定規の田んぼ
同じ間隔で、まっすぐ引いた

朗読で聴く
第一章 まっすぐな苗
七十六になった。
東北の、山にかこまれた小さな村に住んでいる。
村の田んぼは、山のすそから川まで、階段のように並んでいる。
わたしは、二十のときに、この村の、お米を作る農家に嫁いできた。
それから五十六年、毎年、田植えをしてきた。
夫は、八年前に死んだ。
今は、息子の正樹と二人で、田んぼをやっている。
正樹は、五十二になる。
わたしの田植えは、村で、少し変わっている。
苗の列が、まっすぐなのだ。
縦の列も、横の列も、物差しで測ったように、同じ間隔で並んでいる。
嫁いできた年、しゅうとに、田植えのやり方を教わった。
苗と苗の間は、手のひらを広げて、親指から小指まで。
列と列の間は、それに、もう指二本。
しゅうとは、そう言って、田んぼに縄を張った。
縄にそって、同じ間隔で、苗を一本ずつ植えていく。
しゅうとは、縄の端を持って、あぜに立った。
縄は、ぴんと張らんと、意味が無い。
ゆるんだ縄にそって植えると、列が、少しずつ、曲がっていく。
一本目が一センチずれると、十本目では、十センチずれる。
しゅうとが教えてくれたのは、それだけだった。
わたしは、それを、五十六年、一度も変えなかった。
第二章 定規ばあちゃん
村の人たちは、わたしの田んぼを見て、笑った。
また、定規で引いたような田んぼだね。
あそこまで、まっすぐにせんでも、米なら、ちゃんととれるよ。
いつのころからか、わたしは、定規ばあちゃんと呼ばれるようになった。
機械で植えるようになってからも、わたしは、縄を張った。
田植え機の通るすじを、縄に合わせて、まっすぐにした。
機械が少しずれると、わたしは、田んぼに入って、手で植え直した。
夫は、ときどき、あきれたように言った。
おまえの田んぼは、面白みが無いなあ。
毎年、同じ顔をしとる。
たしかに、そうだった。
わたしの田んぼは、五十六年、毎年、同じ顔をしていた。
まっすぐな線が、同じ間隔で、並んでいるだけ。
息子の正樹も、若いころ、言ったことがある。
母ちゃんのやり方は、機械みたいだ。
わたしは、言い返さなかった。
自分でも、そう思っていたからだ。
わたしには、ほかの人のような工夫も、新しい考えも無かった。
ただ、教わったとおりに、同じ線を、同じ間隔で、引いてきただけだった。
田植えの日の朝は、いつも、同じだった。
四時に起きて、縄を巻いた束を、肩にかける。
まだ暗い田んぼに入ると、水が、足首まで冷たい。
あぜに杭を打って、縄の端を結ぶ。
反対の端まで歩いて、縄を張る。
それを、何十回も、繰り返す。
近所の人が、田植え機で、さっさと植えていくのを、横目で見ながら。
退屈な一生だったのかもしれない。
第三章 空から見た田んぼ
この春、東京の大学に行っている孫の翔太が、帰ってきた。
翔太は、二十一で、写真の勉強をしている。
小さなドローンという機械を、持って帰ってきた。
空の上から、写真を撮る機械だ。
田植えが終わった次の日の夕方、翔太は、村の田んぼを、空から撮った。
その夜、翔太が、写真を見せてくれた。
居間のテレビに、大きく映した。
わたしは、息を止めた。
夕方の空が、水を張った田んぼに、映っていた。
山のすそから川まで、階段のような田んぼが、全部、光っていた。
その中に、一枚だけ、ちがう田んぼがあった。
細い、まっすぐな苗の列が、同じ間隔で、並んでいる。
列と列の間の水に、夕日が当たって、細い光の線が、何十本も、まっすぐに走っていた。
まるで、だれかが、光で、線を引いたようだった。
わたしの田んぼだった。
翔太が、写真を少しずつ、大きくしていった。
近くで見ると、ただの苗の列だった。
水と、緑の苗と、泥。
毎年、わたしが、腰をかがめて見てきた、いつもの田んぼだ。
でも、少し離れると、また、光の線になった。
わたしは、五十六年、自分の田んぼを、空から見たことが無かった。
第四章 風の通り道
翔太が、言った。
ばあちゃんの田んぼだけ、光の線になってるんだよ。
ほかの田んぼは、苗の列がゆがんでるから、光が、まだらになる。
ばあちゃんのは、間隔が全部同じだから、光も、全部同じ間隔で、並ぶんだ。
大学の先生に見せたら、これは、すごいって言われた。
機械でも、ここまでまっすぐには植えられないって。
正樹が、写真をのぞきこんで、少し黙った。
それから、言った。
母ちゃん、知っとるか。
村の田んぼで、毎年、病気が一番少ないのは、うちなんだ。
農協の人が、前に言っとった。
列がまっすぐで、間隔がそろっとるから、風が、田んぼの奥まで、まっすぐ通る。
だから、稲がむれんで、病気にならん。
おれは、それを聞いて、母ちゃんの植え方を、そのまま続けとるんだ。
わたしは、驚いて、正樹を見た。
正樹が、わたしのやり方を続けていたことを、わたしは、知らなかった。
機械みたいだと言っていた子が。
正樹は、照れくさそうに、頭をかいた。
隣の田んぼの山本さんも、去年から、縄を張っとるよ。
母ちゃんのまねして。
山本さんの田んぼも、今年は、病気が出んかったそうだ。
わたしは、何も言えなかった。
翔太が、わたしの顔を見て、笑った。
ばあちゃん、定規ばあちゃんって、ほめ言葉だったんだね。
第五章 同じ間隔で、まっすぐ引いた
わたしは、その夜、なかなか眠れなかった。
翔太の写真が、目の奥に、残っていた。
五十六年、わたしは、同じ線を、同じ間隔で、引いてきた。
工夫も無く、新しいことも無く。
退屈で、機械みたいで、面白みの無い田んぼだと思っていた。
でも、空から見ると、その線は、光っていた。
一本だけなら、ただの苗の列だ。
でも、同じ間隔で、何十本もまっすぐに並んだから、光の線になった。
間隔がそろっていたから、風が通った。
風が通ったから、稲が病気にならなかった。
息子は、それを、黙って受け継いでいた。
隣の山本さんも、縄を張りはじめた。
ずれなかったことが、まわりの人の役に立っていたのだ。
しゅうとのことを、思い出した。
手のひらを広げて、親指から小指まで。
しゅうとは、無口な人だった。
でも、あの縄を張る手は、いつも、まっすぐだった。
わたしは、しゅうとの線を、五十六年、引き続けてきたのだと思った。
エピローグ
次の年の春、田植えの日が来た。
朝早く、わたしは、田んぼに縄を張った。
正樹が、反対の端を持った。
縄が、ぴんと、まっすぐに張られた。
そのとき、翔太が、あぜ道を走ってきた。
ばあちゃん、今年は、おれにも植えさせて。
わたしは、翔太に、苗を一束、渡した。
それから、翔太の手を取って、広げた。
苗と苗の間は、手のひら一つ。親指から小指まで。
翔太は、真剣な顔で、一本目の苗を植えた。
少し、曲がっていた。
わたしは、笑って、植え直してやった。
二本目は、まっすぐだった。
夕方、三人で、あぜに座って、田んぼを見た。
水に、夕日が映っていた。
細い光の線が、同じ間隔で、まっすぐに並んでいた。
翔太が植えた二本目の列も、その中に、ちゃんと入っていた。
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