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二度結ぶ

冷たい灰と、あたたかい灰だった

二度結ぶ

朗読で聴く

第一章 北の港

七十になった。

ノルウェーの北の、海ぞいの、小さな港の町に住んでいる。

冬は、昼でも暗く、夏は、夜でも明るい町だ。

夫のエリックは、漁師だった。

大きな声で笑う、陽気な人だった。

港の酒場では、いつも、エリックのまわりに人が集まった。

三年前に、七十二で死んだ。

娘のイングリッドは、四十二で、今は、父の船の船長をしている。

わたしは、四十年、港の網小屋で、漁の網をつくろってきた。

エリックと結婚した年から、始めた仕事だった。

破れた網を、ひと目ずつ、結び直す。

結び目は、必ず、二度結ぶ。

一度だけでは、海の中で、ほどけることがあるからだ。

わたしの母も、そうしていた。

母から、教わったことは、それだけだった。

小屋には、古いストーブと、長い作業台と、網の山がある。

冬のあいだは、朝から晩まで、ストーブのそばで、網を結ぶ。

指は、いつも、ひび割れている。

それでも、結び目は、一つも、ゆるめなかった。

第二章 やさしい父と、きびしい母

エリックは、やさしい人だった。

イングリッドが小さいころ、いつも、ひざにのせて、海の話をした。

くじらの話、オーロラの話、昔の船乗りの話。

イングリッドは、父の話が、大好きだった。

寝る前には、エリックが、窓の外のオーロラを指さして、物語をつくった。

イングリッドは、笑いながら眠った。

わたしは、きびしい母だった。

イングリッドが、靴ひもを一度しか結ばないと、ほどかせて、結び直させた。

二度結ぶのよ。

手袋を片方なくすと、自分でさがしに行かせた。

夕ごはんの前に、宿題をさせた。

冬の朝は、暗いうちに起こして、学校まで歩かせた。

雪の日も、休ませなかった。

わたしは、抱きしめることも、物語を話すことも、上手ではなかった。

イングリッドは、わたしの前では、あまり笑わなかった。

お父さんは、やさしいのに。

十二のとき、イングリッドは、泣きながら、そう言った。

わたしは、言い返さなかった。

そのとおりだと、思っていたからだ。

エリックは、あたたかい父で、わたしは、冷たい母だった。

娘が好きなのは、父のほうだ。

わたしは、父のとなりで、うるさく言う役をしていただけだった。

イングリッドが、船に乗ると言い出したとき、わたしは、反対した。

女の子が、北の海に出るなんて。

夜も眠れず、何日も、口をきかなかった。

エリックは、笑って、いいじゃないか、と言った。

イングリッドは、父の船に乗った。

わたしは、港で、黙って、娘の船を見送った。

毎朝、船が出る前に、わたしは、娘の手袋のほつれを、黙って直した。

娘は、ありがとうも言わずに、それを、はめていった。

第三章 嵐の夜

去年の冬、大きな嵐が来た。

イングリッドの船は、沖に出ていた。

乗っていたのは、イングリッドと、若い船員が三人だった。

夜になって、無線が、とぎれた。

わたしは、港の小屋で、一晩じゅう、待った。

エリックがいたら、何と言っただろう。

だいじょうぶだよ、あの子は強い。

そう言って、わたしの肩を、たたいてくれただろう。

わたしには、何も言えなかった。

ただ、網を、ひと目ずつ、結び続けた。

手を止めると、こわくて、息ができなかった。

港には、ほかの家族も、集まっていた。

だれかが、わたしに、熱いコーヒーを持ってきてくれた。

わたしは、それに手をつけずに、網を結び続けた。

窓の外は、雪と波で、何も見えなかった。

朝になって、船が、港に帰ってきた。

甲板の上で、イングリッドが、手をふっていた。

わたしは、小屋から出ずに、窓から、それを見ていた。

走っていくことも、手をふることも、できなかった。

ただ、網を置いて、長いあいだ、ひざの上で、両手を組んでいた。

第四章 娘の話

その日の夕方、イングリッドが、小屋に来た。

わたしのとなりに座って、しばらく、黙って、網を見ていた。

それから、言った。

お母さん、ゆうべ、船の荷が、くずれかけたの。

大きな波で、船がかたむいて、甲板の荷が、すべり出した。

あれが海に落ちていたら、船は、ひっくり返っていた。

若い船員たちは、もうだめだと思った、と言っていた。

でも、荷をしばった綱は、一本も、ほどけなかった。

わたしが、全部、二度結んでいたから。

イングリッドは、自分の手を見た。

若い船員たちは、一度しか結ばないの。

いつも、わたしが、結び直させるのよ。

二度結ぶのよ、って。

みんな、船長はきびしい、って言ってる。

イングリッドは、少し笑った。

お母さんと、同じ。

わたし、子どものころ、それがいやだったのに。

気がついたら、同じことを言っていたの。

それから、まじめな顔になった。

わたし、ずっと、お父さんみたいになりたかった。

でも、海の上で、わたしを生かしてくれたのは、お母さんの結び目だった。

お父さんの話は、わたしに、海を好きにさせてくれた。

お母さんの結び目は、わたしを、海から帰らせてくれた。

両方、いたのよ。

第五章 冷たい灰と、あたたかい灰だった

イングリッドが船に帰ってから、わたしは、一人で、網小屋に座っていた。

窓の外で、海が、灰色に光っていた。

四十年、わたしは、自分を冷たい母だと思ってきた。

娘に好かれるのは、エリックで、わたしは、うるさく言う役だと。

でも、イングリッドには、二人とも、いなければならなかった。

海を好きになるための、父の話。

海から帰るための、母の結び目。

どちらか一つでは、足りなかった。

エリックが、やさしくしていられたのは、わたしが、靴ひもを結び直させていたからかもしれない。

わたしが、きびしくしていられたのは、エリックが、あとで娘を笑わせてくれたからだ。

二人とも、地味な、港の人間だった。

一人は冷たく、一人はあたたかかった。

でも、どちらか一人だけでは、娘は、海から帰ってこなかった。

父の話だけでは、娘は、海を好きになっても、帰ってこられなかったかもしれない。

母の結び目だけでは、娘は、海を好きにならなかったかもしれない。

わたしは、エリックの古い写真を見た。

あの人は、いつものように、笑っていた。

あなた、知っていたのね、と、わたしは言った。

エリックは、亡くなる前の年に、一度だけ、言ったことがあった。

おれは、おまえの結び目の上で、笑っていたんだよ。

そのときは、何のことか、わからなかった。

エピローグ

春になって、白夜が始まった。

ある日、イングリッドが、小さな女の子を連れて、網小屋に来た。

船員の娘で、七つになるという。

父親は、嵐の夜、イングリッドの船に乗っていた若い船員の一人だった。

網の結び方を、教えてほしいんだって。

わたしは、女の子を、となりに座らせた。

使い古した網の、破れたところを、見せた。

網の目は、一つずつは小さいけれど、全部そろって、魚を受けとめるのよ。

ここに糸を通して、こう結ぶの。

女の子は、小さな指で、一度、結んだ。

それから、わたしの顔を見上げた。

わたしは、少しきびしい顔をして、言った。

もう一度。二度結ぶのよ。

女の子は、うなずいて、もう一度、結んだ。

横で、イングリッドが、父親そっくりの顔で、笑っていた。

ソウルミッション358

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