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映写室

明るい部屋でも、奥は影だった

映写室

朗読で聴く

第一章 いちばん後ろの部屋

七十四になった。

ニュージーランドの南の島の、小さな町に住んでいる。

羊の牧場と、川と、山のあいだの町だ。

町には、映画館が一つある。

七十年前に建てられた、古い木の映画館だ。

客席は、二百ほどしかない。

わたしは、そこで、四十五年、映写技師をしてきた。

二十九のときから、ずっとだ。

映写室は、客席の、いちばん後ろの、上にある。

小さな窓が二つあって、一つから光を出し、一つからスクリーンを見る。

映画が始まると、客席の明かりが消える。

スクリーンだけが、明るくなる。

わたしは、そのうしろの、暗い部屋にいる。

だれからも、見えない。

映写室には、古い椅子が一つと、小さな机が一つある。

机の上には、ジューンが置いていった魔法びんがある。

毎晩、紅茶を入れて、持たせてくれたものだ。

四十五年、わたしは、その椅子に座って、光の向きを見てきた。

客席の笑い声は、壁ごしに、少し遅れて聞こえる。

泣いている音は、聞こえない。

それでも、ときどき、客席が、しんと静まりかえる夜があった。

妻のジューンは、二年前に死んだ。

映画館の売店で、四十年、ポップコーンを売っていた人だ。

子どもは、娘が一人。

オークランドで、学校の先生をしている。

第二章 暗い部屋の四十五年

四十五年、わたしは、町の人たちの顔を、ほとんど見なかった。

映画が始まる前に、映写室に上がる。

映画が終わって、客が帰ってから、下りてくる。

昔は、フィルムだった。

一本の映画は、五つか六つの巻に分かれていた。

二台の映写機を、交互に回す。

巻の終わりが近づくと、スクリーンの右の上の角に、小さな丸が出る。

それを合図に、もう一台に切り替える。

客が、切れ目に気づかないように。

夏の映写室は、機械の熱で、四十度近くなった。

冬は、指がかじかんだ。

フィルムが切れた夜もある。

暗い中で、手さぐりで、つなぎ直した。

客席から、口笛と、足を鳴らす音が聞こえた。

十年前、映画館もフィルムをやめて、機械が新しくなった。

今は、ボタン一つで、映画が最後まで流れる。

それでも、わたしは、毎回、映写室に上がった。

ピントを見て、音を見て、光が曲がっていないかを見た。

だれも、そこまで見ていないと、わかっていても。

客は、スクリーンを見る。

だれも、うしろを振り向かない。

それで、いいのだと思っていた。

でも、ときどき、思った。

四十五年、わたしは、暗い部屋にいただけではないか。

町の人たちが、笑ったり、泣いたりしている、その明るい場所に、わたしは、一度もいなかった。

ジューンは、売店から、客の顔を見ていた。

だれが、だれと来たか。

だれが、泣いて帰ったか。

ジューンは、それを、わたしに話してくれた。

わたしは、映写室で、それを、想像するだけだった。

第三章 七十周年の夜

この冬、映画館が、七十周年を迎えた。

館主のサラが、記念の上映会をやると言った。

昔の映画を、昔のフィルムで、一本だけ。

この町の人たちが、いちばんたくさん見た映画を。

サラは、四十二で、前の館主の娘だ。

子どものころ、映写室に入りたがって、よく、階段の下で待っていた。

わたしは、一度も、入れてやらなかった。

フィルムは燃えやすくて、危なかったからだ。

わたしは、物置から、古い映写機を出して、磨いた。

フィルムを、一巻ずつ、点検した。

当日、客席は、満員だった。

二百の席に、立ち見まで出た。

わたしは、いつもどおり、映写室に上がった。

客席の明かりが、ゆっくり、消えた。

わたしは、映写機を回した。

スクリーンに、光が、まっすぐ届いた。

古い映画が、始まった。

小さな丸が出るたびに、わたしは、映写機を切り替えた。

五回。

一度も、切れ目は、見えなかったはずだ。

映画が終わって、客席の明かりがついた。

わたしは、いつものように、映写機を止めた。

そのとき、下から、サラの声が聞こえた。

みなさん、うしろを向いてください。

第四章 振り向いた顔

わたしは、映写室の小さな窓から、客席を見下ろした。

二百の顔が、こちらを向いていた。

スクリーンではなく、いちばん後ろの、暗い窓を。

サラが、マイクで言った。

四十五年、わたしたちは、あの窓から来た光を、見てきました。

でも、あの窓のうしろの人を、だれも見たことがありません。

客席の前のほうで、年をとった男の人が、立ち上がった。

六十年前、この映画館で、初めてのデートをした、と言った。

その人と、今も、いっしょにいる。

若い女の人が、立ち上がった。

母が死んだ夜、一人で、ここに来た。

暗い中で、だれにも見られずに、二時間、泣けた。

中学生の男の子が、言った。

ぼく、大きくなったら、あの部屋で、働きたい。

拍手が、起こった。

客席の全部が、うしろを向いて、拍手をしていた。

わたしは、映写室の窓のうしろで、動けなかった。

サラが、手まねきをした。

下りてきて、と。

第五章 奥は影だった

わたしは、映写室の階段を、ゆっくり下りた。

客席の、いちばん後ろに立った。

明かりのついた客席は、まぶしかった。

四十五年、ここは、わたしの知らない場所だった。

でも、本当は、そうではなかった。

映画館は、暗くなければ、映画が映らない。

客席が暗いから、スクリーンが明るく見える。

そして、いちばん奥の、いちばん暗いところに、映写室がある。

光は、そこから出ていた。

奥の影は、明るいスクリーンの、反対側ではなかった。

明るさの、出どころだったのだ。

わたしが暗い部屋にいたから、町の人たちは、明るい場所で、泣いたり、笑ったりできた。

初めてのデートも。

母を亡くした夜も。

ジューンが、売店から見ていた顔は、みんな、わたしの光の中にいたのだ。

客席の人たちが、わたしの手を、一人ずつ、にぎった。

わたしは、その顔を、一つずつ、見た。

ジューンのことを、聞かせてくれる人もいた。

あの人、いつも、ポップコーンを多めに入れてくれたのよ。

旦那さんが上で回してるから、ちゃんと見ていきなさいって、言ってたわ。

わたしは、それを、知らなかった。

ジューンは、わたしのことを、客に話していたのだ。

四十五年、ずっと。

四十五年で、初めて、見た顔ばかりだった。

でも、なぜか、みんな、知っている顔のような気がした。

エピローグ

次の週、あの中学生の男の子が、映画館に来た。

サラが、土曜日だけ、手伝いに来てもらうことにしたのだ。

わたしは、男の子を連れて、映写室の階段を上がった。

暗いね、と男の子が言った。

そうだ、とわたしは言った。

ここは、暗くなくちゃいけない。

客席の明かりが、消えた。

わたしは、男の子の手を取って、映写機のスイッチに、のせた。

男の子が、スイッチを押した。

光が、まっすぐ、スクリーンに届いた。

小さな窓から、客席が見えた。

暗い中で、町の人たちの顔が、スクリーンの光に、ぼんやり照らされていた。

男の子が、小さな声で言った。

みんなの顔、ここから、見えるんだね。

ああ、とわたしは言った。

四十五年、ずっと、見えていたんだ。

ソウルミッション358

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