まきストーブ
毎日、人が住んでいた家だった

朗読で聴く
第一章 丘の家
八十一になった。
アメリカの北東、バーモントの丘の上の、古い農家に住んでいる。
いちばん近い町まで、車で二十分。
まわりには、牧草地と、カエデの林しかない。
二十九のとき、夫のウォルトと、この家に越してきた。
五十二年前のことだ。
ウォルトは、六年前に死んだ。
息子のマイクは五十五で、ボストンに住んでいる。
娘のアンは五十二で、ずっと西の、シアトルにいる。
台所に、大きな、黒い鉄のまきストーブがある。
越してきた年に、ウォルトが、中古で買ってきたものだ。
子どもたちは、そのストーブの前で、宿題をした。
春になると、ウォルトは、カエデの樹液を、その上で煮つめて、シロップを作った。
台所じゅうが、甘いにおいになった。
冬のあいだ、わたしは、その火を、一度も絶やしたことがない。
毎朝五時半に起きて、灰をかき出し、まきを足す。
夜、寝る前にも、太いまきを一本入れて、空気の口をしぼる。
朝まで、火が残るように。
それを、五十二年。
冬は、長い。
十一月から、四月まで、雪が残る。
第二章 ボストンの部屋
去年の秋、マイクが、パンフレットを持ってきた。
ボストンの、お年寄りのためのアパートだった。
母さん、この冬から、ここに移ってくれないか。
部屋は暖かいし、食事も出るし、看護師もいる。
丘の上に、一人でいるのは、心配なんだ。
アンも、電話で、同じことを言った。
お母さん、もう、まきを運ぶ年じゃないよ。
わたしは、考えておく、と言った。
二人の言うことは、正しかった。
わたしの毎日には、何も無い。
朝、火を起こす。
パンを焼く。
鶏に、えさをやる。
郵便を取りに、坂の下まで歩く。
夜、火にまきを足して、寝る。
それだけだ。
ボストンに移っても、だれも困らない。
この家に、わたしが住んでいる意味は、もう、無いのかもしれない。
夜、台所で、ウォルトの椅子を見ながら、そう考えた。
そう思いながら、冬のまきを、いつものように、軒下に積んだ。
春にウォルトの甥が割ってくれたまきだ。
腰の高さまで、三列。
これで、冬が越せる。
十二月、マイクから、また電話があった。
春までに、返事をちょうだい、と言われた。
第三章 氷の嵐
一月の終わり、ひどい氷の嵐が来た。
雨が、木の枝に凍りついて、ガラスのようになった。
夜中、林の中で、枝の折れる音が、一晩じゅう、鳴りつづけた。
朝になると、電気が、止まっていた。
電話も、つながらなかった。
わたしは、電池のラジオで、谷の外のことを聞いた。
谷じゅうの電線が、倒れた木で、切れていた。
外は、零下二十度だった。
わたしは、いつものように、五時半に起きて、ストーブにまきを足した。
台所は、暖かかった。
電気が無くても、まきストーブは、関係ない。
昼すぎ、玄関を、だれかが、たたいた。
坂の下の、若い夫婦だった。
赤ちゃんを、毛布にくるんで、抱いていた。
家の中が、冷えきって、どうにもならないんです。
家の中でも、息が白いんです。
わたしは、言った。
入りなさい。ストーブのそばに。
夕方には、ベルさんが来た。
ウォルトの古い友だちで、九十になる。
夜には、去年、谷の奥に越してきたグエンさんの一家が来た。
おばあさんと、子どもが三人いた。
第四章 四日間
電気は、四日間、戻らなかった。
そのあいだ、十一人が、わたしの家で暮らした。
台所の床に、毛布を敷いて、みんなで寝た。
わたしは、毎朝、五時半に起きて、灰をかき出し、まきを足した。
いつもと、同じように。
ストーブの上で、大きな鍋に、スープを作った。
パンも、焼いた。
グエンさんの奥さんが、米を持ってきて、おかゆを作ってくれた。
ベルさんは、子どもたちに、古い歌を教えた。
グエンさんのおばあさんは、ストーブの火を見て、故郷の言葉で、何か言った。
奥さんが、訳してくれた。
火のある家は、生きている家だ、って。
赤ちゃんは、ストーブのそばの、かごの中で、よく眠った。
夜、みんなが眠ったあと、わたしは、一人で、ストーブの前に座った。
台所に、寝息が満ちていた。
この家が、こんなに人でいっぱいになったのは、ウォルトの葬式の日以来だった。
三日目の夜、若いお父さんが、わたしに言った。
嵐の朝、みんなで話したんです。
どこへ行けばいいだろうって。
ベルさんが、言いました。
ルースの家へ行け。あそこのストーブは、冬じゅう、一度も消えたことがない。
五十年、毎朝、煙突から煙が出てるのを、谷の全員が知ってる、って。
わたしは、知らなかった。
毎朝の煙を、だれかが、見ていたなんて。
わたしにとっては、ただ、寒いから、火を起こしていただけだった。
四日目の昼、電気が戻った。
電話がつながって、わたしの無事を知ると、マイクは、すぐに車を出したそうだ。
その日の夕方、雪の道を、マイクの車が上がってきた。
第五章 消えない火
マイクは、台所のドアを開けて、立ちつくした。
十一人が、ストーブのまわりに座って、スープを飲んでいた。
ベルさんが、マイクに、手をふった。
よう、マイク。おまえの母さんが、谷を一つ、助けたよ。
マイクは、何も言わなかった。
その夜、みんなが帰ったあと、マイクは、ストーブの前に座った。
しばらく、火を見ていた。
子どものころ、冬の朝、台所に下りてくると、いつも暖かかった、とマイクは言った。
あれが、当たり前だと思ってた。
母さんが、毎朝、五時半に起きてたなんて、考えたこともなかった。
それから、言った。
母さん、ボストンの話は、もういいよ。
ここには、住んでいる人が要るんだね。
わたしは、うなずいた。
毎日、人が住んでいた家だった。
何も無い毎日だと、思っていた。
朝、火を起こして、夜、まきを足しただけ。
でも、その毎日があったから、ストーブは、冬じゅう、消えなかった。
消えない火があったから、嵐の朝、谷の人たちは、来る場所を知っていた。
住むことは、何もしないことではなかった。
毎日、火を守ることだった。
マイクは、次の朝、軒下のまきを、一列、台所まで運んでくれた。
昔、ウォルトがしていたように。
それから、ボストンに帰っていった。
エピローグ
三月、雪が少しずつ、とけはじめた。
坂の下の若い夫婦が、赤ちゃんを連れて、お礼に来た。
手作りの、カエデのシロップを、一びん、置いていった。
グエンさんの子どもたちは、ときどき、学校の帰りに寄って、パンを食べていく。
ベルさんは、毎週水曜日に、コーヒーを飲みに来るようになった。
グエンさんのおばあさんは、手編みの鍋つかみを、二つくれた。
ストーブの横の、くぎにかけてある。
アンからは、電話があった。
お母さん、夏に、孫たちと、そっちへ行くね。
ストーブの火、見たいんだって。
夏は、火は入れないよ、とわたしは笑った。
次の朝も、わたしは、五時半に起きた。
まだ寒かった。
灰をかき出して、まきを一本、入れた。
火が、ぱちぱちと、音を立てた。
窓の外で、煙突の煙が、まっすぐ、空にのぼっていった。
谷のどこかで、だれかが、それを見ている。
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