← あなたの魂のテーマを探す に戻る

ほどける縫い目

きちんとしすぎる、と言われてきた

ほどける縫い目

朗読で聴く

第一章 針と物差し

七十四になった。

古い城下町の、商店街の裏の家で、着物を縫っている。

和裁の仕事を、十九から五十五年、続けてきた。

仕事部屋は、六畳の和室だ。

窓のそばに、作業台がある。

夫が、結婚した年に、作ってくれた台だ。

一日に縫うのは、ほんの少しだ。

今は、仕事の頼みも、年に十枚ほどに減った。

物差しで測って、へらで印をつけて、針を運ぶ。

一寸に、何針。

縫い目の大きさは、いつも同じにする。

糸の引き方も、いつも同じにする。

五十五年、それだけを守ってきた。

針は、毎朝、針山に刺して、数える。

一本でもなくすと、布の中に残るかもしれないからだ。

朝は六時に起きて、仏壇に手を合わせてから、作業台の前に座る。

夕方五時になると、針を数えて、しまう。

夫は、十年前に死んだ。

息子は、町の役場で働いている。

お嫁さんは、明るい人で、わたしのことを、よく笑う。

お母さんは、きちんとしすぎですよ。

息子も、横で、うなずいていた。

たしかに、そうなのだと思う。

わたしは、縫い目が一つでもそろっていないと、ほどいて、縫い直す。

夜中まで、かかることもある。

だれも気づかないような、一ミリのずれでも。

第二章 去っていった人

若いころ、弟子をとったことがある。

三人、来た。

三人とも、二年もたたずに、やめていった。

先生は、厳しすぎます。

最後の一人は、泣きながら、そう言った。

その人は、のちに、町で洋服のお直しの店を開いたと聞いた。

年賀状が来たことは、一度もない。

わたしは、厳しくしたつもりは、なかった。

ただ、縫い目をそろえなさい、と言っただけだ。

それができるまで、何度でも、ほどかせた。

娘も、和裁は継がなかった。

お母さんみたいに、きちんとできないから、と言った。

娘は今、東京で、会社につとめている。

娘が小学生のころ、運動会の前の晩も、わたしは縫っていた。

娘の体操服のゼッケンも、縫い目をそろえて、縫いつけた。

そんなの、だれも見ないよ、と娘は笑った。

お客さんにも、言われたことがある。

もう少し、早くできないの。

どうせ、だれも、縫い目なんか見ないんだから。

わたしは、すみません、とだけ言った。

そして、いつもと同じ速さで、縫った。

それでも、仕事は、途切れなかった。

町の呉服屋さんが、五十年、わたしに頼み続けてくれた。

なぜなのか、聞いたことはなかった。

いつのころからか、わたしは、自分のことを、融通のきかない人間だと思うようになった。

きちんとしすぎる。

融通がきかない。

かたい。

それで、人が、そばからいなくなった。

そう思っていた。

第三章 四十六年前の振袖

この春、知らない若い女の人が、訪ねてきた。

二十四くらいの、背の高い人だった。

腕に、たとう紙の包みを、大事そうに抱えていた。

祖母の振袖です、とその人は言った。

包みを開けると、赤い地に、白い鶴の飛ぶ振袖が出てきた。

きちんとたたまれて、虫よけの匂いがした。

四十六年、大事にしまわれてきたのが、わかった。

わたしは、すぐに、わかった。

袖口の、そろった針目が、目に入ったからだ。

四十六年前、わたしが縫ったものだ。

二十八のときだった。

その人の祖母の名前を聞いて、思い出した。

呉服屋の奥さんに連れられて、採寸に来た、はにかんだ娘さんだった。

町の呉服屋さんから、成人式に間に合わせてほしいと頼まれた。

一週間、ほとんど寝ずに、縫った。

鶴の羽の、白い線のところだけ、針目を細かくしたのを、覚えていた。

その人は、言った。

祖母が、二十のときに着ました。

それから、母が、二十のときに着ました。

今度、わたしが、結婚式の前撮りで着たいんです。

でも、わたしは、祖母や母より、ずっと背が高くて。

仕立て直しを、お願いできないかと思って。

第四章 針の穴

わたしは、振袖を、作業台の上に広げた。

母親が着たときに、一度、仕立て直してあるはずだった。

縫い目を見ると、わたしの縫い目と、別の人の縫い目が、まじっていた。

別の人の縫い目も、一つずつ見た。

その人の縫い目も、そろっていた。

わたしの縫い目に、合わせて縫ってくれていた。

その人が、言った。

母のときに、隣の町の和裁士さんに、直してもらったんです。

その方は、もう亡くなったそうです。

そのとき、その方が、言ったそうです。

この振袖は、ほどけるように、縫ってある。

縫い目がそろっていて、糸を引く力が強すぎないから、ほどいても、布に針の穴が残らない。

だから、何度でも、縫い直せる。

こんなふうに縫う人は、もう、ほとんどいないって。

わたしは、袖の内側を、光にかざした。

四十六年たった布に、針の穴は、ほとんど見えなかった。

わたしは、知らなかった。

縫い目をそろえるのは、きれいに見せるためだと思っていた。

でも、それだけではなかった。

そろった縫い目は、ほどける。

ほどけるから、次の人が、また縫える。

わたしのきちんとした縫い目が、この振袖を、三代、生かしていた。

第五章 きちんとした手

きちんとしすぎる、と言われてきた。

弟子にも、娘にも、お客さんにも。

わたしも、そう思ってきた。

かたくて、融通がきかなくて、人をそばから遠ざける手だと。

でも、この振袖は、わたしの手を、離れなかった。

四十六年、三人の娘たちのところを、めぐってきた。

一ミリのずれを、ほどいて縫い直した夜。

だれも見ないと言われた縫い目。

その全部が、次の人のために、布を傷めないでいた。

弟子たちに、厳しくしたつもりはなかった。

でも、なぜそろえるのかを、一度も話さなかった。

わたし自身も、知らなかったからだ。

わたしは、目の前の一枚のために縫っていたつもりだった。

でも、本当は、まだ会ったこともない人のために、縫っていたのだ。

その人の、まだ生まれてもいない娘のために。

わたしは、言った。

直しましょう。一か月、ください。

その人は、深く頭を下げた。

それから、少し恥ずかしそうに、続けた。

祖母が、言っていました。

この着物は、きちんとした人が縫ったから、大丈夫だって。

わたしは、何も言えなかった。

作業台の下で、針山を、ぎゅっとにぎっていた。

エピローグ

その夜から、わたしは、振袖をほどいた。

ひと針ずつ、糸を抜いていく。

自分が四十六年前に入れた糸だった。

引っぱると、布を少しも引きつらせずに、抜けていった。

まるで、ほどかれるのを、待っていたようだった。

布には、針の穴が、ほとんど残っていなかった。

物差しで測って、へらで印をつけた。

背の高い人のために、裄と丈を、少しずつ出す。

一寸に、何針。

縫い目の大きさは、いつも同じにする。

夜中に、一つだけ、縫い目がそろっていないところを見つけた。

わたしは、それを、ほどいて、縫い直した。

だれも気づかないような、一ミリのずれだった。

でも、次の人が、ほどくときのために。

一か月後、仕立て直した振袖を、あの人に渡す。

そのときは、なぜ縫い目をそろえるのかを、話そうと思う。

窓の外で、商店街の明かりが、一つずつ消えていった。

ソウルミッション358

あなたの魂のテーマに気づく場所