緑のスレート
灰色ではなく、緑だった

朗読で聴く
第一章 灰色の町
六十八になった。
イギリスの、ウェールズの北の、山あいの小さな町に住んでいる。
町のまわりには、スレートのくずが、山のように積み上がっている。
百年以上、この町は、スレートを掘って、生きてきた。
スレートは、うすく割れる石だ。屋根に、並べてふく。
わたしは、十六で、町の石切り場に入った。
それから、六十で石切り場が閉まるまで、四十四年、石を割ってきた。
妻のメアは、四年前に死んだ。
娘のシアンは、四十一になる。南の大きな町で、古い建物を直す仕事をしている。
石切り場の小屋の中は、いつも、暗かった。
大きな石の板を、のみと木づちで、うすく割っていく。
一枚、また一枚。
朝から夕方まで、それだけだ。
割った石は、灰色だった。
小屋の中も、粉で、灰色だった。
家に帰ると、服も、髪も、灰色だった。
メアは、毎晩、玄関で、わたしの上着をはたいた。
粉が、ふわりと舞って、床に落ちた。
灰色の人ね、と、メアはいつも笑った。
わたしも、笑った。
メアは、町のパン屋で働いていた。
メアの手は、いつも、粉で白かった。
白い手と、灰色の手。
二人で、三十八年、そうやって暮らした。
第二章 灰色の一生
町の家の屋根は、どれも、灰色のスレートだ。
まわりの山も、くずの灰色。
空も、たいてい、雨雲の灰色。
わたしの一生は、灰色の町の中の、灰色の毎日だった。
若いころは、町を出たいと思った。
でも、父も、祖父も、石切り場で働いた。
わたしも、そのまま、ここで働いた。
シアンが十五のとき、言われたことがある。
お父さんの仕事って、灰色の石を、灰色の板にするだけだね。
わたしは、笑った。そのとおりだと思った。
シアンは、十八で、町を出ていった。
帰ってくるのは、クリスマスくらいだった。
石切り場が閉まった日、わたしは、のみと木づちを、物置の奥にしまった。
四十四年の灰色が、そこで終わった。
最後の日、仲間たちと、小屋の前で写真をとった。
みんな、灰色の上着を着て、灰色の顔をしていた。
だれも、笑わなかった。
町の若い人たちは、とっくに、ほかの町へ出ていた。
石切り場が閉まると、町は、もっと静かになった。
メアが死んだのは、それから四年後だ。
家の中から、白い手が、いなくなった。
それから八年、わたしは、何も割っていない。
第三章 礼拝堂の屋根
この春、シアンから、電話があった。
お父さん。町の礼拝堂の屋根を、直すことになったの。
わたしが、その仕事を受けたの。
町の礼拝堂は、百年前に建てられた、古い石の建物だ。
わたしとメアは、二十六のとき、そこで、結婚式をあげた。
四十三年前、その屋根が嵐でこわれたとき、ふき直したスレートは、わたしが割った。二十五のときだ。
シアンは、言った。
古いスレートを、できるだけ、そのまま使いたいの。
一枚ずつ下ろして、きれいにして、また、ふき直す。
お父さんに、見てほしいの。
わたしは、断ろうと思った。
灰色の石を見に行って、何になるのか。
でも、シアンの声を聞いて、断れなかった。
シアンの声は、メアに、よく似てきた。
四十三年前のことは、よく覚えている。
冬の嵐で、礼拝堂の屋根の半分が、飛ばされた。
町の人たちが、お金を出しあって、ふき直すことになった。
石切り場の親方が、若いやつに割らせろ、と言った。
わたしは、ひと冬かけて、千枚近くを割った。
次の春、その屋根の下で、メアと結婚した。
それきり、屋根を見上げたことは、ほとんど無い。
灰色の石が、灰色の空の下にあるだけだと思っていた。
第四章 雨の日
礼拝堂に行った日は、雨だった。
屋根から下ろしたスレートが、庭に、何百枚も並べてあった。
雨が、その上に、静かに降っていた。
シアンが、一枚を持ち上げて、わたしに見せた。
お父さん、見て。
ぬれたスレートは、灰色ではなかった。
うすく、緑だった。
深い、苔のような緑だった。
シアンは、言った。
この谷のスレートって、灰色じゃなくて、緑なの。
学校で、習ったの。この谷の石は、緑のスレートとして、知られてるって。
かわいているときは、灰色に見える。
でも、雨にぬれると、緑が出るの。
わたしは、何も言えなかった。
四十四年、石を割ってきた。
でも、自分の割った石を、ぬれたまま手に取って、明るいところで見たことは、一度も無かった。
雨の日は、うつむいて歩いた。屋根を見上げることも、無かった。
割るのは、いつも、暗い小屋の中だった。
小屋の中に、雨は入ってこない。石は、いつも、かわいていた。
割った石は、かわいたまま、トラックで運ばれていった。
わたしは、そのスレートを、手に取った。
指の先に、四十三年前の割り口の感じが、残っていた。
少し斜めに、のみの当たった跡。
若いころの、わたしの癖だった。
石の裏には、苔のかけらが、こびりついていた。
四十三年、この石は、雨と風の中で、町の上にあったのだ。
第五章 四十三年の雨
シアンは、並べたスレートの間を歩きながら、言った。
この屋根は、四十三年、雨の日には、ずっと緑だったんだよ。
ウェールズは、一年の半分、雨でしょう。
お父さんの割った石は、一年の半分、緑だったの。
この屋根の下で、お母さんと結婚したんでしょう。
わたしも、ここで、名前をもらったんだよ。
わたしは、雨の中に立っていた。
帽子のつばから、しずくが落ちた。
足もとの石も、ぬれて、緑に光っていた。
ふり返ると、町のまわりの、くずの山が見えた。
灰色だと思っていた山は、いつのまにか、しだと苔で、おおわれていた。
雨にぬれて、山じゅうが、緑だった。
灰色ではなかった。
わたしの割った石も、わたしの町も、わたしの一生も。
暗い小屋の中からしか、見ていなかっただけだ。
シアンが、言った。
お父さん、十五のとき、灰色の板にするだけって言って、ごめんね。
わたしが、この仕事を選んだのは、お父さんの石が、好きだったからなの。
小さいころ、雨の日に、窓から、町の屋根を見てた。
どの屋根も、雨の日だけ、緑になるの。
お母さんが、教えてくれた。
あの屋根のどこかに、お父さんの割った石があるのよって。
わたしは、それから、雨の日が好きになった。
わたしは、メアの白い手を、思い出した。
玄関で、毎晩、わたしの上着をはたいていた手。
灰色の人ね、と笑っていたメアには、何が見えていたのだろう。
メアは、雨の日の屋根を、娘と二人で、見ていたのだ。
エピローグ
次の週、わたしは、物置の奥から、のみと木づちを出した。
礼拝堂の屋根で、割れた古い石の、かわりがいる。
シアンが、近くの石切り場から、新しい石の板を取りよせてくれた。
八年ぶりに、のみを当てた。
石は、昔と同じ音で、うすく割れた。
割れたばかりの面に、雨のしずくが、一つ落ちた。
そこだけ、緑に光った。
シアンが、屋根の上から、手をふった。
わたしは、割った石を、手わたした。
四十三年前と同じように、一枚ずつ。
その日は、一日じゅう、雨だった。
町じゅうの屋根が、緑だった。
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