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二時間おきの足音

同じ間隔で、まっすぐ引いた

二時間おきの足音

朗読で聴く

第一章 夜の病棟

五十三になった。

県の北の町の、小さな病院で、看護助手をしている。

二十三のときから、三十年になる。

夫と、高校生の息子と、三人で暮らしている。

わたしの仕事は、ほとんどが、夜勤だ。

夜の八時に病院に入って、朝の九時まで働く。

夜の病棟の仕事は、決まっている。

二時間おきに、全部の病室を回る。

夜の十時、十二時、二時、四時、六時。

一部屋ずつ、ドアを少し開けて、患者さんの息を確かめる。

点滴の落ち方を見て、布団を直して、次の部屋へ行く。

三十年、わたしは、それを、一度も、ずらしたことがない。

十時なら、十時ちょうど。

二時なら、二時ちょうど。

ほかの人は、忙しいと、少し遅れる。

暇だと、少し早く回る。

わたしは、時計を見て、ちょうどの時刻に、ナースステーションを出る。

病棟は、八階建ての古い建物の、七階と八階だ。

一つの階に、病室が十二ある。

全部回ると、ちょうど、四十分かかる。

廊下の明かりは、夜は、半分に落としてある。

わたしは、その薄暗い廊下を、いつも同じ速さで歩く。

急ぐと、足音が大きくなって、眠っている人を起こしてしまう。

ゆっくりすぎると、次の時刻に、間に合わなくなる。

第二章 機械みたい

若い看護師さんたちは、わたしのことを、少し笑った。

佐藤さんって、時計みたいですよね。

機械みたいに、きっちり回る。

悪い意味ではないのだと思う。

でも、わたしは、少し、さびしかった。

看護師さんたちは、患者さんと、よく話をする。

冗談を言って、笑わせる。

わたしは、話すのが、上手ではなかった。

夜中の病室で、患者さんが目を覚ましていても、何を言えばいいのか、わからなかった。

だから、ただ、決まった時刻に回って、決まったことをした。

息を確かめて、布団を直して、次の部屋へ。

それだけだった。

三十年、同じことを、同じ間隔で。

家に帰ると、息子が言った。

母さんの仕事って、毎日、同じだね。

わたしは、うなずいた。

同じだった。

わたしは、病院で、だれの記憶にも残らない人間なのだと思っていた。

看護師さんの名前は、患者さんが覚えている。

夜中に足音だけで通りすぎる看護助手の名前は、だれも知らない。

朝、日勤の人たちが来ると、わたしは、黙って、ロッカーで着替える。

病院の裏口を出ると、朝の光が、まぶしい。

バス停で、通勤の人たちとすれちがう。

みんな、これから一日を始める人たちだ。

わたしは、一日を終えて、家に帰る。

三十年、ずっと、その反対の流れの中を、歩いてきた。

第三章 七〇八号室

去年の秋から、七〇八号室に、長く入院しているおばあさんがいた。

八十八の、トメさんという人だった。

心臓が弱くて、夜、なかなか眠れない人だった。

わたしが二時に回ると、トメさんは、いつも、目を開けていた。

わたしは、何も言わずに、布団を直した。

トメさんも、何も言わなかった。

ただ、わたしが部屋を出るとき、小さく、うなずいた。

ある夜、二時に回ったとき、トメさんが、小さな声で、言った。

もう、二時ね。

わたしは、驚いて、うなずいた。

時計は、病室の壁の、トメさんからは見えない場所にあった。

どうしてわかったのだろうと、少し不思議に思った。

でも、何も聞かなかった。

それが、半年続いた。

この春、トメさんは、病院で、静かに亡くなった。

夜明け前の、四時から六時までの、あいだだった。

四時に回ったとき、トメさんは、いつものように、目を開けて、うなずいた。

六時に回ったとき、もう、息をしていなかった。

わたしは、それを、看護師さんに伝えた。

それから、いつものように、次の部屋へ行った。

手が、少し、震えていた。

第四章 足音の時計

一週間後、トメさんの娘さんが、病院に来た。

六十くらいの、やさしそうな人だった。

娘さんは、ナースステーションで、言った。

夜勤の、佐藤さんという方は、いらっしゃいますか。

わたしは、驚いて、前に出た。

娘さんは、わたしの手を、両手でにぎった。

母が、いつも、話していたんです。

夜中に、二時間おきに、足音が来るって。

十時、十二時、二時、四時。

一度も、遅れたことがないって。

母は、眠れない夜、その足音で、時間がわかったんだそうです。

ああ、もう二時だ。あと二時間で、また来る。

そう思うと、こわくなかったって。

あの足音は、時計より正確だって、笑ってました。

娘さんの目に、涙がたまっていた。

母が亡くなった朝も、四時に、佐藤さんが来てくれたんですよね。

母は、きっと、あと二時間で、また来るって、思いながら、眠ったんだと思います。

ありがとうございました。

わたしは、何も言えなかった。

頭を下げることしか、できなかった。

娘さんは、帰りぎわに、もう一つ、言った。

母が、言っていたんです。

あの人は、何もしゃべらないけど、いちばん、そばにいてくれる人だって。

わたしは、廊下で、娘さんを見送った。

それから、ロッカーに戻って、少しだけ、泣いた。

三十年で、初めて、仕事のことで泣いた。

第五章 同じ間隔で、まっすぐ引いた

その夜も、わたしは、十時ちょうどに、ナースステーションを出た。

廊下は、暗くて、静かだった。

わたしは、自分の足音を、初めて、聞いた。

三十年、わたしは、同じ間隔で、同じ廊下を歩いてきた。

機械みたいだと、言われてきた。

話すのが下手で、だれの記憶にも残らないと思っていた。

でも、トメさんは、わたしの足音を、数えていた。

眠れない夜の、暗闇の中で。

一本ずつは、ただの足音だ。

でも、同じ間隔で、ずれずに続いたから、それは、時計になった。

時計になったから、夜が、こわくなくなった。

もし、わたしが、忙しい夜に遅れて、暇な夜に早く回っていたら。

トメさんは、時間がわからなかっただろう。

ずれなかったことが、トメさんの夜を、照らしていたのだ。

ほかの病室にも、眠れない人がいる。

その人たちも、きっと、わたしの足音を、聞いている。

わたしは、七〇八号室の前を通りすぎた。

新しい患者さんが、眠っていた。

わたしは、ドアを少し開けて、息を確かめた。

エピローグ

次の週、新しく入った若い看護助手の子に、夜の仕事を教えることになった。

二十になったばかりの、緊張した顔の子だった。

わたしは、ナースステーションの時計を、指さした。

二時間おきに、全部の部屋を回るの。

十時なら、十時ちょうど。

忙しくても、暇でも、ずらさないで。

若い子は、不思議そうな顔をした。

ちょうどじゃないと、だめなんですか。

わたしは、少し考えて、答えた。

眠れない人が、あなたの足音で、時間を数えているから。

若い子は、目を丸くした。

それから、真剣な顔で、時計を見た。

十時ちょうど、わたしたちは、二人で、ナースステーションを出た。

暗い廊下に、二人分の足音が、同じ間隔で、響いた。

一つめの病室のドアを、少しだけ開けた。

中のおじいさんが、目を開けて、こちらを見た。

それから、安心したように、また目を閉じた。

十時、ちょうどだった。

ソウルミッション358

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