← あなたの魂のテーマを探す に戻る

名札のあと

何度も、使われた原紙だった

名札のあと

朗読で聴く

第一章 五人の一番上

六十三になった。

海ぞいの町で、夫と二人で暮らしている。

子どもは、二人とも、もう家を出た。

わたしは、五人きょうだいの、一番上だ。

下に、妹が二人と、弟が二人いる。

父は漁師で、わたしが十五のときに、海で死んだ。

母は、魚市場で働いて、わたしたち五人を育てた。

朝は三時に家を出て、昼すぎに、魚の匂いをさせて帰ってきた。

その母が、この冬、九十で死んだ。

家は、港の近くの、長屋の一軒だった。

六畳二間に、六人で寝た。

一番上というのは、何でも、最初にすることだ。

最初に学校に上がる。

最初に制服を着る。

最初に受験をして、最初に働きに出る。

母は、わたしを見て、下の四人のことを決めた。

お姉ちゃんができたんだから、あんたもできる。

お姉ちゃんのときは、こうだったから、あんたもこう。

わたしの服は、四人に、順番に、回っていった。

ランドセルも、制服も、運動靴も。

わたしは、いつも、新しいものを着る係で、それを、すぐに、次の子に渡す係だった。

第二章 すり減った姉

父が死んでからは、わたしが、母の代わりもした。

朝、四人に、ごはんを食べさせて、学校へ送り出した。

夜は、宿題を見て、ボタンをつけて、寝かせた。

下の四人が、それぞれの学校を卒業するたびに、わたしは、工場を半日休んで、式に出た。

母は、魚市場を休めなかったからだ。

高校を出ると、すぐに、町の缶詰工場で働いた。

大学に行きたいと思ったことも、あった。

でも、一番上が行けば、下の四人が行けなくなる。

わたしは、何も言わなかった。

工場の給料は、半分を、母にわたした。

弟の大学のお金にも、なった。

下の四人は、それぞれ、自分の道へ進んだ。

すぐ下の妹は、看護師になった。

その下の弟は、大学を出て、市役所に入った。

末の弟は、東京で、会社をやっている。

もう一人の妹は、遠くの町で、パン屋をしている。

わたしは、町を出たことが、ほとんどない。

妹たちが、休みに帰ってくると、わたしの家で、ごはんを食べた。

みんな、姉さんの家は落ち着く、と言った。

わたしは、便利な家なのだろう、と思っていた。

工場で三十年働き、結婚して、子どもを育てた。

ときどき、夜中に、台所で一人で泣いた。

だれにも、見られないように。

ときどき、自分は、型紙のようなものだったと思う。

何度も、何度も、なぞられて。

四人分の形を、写しとられて。

最後には、すり切れて、何も残らない。

だれも、型紙のことは、覚えていない。

覚えているのは、そこから切り出した服のほうだ。

第三章 母の箪笥

母の法事のあと、五人で、母の家を片づけた。

五人がそろうのは、父の葬式以来かもしれなかった。

古い箪笥の、いちばん下の引き出しを開けたのは、末の弟だった。

あ、と弟が言った。

中から、紺色の、小さな制服が出てきた。

きちんと、たたまれていた。

防虫剤の代わりに、新聞紙が、一枚だけ、はさんであった。

末の弟が、制服を胸に当てて、小さいなあ、と言った。

弟は、今、百八十センチある。

小学校の、女の子の制服だった。

わたしが一年生のときに、母が買ってくれたものだ。

それから、妹が着て、弟が着た。

男の子の弟たちは、上着だけ着た。

五人が、順番に、一年生と二年生のときに着た。

十年あまり、この家の子どもに、着られていたことになる。

ひじには、継ぎが当たっていた。

袖口は、何度も、かがり直してあった。

胸のところに、名札を縫いつけたあとが、いくつも残っていた。

小さな針の穴が、四角く並んでいる。

一つ、二つ、三つ、四つ、五つ。

五人分の、名札のあとだった。

しばらく、だれも、何も言わなかった。

古い箪笥の、しめった木の匂いがした。

第四章 最初の一枚

すぐ下の妹が、制服を広げて、言った。

これ、お姉ちゃんの名札のあとが、いちばん下だね。

いちばん古い、いちばん小さい四角。

糸の色は、もう、わからなかった。

その上に、わたしの。その上に、弟の。

妹は、指で、一つずつ、なぞった。

わたしね、この制服を着たとき、うれしかったんだよ。

お姉ちゃんが着てたのと、同じだって。

お姉ちゃんの名札のあとの上に、自分の名札をつけるのが。

妹の目が、少し赤かった。

市役所の弟も、言った。

おれは、受験に一回落ちてさ。

そのとき、母さんに言われたんだ。お姉ちゃんは、もっと大変だったって。

姉ちゃんが、どうやって働いて、どうやって家のことをして、どうやって勉強を続けたか。

それを聞いたら、もう一回、やれる気がした。

末の弟は、黙って、制服を見ていた。

それから、言った。

姉ちゃんが、最初の一枚だったんだよ。

姉ちゃんが最初に通った道だから、おれたちは、迷わなかった。

弟は、照れくさそうに、鼻をこすった。

第五章 何度も使われた

わたしは、何も言えなかった。

型紙のようなものだと、思っていた。

何度もなぞられて、すり切れて、何も残らない。

でも、五人分の名札のあとは、いちばん下から、ちゃんと残っていた。

わたしの四角の上に、四人の四角が、重なっていた。

何度も使われたから、すり切れたのではなかった。

何度も使われたから、四人の形が、わたしの上に残っていた。

四人は、わたしの上に、それぞれの名札をつけて、それぞれの道へ行った。

それで、よかったのだと、初めて思えた。

母は、この制服を、捨てなかった。

ほかの服は、みんな、着られなくなったら、雑巾にした人だった。

この一枚だけを、四十年以上、いちばん下の引き出しに、しまっていた。

妹が、言った。

お母さん、ずっと、わかってたんだね。

お姉ちゃんがいたから、五人とも、ちゃんと育ったって。

言わなかったけど。

わたしは、制服を、両手で受け取った。

名札のあとの、小さな針の穴に、指先が触れた。

軽かった。

六十年近く前の、紺色の布だった。

エピローグ

制服は、わたしが、もらって帰った。

家に帰ると、夫が、何だそれ、と聞いた。

わたしの、最初の制服、と答えた。

それから、五人のだけど、と言い直した。

夫は、そうか、とだけ言って、お茶をいれてくれた。

夫は、四人の名前を、全部知っている。

夜、わたしは、制服の胸の、名札のあとを、指でなぞった。

いちばん下の、いちばん小さい四角。

六つのわたしが、母に、名札を縫ってもらった日を、思い出した。

母は、いちばんきれいな字で、わたしの名前を書いてくれた。

その名札は、二年生の終わりに、母が、はさみで糸を切って、はずした。

次の日、妹の名前が、同じところに縫いつけられた。

わたしは、少しだけ、さびしかった。

今は、それが、うれしい。

次の春、孫が、小学校に上がる。

娘が、新しい制服を、買ったと言っていた。

孫には、新しい制服がいい。

でも、いつか、この一枚の話をしようと思う。

名札のあとが五つある、紺色の制服の話を。

わたしは、針と糸を出して、少し、考えた。

それから、制服を、たたんで、箪笥の、いちばん下の引き出しにしまった。

母が、そうしていたように。

ソウルミッション358

あなたの魂のテーマに気づく場所