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絣の頬

布の目が、写っていた

絣の頬

朗読で聴く

第一章 古いまえかけ

七十八になった。

山あいの小さな町の、古い家に、一人で住んでいる。

夫は、十二年前に死んだ。

娘の千尋は、五十になる。となりの県で、看護師をしている。

去年の春、千尋の娘の真由に、男の子が生まれた。

わたしにとっては、ひ孫だ。名前は、湊という。

たんすの一番下の引き出しに、古いまえかけが、一枚入っている。

紺の木綿の、絣のまえかけだ。

白い小さな十字の模様が、布いっぱいに、並んでいる。

母のものだった。

母は、わたしが十二のときに死んだ。四十五だった。

残っている母のものは、このまえかけ一枚だけだ。

ほかのものは、みんな、売るか、燃やすかした。

なぜ、これだけ残したのか、自分でも、よくわからない。

五十年以上、引き出しの奥に入れたまま、ほとんど出したことがない。

年に一度、梅雨が明けると、風を通すために、縁側に広げる。

それだけだ。

広げるたびに、布の目の細かさに、少し驚く。

糸の一本一本が、ぎっしりと、詰まっている。

何十年たっても、模様は、少しもくずれていない。

毎日、朝は畑を見て、昼は縁側で、少し横になる。

夕方には、近所のスーパーまで、歩いて買い物に行く。

話す相手は、ほとんどいない。

それで、困ったこともない。

第二章 母の膝

母は、きびしい人だった。

朝は暗いうちから田んぼに出て、夜は遅くまで、はたを織った。

わたしは、母が笑っているところを、ほとんど覚えていない。

ほめられた覚えも、ない。

だらしないことをすると、だまって、手の甲をたたかれた。

母と話したことも、少ない。

母は、いつも忙しかった。

父は、わたしが五つのときに、山の仕事でけがをして、寝たきりになった。

母は、一人で、田んぼと、はたと、父の世話をした。

あのまえかけの絣も、母が、自分で織ったものだ。

夜、土間のはたの前に座って、とん、からり、とん、からり、と、何時間も織っていた。

わたしは、その音を聞きながら、眠った。

うるさいと思ったことも、ある。

早く寝ればいいのに、と思ったことも、ある。

ただ、一つだけ、覚えていることがある。

昼ごはんのあと、母は、縁側で少しだけ横になった。

ほんの十分か十五分。

わたしは、そのとき、母の膝に頭をのせて、いっしょに眠った。

母は、何も言わなかった。

わたしを、どけもしなかった。

目がさめると、わたしの頬に、まえかけの絣の模様が、写っていた。

白い小さな十字が、赤く、頬に並んでいた。

母は、それを見て、一度だけ、少し笑った。

あんたの顔に、はたが写っとる。

覚えている母の笑い顔は、それだけだ。

第三章 何ももらわなかった

母が死んでから、わたしは、おばの家で育った。

十八で町に出て、工場で働いた。

二十三で、夫と結婚した。

千尋が生まれたとき、わたしは、こわかった。

母から、何も教わっていない。

抱き方も、あやし方も、ねかしつけの歌も。

わたしの中に、母からもらったものは、何も無い。

そう思っていた。

だから、千尋には、母とちがう母親になろうとした。

よく話して、よく笑って、よくほめた。

それが、うまくできたかどうかは、わからない。

千尋は、看護師になって、遠くに住んでいる。

電話は、月に一度くらいだ。

千尋が小さいころのことを、わたしは、あまり覚えていない。

夫の店を手伝いながら、毎日、ばたばたと、すぎていった。

ちゃんと、母親らしいことが、できていたのかどうか。

千尋が、家を出ていくとき、わたしは、駅で手をふった。

千尋は、ふり返らなかった。

それを見て、やっぱり、と思った。

わたしは、母から何ももらわなかったから、千尋にも、何も渡せなかったのだ。

第四章 湊の頬

この秋、真由が、湊を連れて、家に泊まりに来た。

湊は、生まれて、ちょうど半年になる。

昼ごはんのあと、真由が、台所で洗い物をしていた。

湊が、ぐずりはじめた。

わたしは、縁側に座って、湊を膝にのせた。

なんとなく、たんすから、あのまえかけを出して、膝にかけていた。

湊は、わたしの膝に頬をつけて、すぐに眠った。

わたしも、少し、うとうとした。

目をあけると、真由が、縁側に立っていた。

おばあちゃん、見て。

真由が、そっと湊の顔を指さした。

湊の頬に、白い小さな十字が、赤く、並んでいた。

まえかけの絣の模様が、写っていた。

わたしは、声が出なかった。

七十年前に、わたしの頬にあったのと、同じ模様だった。

白い小さな十字が、ひとつずつ、くっきりと、並んでいた。

湊が、目をあけた。

わたしの顔を見て、にっと、笑った。

頬の十字が、笑い顔といっしょに、ゆがんだ。

真由が、スマートフォンで、写真をとった。

お母さんに、送ろう。

第五章 写っていたもの

その夜、真由が、言った。

うちのお母さんもね、小さいころ、おばあちゃんの膝で、昼寝してたんだって。

起きると、いつも、ほっぺたに、布の模様がついてたって。

それが、好きだったって言ってた。

さっきの写真を送ったら、すぐに、お母さんから電話が来たの。

これ、わたしのほっぺたと同じだって。泣いてたよ。

わたしは、覚えていなかった。

千尋を、膝にのせて、昼寝をした覚えなど、無かった。

でも、きっと、していたのだ。

母が、そうしたように。

何も言わずに、どけもせずに。

わたしは、母から、何ももらわなかったと思ってきた。

抱き方も、あやし方も、教わらなかった。

母の形は、何も、残っていない。

でも、母の膝の、布の目だけは、写っていた。

わたしの頬に写って、わたしの膝に写って、千尋の頬に写った。

そして、今日、湊の頬に、写った。

母は、もういない。

形は、残らなかった。

でも、押し当てられていた布の目は、なくならずに、ここまで来ていた。

母の膝で眠った十五分。

何も言わずに、どけもせずに、そこにいてくれた十五分。

それが、わたしの頬に、布の目といっしょに、押し写されていた。

わたしは、それを、知らないうちに、千尋の頬に写していた。

教わったのではなかった。押し当てられていたのだ。

エピローグ

次の朝、真由と湊が帰る前に、わたしは、まえかけを、たたんだ。

そして、真由に、わたした。

これ、湊が大きくなるまで、使って。

真由は、まえかけを広げて、絣の模様を、指でなぞった。

糸の目が、指の先に、こまかく引っかかった。

ひいひいおばあちゃんのなんだね。湊の、ひいひいおばあちゃん。

わたしは、うなずいた。

車が見えなくなってから、縁側に座った。

秋の低い日が、縁側の板に、長く当たっていた。

板の上には、何十年も人が座ってきた、少し白っぽい跡があった。

わたしは、そこに座って、少しだけ、目をつぶった。

夕方、千尋から、電話があった。

お母さん、あのまえかけ、まだあったんだね。

うん、とわたしは言った。

千尋は、少し黙って、それから言った。

わたし、お母さんの膝で寝るの、好きだったんだよ。

受話器を持つ手の甲に、夕日が当たっていた。

わたしは、その手で、そっと、自分の頬にさわった。

ソウルミッション358

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