二人担任
冷たい灰と、あたたかい灰だった

朗読で聴く
第一章 ひよこ組
六十になった。
関西の、川ぞいの小さな町の保育園で、三十年、保育士をしてきた。
この春で、退職する。
三十年のうち、二十八年、同じ相手と、二人で一つの組を持ってきた。
ひよこ組。二歳の子どもたちの組だ。
二十人の子どもたちを、二人で見る。
朝、泣きながらお母さんと別れる子もいれば、走ってきて飛びついてくる子もいる。
おむつを替え、ご飯を食べさせ、昼寝の背中をとんとんする。
毎日、同じことの繰り返しだ。
相方は、春子先生という。
丸い顔の、よく笑う人だ。
わたしより、一つ上で、去年、先に退職した。
二人担任は、ふつう、何年かで組み替えになる。
でも、わたしたちは、なぜか、ずっと一緒だった。
園長先生が、あなたたちは、二人で一つだからね、と言っていた。
わたしは、それが、ほめ言葉なのかどうか、わからなかった。
わたしは、独り身だ。
若いころ、一度だけ、結婚を考えた人がいた。
でも、保育園をやめてほしいと言われて、わたしは、やめなかった。
第二章 やさしい先生と、こわい先生
春子先生は、やさしい人だった。
泣いている子がいると、すぐに抱き上げて、ひざにのせた。
だいじょうぶ、だいじょうぶ、と、ゆっくり背中をなでた。
子どもたちは、みんな、春子先生が好きだった。
お迎えに来たお母さんたちも、春子先生と話して、笑って帰っていった。
わたしは、こわい先生だった。
危ないことをした子は、その場で、しかった。
高いところに登った子。友だちをたたいた子。道に飛び出した子。
しゃがんで、目を見て、だめ、と言った。
泣いても、すぐには、抱き上げなかった。
なぜだめなのか、もう一度、短く言った。
それから、子どもが自分で立ち上がるまで、そばで待った。
子どもたちは、わたしの顔を見ると、少し、背すじをのばした。
お母さんたちの中には、わたしに、何も言わずに帰る人もいた。
連絡帳にも、春子先生には、ありがとうございます、と書かれ、わたしには、何も書かれなかった。
運動会の写真にも、春子先生は、子どもたちに囲まれて写っていた。
わたしは、いつも、写真のはしで、子どもの手を引いていた。
春子先生は、あたたかい先生。
わたしは、冷たい先生。
職員室でも、そう言われていた。
そのとおりだと、わたしも思っていた。
子どもたちが好きなのは、春子先生で、わたしではない。
わたしは、春子先生のとなりで、こわい役をしているだけだった。
第三章 最後の日
退職の日、職員室で、小さな会をしてもらった。
花束をもらって、頭を下げた。
春子先生のときは、みんな、泣いていた。
わたしのときは、みんな、拍手をしてくれた。
それで、いいと思った。
花束を持って、ひよこ組の部屋に戻った。
春子先生がいなくなってからの一年、わたしは、若い先生と組を持った。
若い先生は、やさしかった。
でも、春子先生とは、どこか、ちがった。
夕方、最後のお迎えが終わって、わたしは、ひよこ組の部屋を片づけた。
小さないすを、一つずつ、ふいた。
三十年、毎日、ふいてきたいすだった。
いすの背には、子どもたちが貼ったシールの跡が、うすく残っていた。
そのとき、園の玄関で、だれかが、わたしの名前を呼んだ。
ふり返ると、若い女の人が、立っていた。
二十八くらいに見えた。
紺色の上着を着て、少し、緊張した顔をしていた。
先生、わたし、ゆいです。
二十六年前、ひよこ組にいた、ゆいです。
わたしは、すぐに、思い出した。
すべり台のてっぺんから、何度も、飛び降りようとした子だった。
一日に、五回も六回も、わたしは、すべり台の下まで走っていった。
だめ、と言うと、ゆいは、わたしをにらんで、それから、泣いた。
泣いたゆいを抱き上げるのは、いつも、春子先生だった。
第四章 ゆいの話
ゆいは、今、町の病院で、看護師をしていると言った。
小児科で、小さい子どもたちを、見ているという。
先生に、言いたいことがあって、来ました。
ゆいは、少し、言いにくそうに、続けた。
わたし、子どものころ、先生が、こわかったです。
すべり台のてっぺんで、先生に、だめって言われるのが、こわかった。
でも、母に聞いたんです。
わたしが、一度、本当に落ちかけたとき。
先生が、走ってきて、下で受けとめてくれたって。
先生、ずっと、すべり台の下にいたんですよね。
わたしは、何も言えなかった。
覚えていなかった。
すべり台の下に立つのは、毎日の、あたりまえのことだった。
子どもが上にいるあいだは、ずっと、下で手を広げていた。
春子先生が、ほかの子をだっこしているあいだも。
ゆいは、続けた。
春子先生は、だっこしてくれた。
先生は、だめって言ってくれた。
わたし、二人いたから、安心して、泣けたんです。
今、病院で、わたしも、小さい子に、だめって言います。
点滴を、抜こうとしたときとか。
そのあとで、ちゃんと、だっこします。
先生と、春子先生の、両方を、やっているんです。
ゆいは、わたしに、小さな紙袋を渡した。
中には、ひよこの形をした、小さなキーホルダーが、二つ入っていた。
一つは、春子先生に、渡してください。
第五章 冷たい灰と、あたたかい灰だった
ゆいが帰ってから、わたしは、ひよこ組の部屋に、一人で座った。
小さないすが、二十脚、並んでいた。
三十年、わたしは、自分を冷たい先生だと思ってきた。
子どもに好かれるのは、春子先生で、わたしは、こわい役だと。
でも、子どもたちは、二人いたから、安心できた。
春子先生のひざが、あたたかかったのは、わたしが、すべり台の下にいたからだ。
わたしが、だめと言えたのは、春子先生が、あとで抱きしめてくれたからだ。
二人とも、地味な保育士だった。
一人は冷たく、一人はあたたかかった。
でも、どちらか一人だけでは、ひよこ組は、あたたかくならなかった。
園長先生の言葉を、思い出した。
あなたたちは、二人で一つだからね。
あれは、ほめ言葉だったのだ。
二人のうち、どちらかが欠けても、ひよこ組は、ひよこ組でなかった。
わたしは、春子先生に、電話をかけた。
今日、ゆいちゃんが来たのよ、と言った。
春子先生は、電話のむこうで、しばらく、黙っていた。
それから、知ってたわよ、と言った。
あなたがいたから、わたし、やさしくしていられたのよ。
三十年、ずっと、知ってた。
エピローグ
退職して、ひと月たった。
朝、目がさめると、まだ、保育園に行く支度をしそうになる。
ある日、春子先生と、駅前の喫茶店で会った。
二人とも、すっかり、おばあさんになっていた。
春子先生は、コーヒーに、砂糖を三つ入れた。
わたしは、何も入れなかった。
それを見て、二人で、笑った。
春子先生のかばんには、ゆいのひよこのキーホルダーが、ついていた。
わたしのかばんにも、同じのが、ついていた。
帰り道、公園の前を通った。
すべり台のてっぺんに、小さな男の子が、立っていた。
わたしは、思わず、すべり台の下に、歩いていった。
男の子のお母さんが、すぐ横にいるのが見えた。
わたしは、少し笑って、そのまま、下に立っていた。
男の子が、すべり降りてくるまで。
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