台所のテーブル
どれも、ありふれた物だった

朗読で聴く
第一章 五十年の家
七十二になった。
オーストラリアの西の、麦畑の広がる土地に住んでいる。
いちばん近い町まで、車で四十分。
まわりには、麦畑と、空しかない。
家は、トタン屋根の、平屋だ。
台所の窓からは、遠くまで、麦畑が見える。
夕方になると、カンガルーが、畑のはしを横切っていく。
二十二のとき、この農場の家に、お嫁に来た。
夫のレイは、六つ年上だった。
五十年、この家で暮らした。
レイは、二年前の冬、七十六で死んだ。
畑に出たまま、トラクターの横で、倒れていた。
一人で農場は、続けられなかった。
畑は、となりの農場に売った。
来月、わたしは、町の小さな家に引っこす。
部屋が二つと、小さな台所しかない家だ。
この家の物は、ほとんど持っていけない。
息子のダニエルは、四十八で、西の大きな町に住んでいる。
娘のケイトは、四十五で、ずっと東の町に住んでいる。
二人とも、引っこしの前の週末に、帰ってくると言った。
第二章 何も無い家
先週、町から、古道具の人が来た。
家の物を、売れるかどうか、見てもらうためだ。
その人は、家じゅうを、一時間かけて見て回った。
そして、帽子をかぶり直して、言った。
奥さん、正直に言いますね。
値段のつく物は、ほとんど無いです。
わたしは、うなずいた。
わかっていた。
この家には、いい家具も、古い銀の食器も、無い。
絵も、時計も、宝石も、無い。
あるのは、毎日使ってきた物だけだ。
ほうろうのやかん。パンを入れるブリキの缶。
つぎのあたったソファ。
それから、台所の、大きな木のテーブル。
お嫁に来た年、この家には、テーブルも椅子も無かった。
木の箱を二つ並べて、ごはんを食べた。
テーブルは、結婚した年に、近くの農場の売り立てで買った。
二十ドルだった。
飾りの無い、四角い、ただの木のテーブルだ。
古道具の人は、テーブルの天板を、指でたたいて言った。
これは、傷だらけですね。値段は、つかないなあ。
わたしは、少し笑った。
五十年の暮らしをぜんぶ集めても、値段がつかない。
わたしの一生は、そういう物でできていた。
子どもたちに、のこしてやれる物が、何も無い。
それが、少し、さびしかった。
第三章 テーブルの上で
あのテーブルの上で、何でもした。
毎朝、レイと二人で、お茶を飲んだ。
麦を刈る時期には、手伝いの男の人たちが、十人も座った。
大きななべのシチューを、何度もおかわりした。
ダニエルとケイトは、テーブルで、宿題をした。
ダニエルが熱を出した夜は、テーブルの上で、タオルを冷たい水にひたした。
東に住む母への手紙も、月に一度、このテーブルで書いた。
レイは、夜、テーブルで、農場の帳簿をつけた。
雨の降らない年は、レイは、帳簿の前で、長いあいだ、だまっていた。
わたしは、その横で、お茶をいれ直した。
レイの父が死んだ日も、近所の人たちが、テーブルにサンドイッチを並べた。
ケイトが、結婚すると言いに来た夜も、このテーブルだった。
レイが死んだ日の夜も、わたしは、このテーブルに一人で座っていた。
夜になると、わたしは、いつも、テーブルの同じ場所に座った。
台所の窓に近い、角の席。
ひじをついて、お茶を飲みながら、その日のことを、ぼんやり思い出す。
それが、わたしの、一日の終わりだった。
レイは、帳簿をつけ終わると、わたしの向かいに座った。
二人とも、ほとんど話さなかった。
窓の外で、風が麦をゆらす音だけがしていた。
特別なことは、何も無かった。
毎日、同じテーブルで、同じことをしただけだ。
第四章 二人の頼み
週末、ダニエルとケイトが、帰ってきた。
わたしは、二人に言った。
好きな物があったら、何でも持っていっていいよ。
値段のつく物は、何も無いけどね。
古道具の人に言われたことを、二人に話した。
ダニエルは、笑って言った。
そりゃそうだよ、母さん。値段で選ぶんじゃないんだから。
二人は、家の中を、別々に見て回った。
夕方、ダニエルが、台所に来て、言った。
母さん、テーブルを、もらってもいいかな。
わたしは、おどろいた。
あんな古い、傷だらけのテーブルを。
そのとき、ケイトも、台所に入ってきた。
え、わたしも、テーブルがほしいって言おうと思ってたのに。
二人は、顔を見合わせて、笑った。
この家でほしい物は、テーブルだけだって、二人とも、思っていたのだ。
ケイトは、テーブルの天板を、ゆっくりなでた。
ほら、ここ。
丸い、黒いこげあとがあった。
わたしが、熱いやかんを、うっかり置いたあとだ。
ここは、わたしの七つの誕生日に、ケーキを切ったときのナイフのあと。
ここは、ダニエルが、宿題のペンを、強くおしすぎたあと。
ダニエルが、帳簿のしみを、指でさした。
これは、父さんのコーヒーだ。
第五章 お母さんの場所
それから、ケイトは、窓に近い角の席の前で、止まった。
そこだけ、天板の色が、白っぽく、なめらかになっていた。
二つの丸い形が、少しはなれて、並んでいた。
ケイトは、言った。
これ、お母さんだよ。
お母さんの、ひじのあと。
五十年、毎晩、ここに座ってたでしょう。
わたしは、その場所を、見たことがなかった。
毎晩、その上にひじをついていたのに。
ダニエルが、言った。
宿題をしてるとき、母さん、いつも、そこに座ってた。
何も言わないで、お茶を飲んでた。
あれがあると、なんだか、宿題ができたんだ。
ケイトも、うなずいた。
わたしも。お母さんがそこにいると、家が、ちゃんと家だった。
どれも、ありふれた物だった。
二十ドルの、ただの木のテーブル。
こげあとも、ナイフのあとも、コーヒーのしみも、ありふれた毎日のあとだった。
でも、その全部が、この家族の形になっていた。
値段はつかない。
でも、子どもたちがほしいのは、それだけだった。
わたしは、何ものこせないと思っていた。
でも、のこしていたのだ。
毎晩、同じ場所に座ることで。
エピローグ
テーブルは、ダニエルが、トラックで西の町へ運んだ。
ケイトは、年に二回、そのテーブルで、お茶を飲みに行くと言った。
わたしは、町の小さな家に、小さな丸いテーブルを買った。
店でいちばん安い、新しい木のテーブルだ。
そこでも、毎晩、窓に近い席に座って、ひじをついて、お茶を飲む。
いつか、この天板にも、白いあとができるのだろう。
三か月後、わたしは、ダニエルの家に、初めて泊まりに行った。
台所に、あのテーブルがあった。
ダニエルの子どもたちが、テーブルで、宿題をしていた。
十の男の子と、七つの女の子。
ダニエルの奥さんが、言った。
お母さんの席は、そこですよ。
窓に近い、角の席だった。
わたしは、座って、ひじをついた。
白くすり減った二つのところに、わたしのひじが、ちょうどおさまった。
孫の女の子が、宿題のノートから顔を上げて、言った。
おばあちゃん、そこ、ぴったりだね。
わたしは、うん、と言った。
それから、何も言わないで、お茶を飲んだ。
窓の外は、麦畑ではなく、となりの家の、白いへいだった。
子どもたちは、ペンを動かしていた。
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