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端切れの箱

どれも、一つにつながっていた

端切れの箱

朗読で聴く

第一章 茶箱

七十八になった。

北陸の、川ぞいの小さな町に住んでいる。

冬は、雪が深く、家の中で、針を持つ時間が長い。

古い木の家で、一人で暮らしている。

夫は、六年前に、七十六で死んだ。

娘の洋子は、五十二で、となりの市に住んでいる。

押し入れの奥に、古い茶箱が一つある。

中には、布の切れ端が、ぎっしり入っている。

夫の作業着の、肩のところ。

洋子が七つのときに着た、朝顔の浴衣のそで。

わたしの母の、紺のかすりの着物の、すその布。

孫の美咲が、小学校で着た、体操服のえり。

どれも、着られなくなった服から、切り取ったものだ。

大きいのも、小さいのもある。

手のひらくらいのものもあれば、指一本ぶんしかないものもある。

嫁いできた年から、五十五年、わたしは、それを、ためてきた。

母に、言われていたのだ。

布は、最後まで、使い切るもんだよ。

でも、何に使うのかは、母も、教えてくれなかった。

だから、わたしは、ただ、切って、しまってきた。

服を捨てる前に、わたしは、いつも、はさみを持った。

いちばんよく着たところを、四角く、切り取る。

ひじや、ひざや、えりのあたりだ。

着た人の形が、いちばん残っているところだった。

切り取った布は、アイロンをかけて、たたんで、茶箱に入れた。

残りの服は、ぞうきんにして、使い切った。

第二章 ばらばらの切れ

家の者は、その茶箱を、ゴミ箱と呼んだ。

夫は、ときどき、ふたを開けて、笑った。

おまえ、こんなもん、どうするんだ。

わたしにも、わからなかった。

洋子は、結婚して家を出るとき、言った。

お母さん、もう捨てたら。場所を取るだけでしょう。

わたしは、捨てなかった。

でも、なぜ捨てないのかは、うまく言えなかった。

ふり返ると、わたしの暮らしも、あの茶箱と同じだった。

朝、ご飯をたいて、夫を送り出す。

洗濯をして、つくろい物をして、夕方には、また、ご飯をたく。

洋子の熱。夫の腰の痛み。母の入院。

毎日、目の前の小さなことを、一つずつ片づけてきただけだ。

大きなことは、何もしなかった。

人に話せるようなことは、何も無い。

切れ端みたいな日が、ばらばらに、五十五年ぶん、たまっているだけ。

夫が死んだ年の冬、わたしは、茶箱を、開けてみた。

夫の作業着の切れが、いちばんはじめに、目に入った。

油のしみが、まだ、うすく残っていた。

わたしは、それを、しばらく、ひざにのせていた。

それから、また、ふたをした。

切れ端は、切れ端のままだった。

洋子は、ときどき、電話で言った。

お母さん、たまには、旅行にでも行ったら。

わたしは、行かなかった。

遠くへ行きたいと思ったことも、あまり無かった。

毎日の小さなことを片づけているうちに、一日が終わった。

それを、五十五年、繰り返しただけだった。

第三章 美咲の頼み

去年の秋、孫の美咲が、一人で、たずねてきた。

美咲は、二十四で、町の縫製の工場で働いている。

来年の春、結婚することになっていた。

ばあちゃん、お願いがあるの。

美咲は、押し入れのほうを見た。

あの茶箱、わたしに、ちょうだい。

わたしは、驚いた。

あんなもの、どうするの。

まだ、ないしょ。

美咲は、笑って、茶箱を、車に積んでいった。

それから、半年、美咲は、何も言ってこなかった。

わたしも、聞かなかった。

ただ、一度だけ、電話が来た。

ばあちゃん、紺のかすりの布、あれ、だれの着物だったの。

わたしの母のよ。あんたの、ひいおばあちゃん。

そうなんだ、と言って、美咲は、電話を切った。

何のために聞いたのかは、わからなかった。

どうせ、捨てるのだろうと思っていた。

あの子の家に置くのは、恥ずかしいくらいの、古い布だった。

ゴミに出すのを、わたしに見せたくなかったのだろう。

そう思うと、少し、さびしかった。

でも、それで、いいのだと思った。

わたしが死んだら、どうせ、だれかが捨てる物なのだから。

第四章 一枚の布

結婚式の、十日前だった。

美咲が、大きな風呂敷包みを抱えて、来た。

居間のたたみの上で、美咲は、包みをほどいた。

中から、一枚の、大きな布が出てきた。

広げると、たたみ二枚ぶんあった。

ふちは、夫の作業着の、紺の布で、ぐるりと囲んであった。

わたしは、息を止めた。

あの茶箱の切れ端が、全部、一枚に、ぬい合わされていた。

夫の作業着の、紺。

洋子の浴衣の、朝顔。

母のかすり。美咲の体操服の、白いえり。

大きいのも、小さいのも、すきまなく、となりどうしに、並んでいた。

ばあちゃん、と美咲が言った。

一つも、余らなかったよ。

どの切れも、どれかの切れと、ちゃんとつながったの。

指一本ぶんの切れも、ちゃんと、入るところがあった。

わたしは、布の上に、手をのばした。

夫の作業着の切れの、すぐとなりに、美咲の体操服のえりがあった。

夫は、美咲が小学校に上がる前に、腰を悪くして、あまり遊んでやれなかった。

母のかすりのとなりには、洋子の浴衣があった。

母は、洋子が三つのときに死んだ。

会えなかった人も、すれちがった人も、みんな、となりにいた。

これ、結婚したら、二人で使うの。

美咲は、布のはしを、そっとなでた。

ばあちゃんが、全部、取っておいてくれたから、できたんだよ。

美咲は、半年、仕事から帰ると、毎晩、少しずつぬったという。

どこに、どの切れを置くか、何度も、並べかえたの。

でも、最後は、どれも、入るところが決まってた。

わたしは、美咲の指先を見た。

針のあとが、いくつも、小さく残っていた。

第五章 どれも、一つにつながっていた

美咲が帰ったあと、わたしは、一人で、布をもう一度広げた。

夕方の光が、たたみの上に、ななめに入っていた。

五十五年、わたしは、切れ端を、ばらばらにしまってきた。

何に使うのかも、わからないまま。

ゴミ箱と、笑われながら。

自分の毎日も、同じだと思ってきた。

つくろい物と、ご飯と、看病と。

小さなことが、ばらばらにあるだけで、何もまとまらない。

でも、広げてみると、浮いている切れは、一つも無かった。

どの切れも、どれかと、つながっていた。

洋子の熱を見た夜は、夫の腰をさすった夜と、つながっていた。

母の着物をほどいた日は、美咲の体操服にゼッケンをつけた日と、つながっていた。

一つずつは、ただの切れ端だった。

でも、一つも捨てなかったから、全部が、一枚の布になった。

母の言葉を、思い出した。

布は、最後まで、使い切るもんだよ。

母は、これを、知っていたのかもしれない。

わたしは、布を、ていねいにたたんだ。

思っていたより、ずっと、重かった。

エピローグ

春、美咲は、結婚した。

式の前の日、ドレスのすそを、少し上げることになった。

美咲の頼みで、わたしが、針を持った。

切り落とした白い布が、ひざの上に、少し残った。

わたしは、それを、捨てなかった。

家に帰って、押し入れの奥を見た。

茶箱があったところは、からっぽだった。

わたしは、台所から、空いたお菓子の缶を、持ってきた。

その中に、白い切れ端を、一枚、入れた。

ふたをして、押し入れの奥に、しまった。

また、一枚目からだ。

わたしは、少し笑って、ふすまを閉めた。

ソウルミッション358

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