記念誌
金色には、しなかった

朗読で聴く
第一章 閉山した町
八十になった。
九州の、山あいの小さな町に住んでいる。
昔は、炭鉱の町だった。
わたしが二十のとき、この町の炭鉱で働く人のところに嫁いできた。
夫は、坑内で石炭を掘る人だった。
長屋の一番端の家で、四人の子どもを育てた。
炭鉱は、わたしが三十八のときに、閉山した。
町の人の半分は、よその町へ出ていった。
夫は、町に残って、道路工事の仕事についた。
その夫も、十年前に、肺の病気で死んだ。
子どもたちは、みんな、町を出た。
長屋は、とっくに取り壊されて、今は草地になっている。
わたしは、町営住宅で、一人で暮らしている。
この春、町役場の若い人が、訪ねてきた。
町ができて、百年になるという。
記念の本を作るので、炭鉱のころの暮らしを、書いてほしいと言った。
長屋に住んでいた人で、今も町に残っているのは、もう、わたしだけなのだそうだ。
第二章 なつかしい思い出を
役場の人は、三十くらいの、まじめそうな男の人だった。
なつかしい思い出を、明るく書いてください、と言った。
みんなで助け合った、あたたかい暮らし、というような。
読む人が、昔はよかったと思えるような。
わたしは、うなずいた。
でも、その夜、台所のテーブルで、原稿用紙を前にして、ペンが止まった。
昔は、よかったのだろうか。
坑内の事故で、隣の家の旦那さんが死んだ朝のことを、思い出した。
サイレンが鳴って、長屋の女たちが、はだしで坑口まで走った。
わたしも、夫の名前を呼びながら、走った。
夫は、無事だった。
隣の奥さんは、その場に、座りこんで、動かなかった。
夫の咳のことも、思い出した。
毎晩、真っ黒なたんを吐いていた。
お金が無くて、子どもの靴を、冬まで買ってやれなかった年もあった。
閉山が決まった日、夫は、一晩じゅう、黙って酒を飲んでいた。
長屋は、壁一枚で、となりとつながっていた。
夜中に、となりの夫婦げんかが、全部、聞こえた。
うちのけんかも、全部、聞かれていた。
朝、井戸で顔を合わせると、おたがい、何も聞かなかったような顔をした。
風呂は、会社の共同風呂だった。
夕方になると、坑内から上がってきた男たちが、真っ黒な顔で、並んで入った。
お湯は、すぐに、墨のように黒くなった。
どれも、明るい思い出では、なかった。
でも、それを抜いたら、あの暮らしは、あの暮らしではなくなる。
第三章 金色にしない
わたしは、三日かけて、原稿を書いた。
明るいことも、書いた。
夏の夜、長屋の前に縁台を出して、みんなで涼んだこと。
お祭りの日に、子どもたちが、炭鉱住宅の路地を走り回ったこと。
でも、つらいことも、書いた。
事故の朝のこと。
隣の奥さんが座りこんだこと。
夫の黒いたん。
子どもの靴。
閉山の夜の酒。
それから、隣の奥さんのことも、書いた。
旦那さんが死んで、ひと月たったころ、わたしが、おかずを持っていった。
奥さんは、受け取らなかった。
あんたの旦那は生きとるけん、と言われた。
わたしは、何も言えずに、帰った。
次の日、奥さんのほうから、うちの戸をたたいた。
きのうは、ごめんね、と言って、わたしのおかずの皿を、洗って返しにきた。
それから、四十年、わたしたちは、友だちだった。
そういうことを、全部、書いた。
原稿を役場に持っていくと、若い人は、黙って読んだ。
それから、少し困った顔をした。
もう少し、明るいところだけに、できませんか。
わたしは、首をふった。
これを抜いたら、あの人たちが、いなくなってしまうけん。
若い人は、しばらく考えて、わかりました、と言った。
第四章 あの長屋の子どもたち
秋に、百周年の式があった。
町の体育館に、町を出た人たちも、たくさん帰ってきた。
記念の本が、一人に一冊ずつ、配られた。
式のあと、わたしのところに、何人かの人が、集まってきた。
五十から六十くらいの、男の人や、女の人だった。
みんな、あの長屋の子どもたちだった。
一人の女の人が、本を開いて、わたしの書いたところを指さした。
隣の奥さんの、娘さんだった。
おばちゃん、ありがとう。
うちの母ちゃん、事故のあと、座りこんどったとでしょう。
わたし、小さくて、覚えとらんかった。
母ちゃんは、そのこと、一度も話さんかった。
でも、これを読んで、わかった。
母ちゃんが、なんで、おばちゃんの皿を返しに行ったか。
あの人は、強い人やったっちゃね。
娘さんは、本を胸に抱えて、泣いた。
別の男の人も、言った。
ほかの人の文は、みんな、きれいな思い出ばっかりやった。
読んでも、うちの父ちゃんの顔が、浮かばんかった。
おばちゃんのを読んだら、父ちゃんが、咳しとるのが、聞こえた。
あの長屋が、ほんとに、あった気がした。
わたしは、何も言えなかった。
ある女の人は、共同風呂のことを書いてくれて、うれしかったと言った。
黒いお湯のこと、だれも覚えとらんと思っとった。
父ちゃんの背中、あのお湯で、流してやったことがあるとです。
男の人が、閉山の夜の酒のところを、読み上げた。
うちの父ちゃんも、あの夜、黙って飲んどった。
子どものころ、それが、こわかった。
でも、次の朝、父ちゃんは、また、仕事を探しに出ていった。
みんなが、わたしの手を、にぎった。
第五章 金色には、しなかった
思い出は、金色にすると、きれいになる。
でも、金色にした思い出の中には、だれも、いない。
苦いところも、つらいところも、塗りつぶしてしまうからだ。
あの長屋の人たちは、きれいな人たちではなかった。
けんかもしたし、泣きもしたし、ひどいことも言った。
でも、そのままの手ざわりで書いたから、あの人たちの顔が、浮かんだのだ。
わたしは、金色には、しなかった。
それで、よかったのだと思う。
夫の黒いたんのことを書いたのは、少し、つらかった。
でも、夫は、そういう人だった。
真っ黒なたんを吐きながら、毎朝、坑口へ行った人だった。
それを書かなかったら、夫は、どこにもいなくなる。
式の帰り、わたしは、長屋のあった草地に寄った。
夕方の日が、草の上に、低く差していた。
あのあたりが、うちの家。
あのあたりが、隣の奥さんの家。
何も残っていないのに、わたしには、全部、見えた。
縁台も、井戸も、黒いお湯の風呂も。
エピローグ
次の週、役場の若い人が、また訪ねてきた。
本が、足りなくなったという。
町を出た人たちから、あと五十冊ほしいと、電話が来ているそうだ。
みんな、おばちゃんのところを読みたいって、言ってます。
若い人は、少し照れくさそうに、笑った。
ぼく、明るいところだけにしてくださいって言って、すみませんでした。
わたしは、首をふった。
あんたが、そのまま載せてくれたけん。
若い人が帰ってから、わたしは、本を、仏壇の前に置いた。
夫の写真は、若いころのものだ。
炭で黒くなった顔で、笑っている。
きれいな写真では、ない。
でも、わたしは、この写真がいちばん好きだ。
お茶をいれて、写真の前に置いた。
あんたのこと、ちゃんと書いたよ、と言った。
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