じように、両手で、袋を受け取った。
あなたの魂のテーマに気づく場所