お弁当のメモ
まっすぐな線も、点の並びだった

朗読で聴く
第一章 茶色い紙ぶくろ
五十二になった。
アメリカの西の、オレゴンの小さな町に住んでいる。
雨の多い、森にかこまれた町だ。
町の図書館で、三十年、司書をしている。
母のマーガレットは、この春、八十四で亡くなった。
父は、十年前に先に逝っていた。
わたしは、一人っ子だった。
母は、町の小さな歯医者の受付で、四十年働いた。
朝は、だれよりも早く起きて、台所の明かりをつけた。
わたしが起きていくと、もう、紙ぶくろが、テーブルの上に立っていた。
母は、毎朝、わたしのお昼のお弁当を作ってくれた。
茶色い紙ぶくろに、サンドイッチと、りんごと、クッキーが一枚。
そして、いつも、小さなメモが一枚、入っていた。
今日もいい日を。ママより。
テスト、がんばってね。ママより。
雨だから、くつしたが濡れないようにね。ママより。
六つで学校に上がってから、十八で高校を出るまで、毎日、入っていた。
十二年。
一日も、欠けなかった。
第二章 一本の線
わたしにとって、母のメモは、一本の線のようなものだった。
朝が来れば、紙ぶくろがあり、紙ぶくろを開ければ、メモがある。
それは、太陽がのぼるのと同じくらい、当たり前のことだった。
中学生になると、少し、恥ずかしくなった。
友だちに見られないように、ふくろの中で、そっと読んだ。
高校生になると、読まずに、ポケットに入れる日もあった。
それでも、捨てたことは、一度もなかった。
家に帰ると、机の引き出しに、ぽいと放りこんだ。
大学に入るとき、引き出しのメモは、靴の箱に移して、押し入れにしまった。
それきり、忘れていた。
十二年、一本の線のように続いた母の手紙。
母は、そういう人だったのだと思っていた。
毎日、同じことを、同じように、続けられる人。
わたしには、とうてい、まねのできない人。
わたしは、日記も三日で終わる子だった。
ピアノも、水泳も、一年続いたことがなかった。
母のように、一本の線を引ける人間ではないと、ずっと思っていた。
司書の仕事が三十年続いているのも、たまたまだと思っていた。
第三章 十の秋
ただ、一つだけ、ずっと、心のすみに引っかかっていることがあった。
わたしが十の秋、母は、家にいなかった。
六週間。
ポートランドの、大きな病院に入院していたのだ。
何の病気だったのかは、くわしく聞かされなかった。
大人たちは、ひそひそと話し、わたしの前では、だまった。
父が、慣れない手つきで、朝ごはんを作った。
お弁当も、父が作った。
毎朝、台所で、父が首をかしげていた。
サンドイッチは、パンの耳が、ぎざぎざだった。
それでも、紙ぶくろの中には、毎日、メモが入っていた。
母の字だった。
今日もいい日を。ママより。
わたしは、病院の母が、毎日、郵便でメモを送ってくれているのだと思っていた。
そう思って、それきり、考えなかった。
十の子どもには、病院から毎日手紙が届くのは、ふしぎなことではなかった。
郵便受けを開ける父の背中を、毎朝、見ていたような気もする。
本当は、父は、郵便受けなど、開けていなかったのだけれど。
六週間たって、母は、やせて、帰ってきた。
玄関で、母は、わたしを長いあいだ、だきしめていた。
わたしは、くすぐったくて、少し笑った。
次の朝から、また、母のお弁当になった。
線は、一度も、途切れなかった。
第四章 クッキーの缶
母の家を片づけたのは、葬式の二週間あとだった。
母の寝室のたんすの、いちばん下の引き出しに、ふたのついた缶が入っていた。
古いクッキーの缶だった。
開けると、封筒の束が出てきた。
白い封筒が、十枚。
どれも、封がしてあって、封筒のおもてに、日付だけが書いてあった。
十月の、知らない日付。四十二年前の、秋の日付だった。
一枚、開けた。
中には、小さなメモが、一枚、入っていた。
今日もいい日を。ママより。
母の字だった。
わたしは、その場に、座りこんだ。
缶の底に、もう一枚、たたんだ便せんがあった。
父の字で、短く、こう書いてあった。
マギーへ。使わなかった十枚を、返す。おかえり。
わたしは、父の字を、何度も読んだ。
父は、母が帰ってきた日に、これを渡したのだろう。
そして、母は、それを、四十二年、たんすの底に、しまっていた。
捨てることも、使うこともなく。
第五章 点の並び
その夜、押し入れの奥から、自分の靴の箱を出した。
十二年分のメモが、ぎっしり詰まっていた。
わたしは、それを、床に並べてみた。
学年ごとに、日付の順に。
十の秋のところに、三十枚ほどの束があった。
どれも、母の字だった。
でも、よく見ると、少しずつ、ちがっていた。
インクの色が、そろっていた。
紙の切り方が、そろっていた。
どれも、同じ日に、まとめて書かれたものだった。
母は、入院する前に、全部で四十枚、書いて、父に預けていったのだ。
六週間の学校の日で使ったのは、三十枚。
もし、帰ってこられなかったら、と、母は思ったのだろうか。
思ったのだろう。
だから、多めに書いた。
帰ってこられた分の十枚が、缶の中に、残っていた。
わたしは、缶の封筒も、一枚ずつ開けた。
四十枚の、どの一枚にも、病気のことは、書いていなかった。
こわい、とも、さびしい、とも、書いていなかった。
今日もいい日を。テスト、がんばってね。くつしたが濡れないようにね。
いつもと同じ一行が、いつもと同じように、並んでいただけだった。
わたしは、床に並んだメモを、ずっと見ていた。
二千枚あまりの、小さな紙。
遠くから見ると、本当に、とぎれの無い一本の線のようだった。
近くで見ると、一枚ずつ、別の日の、別の字だった。
急いで書いた、くずれた字の日もあった。
インクがかすれて、ほとんど読めない日もあった。
一本の線だと思っていた。
毎日、同じように続けられる人の、まっすぐな線だと。
ちがった。
一枚ずつ、別の朝に、別の気持ちで書かれた、点の並びだった。
病院のベッドに入る前の夜に、まとめて書いた四十枚も。
まっすぐな線も、点の並びだった。
途切れそうになったところを、母は、前もって、点で埋めていったのだ。
毎日同じことを続けられる人だったのではない。
続かなくなるかもしれない日を、知っていた人だったのだ。
わたしの司書の三十年も、たまたまではなかったのかもしれない。
エピローグ
次の月曜の朝、わたしは、図書館に出かける前に、台所に立った。
紙ぶくろに、サンドイッチと、りんごを入れた。
それから、缶の中の、使われなかった封筒を、一枚だけ、取り出した。
封を切らずに、そのまま、紙ぶくろに入れた。
昼休み、図書館の裏の、雨の当たらないベンチで、ふくろを開けた。
雨が、森の木の葉を、ぽつぽつと打っていた。
一つずつの雨つぶの音が、遠くでは、ひとつながりの音に聞こえた。
わたしは、封筒の端を、ゆっくりと、指で切った。
四十二年待っていた封筒を、開けた。
今日もいい日を。ママより。
わたしは、声に出して、読んだ。
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