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茶巾しぼり

布の目が、写っていた

茶巾しぼり

朗読で聴く

第一章 さらしの布

四十四になった。

海に近い地方の町で、一人で暮らしている。

市の福祉課で、事務の仕事をしている。

父は、去年の春に死んだ。七十六だった。

母は、わたしが二十のときに、病気で亡くなった。

父は、町の商店街のはずれで、四十年、小さな和菓子屋をやっていた。

店は、その一年前、父が入院した春に、閉めた。

父の店で、いちばんよく売れたのは、茶巾しぼりだった。

白いあんを、ぬらしたさらしの布で包んで、上をきゅっとひねる。

布をほどくと、あんの上に、しわと、布の目が、写っている。

一つ一つ、少しずつ、ちがう顔になる。

父は、四十年、同じさらしを使っていた。

毎晩、店を閉めると、そのさらしを、ていねいに洗って、干した。

さらしは、だんだん、うすくなった。

うすくなっても、父は、新しいのに替えなかった。

店は、朝の七時に開いた。

近所の人たちが、通勤の前に、一つ二つと買っていった。

お茶会の注文が入ると、父は、夜中から起きて、何十個もしぼった。

四十年、店の品は、ほとんど変わらなかった。

茶巾しぼり、どら焼き、季節の練り切りが二つ三つ。

新しいお菓子を出したことは、一度も無かった。

第二章 継がなかった店

小さいころ、わたしは、店の奥の作業台の前で、父の手を見ていた。

父は、口数の少ない人だった。

何かを教えてくれたことは、ない。

わたしが、さわろうとすると、あぶないから、と手をはらった。

中学生になると、店の手伝いがいやになった。

友だちは、休みの日に、遊びに行っていた。

わたしは、店先で、和菓子を包んでいた。

地味な店だと思った。

駅前に、きれいな洋菓子の店ができたとき、友だちはみんな、そちらへ行った。

ガラスのケースに、色とりどりのケーキが並んでいた。

父の店のケースには、白と茶色の菓子しか、無かった。

わたしは、父の店が、少しはずかしかった。

毎日、同じものを、同じように作って、いつもの人に売る。

高校を出て、町の大学に行き、そのまま市役所に入った。

父は、店を継げとは、一度も言わなかった。

母が死んだあとも、父は一人で、店を開けつづけた。

わたしは、たまに顔を出すだけだった。

父の店のことを、わたしは、何も知らないと思っていた。

作り方も、こつも、何も教わっていない。

父の最後の一年は、入院していた。

見舞いに行っても、父は、ほとんど話さなかった。

一度だけ、窓の外を見ながら、言った。

店のさらし、まだ干してあるかな。

店はもう閉めて、だれも干していない、とは言えなかった。

うん、と答えた。

父は、それきり、店のことは言わなかった。

死んだのは、それから二週間後だった。

第三章 新しいさらし

この春、父の一周忌が来る。

親せきが集まって、お寺でお経をあげてもらう。

わたしは、父の茶巾しぼりを、仏壇に供えたいと思った。

親せきにも、一つずつ、持って帰ってもらいたかった。

店の道具は、ほとんど、処分してしまった。

わたしは、町の店で、新しいさらしを買ってきた。

あんは、本を見ながら、何度も、炊き直した。

ぬらしたさらしで包んで、ひねって、ほどく。

出てきた茶巾しぼりは、どれも、つるりとしていた。

しわが、かたい。布の目が、ほとんど、写らない。

形は、それらしい。でも、父のとは、ちがう顔だった。

何度やっても、同じだった。

台所のテーブルに、つるりとした茶巾しぼりが、十いくつも並んだ。

わたしは、それを一つ食べてみた。

味は、そんなに悪くなかった。

でも、口に入れる前に、もう、ちがうとわかった。

父の茶巾しぼりは、手に取ったとき、表面が、少しざらりとしていた。

その手ざわりが、無かった。

形をまねしても、父の茶巾にはならないのだと思った。

父の顔を知らない人のように、わたしは、父の菓子を知らなかったのだ。

第四章 うすい布

夜中、わたしは、父の家の押し入れを、もう一度、開けた。

処分しそこねた段ボールが、一つだけ、残っていた。

中に、たたんだ布が、入っていた。

父のさらしだった。

四十年、毎晩、洗って干していた、あのさらし。

光にかざすと、向こうが、すけて見えた。

端のほうは、ほつれて、何本か糸が出ていた。

父は、その糸を、切らずに、そのままにしていたらしい。

布を顔に近づけると、かすかに、あんの甘いにおいがした。

糸がやわらかくなって、目が、少しゆるんでいた。

わたしは、そのさらしをぬらして、あんを包んだ。

ひねって、ほどいた。

出てきた茶巾しぼりには、やわらかいしわと、細かな布の目が、ちゃんと写っていた。

父の茶巾しぼりの、顔だった。

次の朝、となりに住む、八十五の高木さんに、一つ持っていった。

父の店に、四十年、通ってくれた人だ。

高木さんは、一口食べて、目をつぶった。

これ、お父さんのと、同じ顔だね。

高木さんは、茶巾しぼりを手のひらにのせて、指でそっとなでた。

この、ざらっとしたところ。これが、お父さんの店の味なのよ。

第五章 写ったもの

高木さんは、言った。

お父さんの茶巾ってね、形じゃなくて、この布の目が、いいのよ。

毎日、同じ布で、同じようにしぼってたから、同じ目が写るの。

買いに来るとね、ああ、今日も、いつもの目だって、ほっとしたの。

わたしは、父の顔を思い出そうとした。

でも、はっきりと、思い出せなかった。

思い出したのは、作業台の前の、父の手だった。

ぬれたさらしを、ひねる手。

わたしは、教わっていないと思っていた。

でも、さっき、さらしをひねったとき、わたしの手は、迷わなかった。

どこをつまんで、どれだけひねるか、知っていた。

作業台の前で、毎日、父の手を見ていたからだ。

さわるな、と手をはらわれても、わたしは、作業台の前から離れなかった。

父は、それ以上、わたしを追いはらわなかった。

毎日、だまって、わたしの見ている前で、しぼっていた。

言葉では、何も教えなかった。

でも、毎日、見せていたのだ。

あの作業台の前の時間が、ぬれた布のように、わたしの手に、押し当てられていた。

父は、もういない。

父の形は、どこにも、残っていない。

でも、父が四十年押し当てていた布の目は、茶巾しぼりの上に、写っていた。

そして、わたしの手にも、写っていた。

教わったのではなかった。そばで、押し当てられていたのだ。

エピローグ

一周忌の日、仏壇に、父のさらしでしぼった茶巾を供えた。

親せきが、一つずつ、持って帰った。

だれも、何も言わなかった。

でも、帰りぎわに、おばが、そっと言った。

兄さんのと、同じだったよ。

あんた、いつ、習ったの。

わたしは、習ってないよ、と答えた。

おばは、ふしぎそうな顔をして、帰っていった。

その夜、わたしは、さらしを洗って、窓のそばに干した。

うすい布が、夜の風に、ゆれていた。

月に一度、高木さんたちのために、茶巾をしぼろうと思った。

この布が、すり切れるまで。

すり切れたら、新しいさらしを買って、また、毎晩洗って干そう。

四十年たてば、それも、わたしの目になるだろう。

ソウルミッション358

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