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生成りののれん

真っ白では、なかった

生成りののれん

朗読で聴く

第一章 のれん

七十二になった。

北関東の、川ぞいの小さな町で、食堂をやっている。

駅から少し歩いた、古い商店街のはずれだ。

となりは閉まったままの金物屋で、向かいは小さな床屋だ。

朝は、近くの工場に行く人たちが、急いで食べていく。

カウンターが八席と、小さなテーブルが二つ。

出すものは、定食と、うどんと、カレーくらいしかない。

店を開いて、四十年になる。

店の入り口には、のれんが一枚、かかっている。

白いのれんではない。

漂白していない、生成りの木綿のままの、少しきいろっぽいのれんだ。

字も、何も、染めていない。

四十年のあいだに、三回、新しくした。

三回とも、同じ生成りの木綿にした。

朝、六時半に、のれんを出す。

夜、八時に、のれんをしまう。

それを、四十年、毎日、繰り返してきた。

朝は四時に起きて、米をとぎ、だしを取る。

みそ汁は、煮干しと昆布で、毎朝、作り直す。

カレーは、月曜と木曜にだけ、大きな鍋で煮る。

派手な料理は、一つも無い。

でも、四十年、同じ味を出してきた。

第二章 まっとうではない

わたしは、まっとうな人間ではない。

十九で、家を飛び出した。

父とけんかして、そのまま、東京へ出た。

二十代は、ろくなことをしなかった。

ばくちを覚え、借金をつくり、人に頭を下げてばかりいた。

人には言えないような仕事も、した。

三十のとき、母が倒れたと聞いて、町に帰ってきた。

母は、何も聞かずに、わたしを家に入れてくれた。

母は、駅前で小さな飲み屋をやっていた。

わたしが帰った晩、母は、黙って、みそ汁を一杯出した。

それが、うちの食堂のみそ汁の、もとになった。

母が死んだあと、家の一階を直して、この食堂を開いた。

町の人は、わたしのことを知っていた。

あそこの息子は、東京でぐれていたらしい。

そういう話は、小さな町では、すぐに回る。

開いたばかりのころ、客は、ほとんど来なかった。

のれんを白にしなかったのは、そのせいかもしれない。

真っ白なのれんを出すのは、なんだか、うそをつくような気がした。

まっとうな店です、という顔をするようで、いやだった。

わたしは、真っ白では、なかったからだ。

商店街の人には、何度か言われた。

あんたの店ののれん、汚れて見えるよ。

白いのに替えたら、客も入るのに。

わたしは、替えなかった。

でも、なぜ替えないのかは、だれにも言わなかった。

妻をもらうことも、無かった。

まっとうでない男のところに、来てくれる人はいないと思った。

店の二階で、一人で寝起きしてきた。

第三章 来たのは

客は、少しずつ、来るようになった。

でも、来る客は、少し変わっていた。

学校に行かなくなった、中学生。

家に帰りたくない、高校生。

仕事が続かない、若い男。

夫から逃げてきた、子ども連れの女の人。

刑務所から出てきたばかりの、年寄り。

そういう人たちが、なぜか、うちののれんをくぐった。

わたしは、何も聞かなかった。

どこから来たのかも、なぜ一人なのかも。

ただ、定食を出して、お茶をついだ。

冬の夜は、ストーブのそばの席を空けておいた。

夏の夜は、冷たい麦茶を、何杯でもついだ。

閉店の八時を過ぎても、帰りたくない子がいれば、のれんだけしまって、店の明かりはつけておいた。

お金が無い子には、ご飯の大盛りを、黙って出した。

皿を洗ってくれたら、それでいい、と言った。

洗い方がへたでも、何も言わなかった。

割れた皿は、黙って、新しいのを買った。

まっとうな店ではないと、町の人は言った。

あそこは、行き場のない者が集まる店だ。

そう言われても、わたしは、言い返さなかった。

自分が、まっとうな人間ではないのだから。

まっとうな客が来ないのは、当たり前だと思っていた。

第四章 最後の日

この春、わたしは、店を閉めることにした。

ひざが悪くなって、立っているのが、つらくなった。

最後の日の朝も、いつもと同じに、のれんを出した。

昼すぎ、背広を着た男の人が、一人で入ってきた。

五十くらいに見えた。

カウンターに座って、生姜焼き定食を頼んだ。

食べ終わると、男の人は、言った。

おじさん、ぼくのこと、覚えてないでしょう。

三十五年前、中学を出て、行くところが無かったとき。

毎晩、ここで、ご飯を食べさせてもらったんです。

わたしは、男の人の顔を見た。

かすかに、覚えがあった。

いつも、カウンターのいちばん奥に座っていた子だ。

夏でも、長いそでのシャツを着ていた。

一度も、自分の名前を言わなかった。

わたしも、聞かなかった。

今は、隣の市で、小さな会社をやっています、と男の人は言った。

それから、入り口のほうを見た。

あの日、ぼくがこの店に入ってこられたのは、のれんのせいなんです。

商店街の、ほかの店は、どこも真っ白なのれんだった。

ぼくみたいなのが、入っちゃいけない気がした。

でも、ここののれんだけは、白くなかった。

ここなら、入ってもいいって、思えたんです。

夕方になると、ほかにも、人が来た。

子どもを連れた女の人。

作業着の、若い男。

みんな、昔、ここで食べた人たちだった。

だれかが、昔の常連に、知らせてくれたらしい。

生姜焼きも、カレーも、夕方には売り切れた。

わたしは、八時を過ぎても、のれんをしまわなかった。

店は、四十年でいちばん、いっぱいになった。

カウンターに座りきれない人は、外に立って、待っていた。

第五章 真っ白では、なかった

夜、最後の客が帰ってから、わたしは、のれんの前に立った。

四十年、わたしは、自分が真っ白でないことを、恥じてきた。

だから、のれんも、白にできなかった。

汚れて見えると言われても、替えなかった。

うそをつかないことだけが、わたしにできることだった。

でも、そののれんを、くぐった人たちがいた。

真っ白なところには、入っていけない人たちだった。

白くなかったから、入ってこられた。

まっとうでなかった、わたしの店だったから。

何も聞かれないと、わかったから。

わたしは、のれんの布に、手をふれた。

四十年ぶんの、手あかと、湯気と、油のにおいがした。

生成りの布は、少しも白くなっていなかった。

でも、それで、よかったのだと思った。

真っ白な布だったら、だれも、くぐらなかったかもしれない。

わたしは、のれんを、いつもより、ゆっくりと、しまった。

二階に上がる前に、カウンターのいちばん奥の席を、ふいた。

あの子が、毎晩、座っていた席だった。

エピローグ

ひと月後、あの男の人から、電話が来た。

会社の若い人たちのために、社員食堂を作ることにしたという。

入ってくる子の中には、行き場の無かった子も、いるんです。

入り口に、のれんを、かけたいんです。

おじさんの店と、同じのを。

わたしは、町の布屋に行った。

布屋の主人は、またその布かい、と笑った。

四十年、同じ布ばかり買う客は、あんただけだよ。

漂白していない、生成りの木綿を、一反、買った。

家に帰って、古いミシンを出した。

まっすぐに、ぬった。

字も、何も、染めなかった。

できあがったのれんを、窓の光にかざしてみた。

少しきいろっぽい、白くない布だった。

わたしは、それを、ていねいにたたんで、送った。

ソウルミッション358

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