おやすみの列
まっすぐな線も、点の並びだった

朗読で聴く
第一章 十四の春
三十八になった。
古い団地の多い町で、夫と二人で暮らしている。
子どもは、いない。
わたしには、二十四年、毎晩、おやすみを送り合っている友だちがいる。
名前は、さき。
中学二年の春に、同じクラスになった。
背の順で、前と後ろだった。
さきは、よくしゃべり、よく笑う子だった。
わたしは、人見知りで、教室のすみにいる子だった。
それなのに、なぜか、気が合った。
帰り道、団地の公園のブランコで、日がくれるまで話した。
何を話したのかは、ほとんど覚えていない。
さきは、その年の夏休みに、父親の仕事で、遠い町に引っこした。
別れの日、さきは、言った。
毎晩、おやすみって、送ろうよ。
一言だけでいいから。一日も、休まないで。
二人とも、買ってもらったばかりの、携帯電話を持っていた。
その夜から、始まった。
おやすみ。
おやすみ。
それだけの、一行のメールだった。
最初の夜、わたしは、布団の中で、何度も画面を見た。
十時をすぎて、画面が光った。
おやすみ、と一行だけ。
それを見て、やっと眠れた。
第二章 一本の線
それから、二十四年がたった。
高校に行っても、大学に行っても、続いた。
さきが結婚しても、わたしが結婚しても、続いた。
夜の十時を過ぎると、どちらからともなく、おやすみが来た。
来たら、返す。
ほかのことは、ほとんど書かなかった。
会うのは、何年かに一度だった。
さきの結婚式には、新幹線で行った。
わたしの結婚式には、さきが、赤ちゃんを抱いて来てくれた。
会っても、話すことは、たいてい、昔の話だった。
今のことは、おたがい、あまり話さなかった。
毎晩のおやすみがあるから、話さなくても、いいような気がしていた。
それでも、さきは、いちばん近い友だちだった。
夫に話すと、笑われた。
二十四年、一日も休まず、おやすみだけ。それ、もう、線だね。
わたしも、そう思っていた。
まっすぐな、一本の線。
途切れたことのない、細い線だと。
携帯電話は、何度も買いかえた。
そのたびに、古いメールは、少しずつ消えていった。
それでも、おやすみは、新しい電話に、毎晩、届いた。
本当は、そうではないことを、わたしは知っていた。
第三章 送れなかった三か月
三十二の冬、わたしは、子どもを、おなかの中で亡くした。
五か月だった。
病院から帰ってきて、何も、できなくなった。
朝も、夜も、布団の中にいた。
携帯電話は、台所のすみに置いたまま、さわらなかった。
夜になると、画面が、ぽっと光った。
さきからの、おやすみだった。
わたしは、返さなかった。
返せなかった。
次の夜も、光った。
その次の夜も。
三か月、わたしは、一度も、返さなかった。
夫は、何も言わなかった。
ただ、ときどき、光った画面を、だまって、わたしの枕もとに持ってきた。
わたしは、それを、見ないふりをした。
そのあいだ、さきは、一晩も、休まなかった。
理由も聞かず、ほかのことも書かず、ただ、おやすみ、とだけ。
三か月たった春の夜、わたしは、やっと、携帯電話を手に取った。
九十いくつの、おやすみが、並んでいた。
ゆびで、上へ、上へと、さかのぼった。
どれも、同じ、おやすみだった。
なのに、一つずつ、ちがう夜に送られたものだと分かった。
雪の夜の時刻。雨の夜の時刻。さきの子どもが熱を出したらしい夜の、おそい時刻。
わたしは、一つだけ、返した。
おやすみ。
次の夜から、また、続いた。
だから、わたしの側の線には、三か月の、何も無いところがある。
夫の言う一本の線は、本当は、途中で切れていたのだ。
第四章 さきの家
この春、さきの住む町に、仕事で行くことになった。
夜、さきの家に、泊めてもらった。
さきは、去年、離婚していた。
玄関に、子どもの靴が、二足、並んでいた。
上の子は、もう中学生だという。
わたしたちが出会ったのと、同じ年だった。
電話では、何も言わなかった。
おやすみの線の向こうで、そんなことが起きていたのを、わたしは知らなかった。
台所で、二人で、お茶を飲んだ。
台所の窓から、遠くの団地の明かりが、点々と見えた。
十四のとき、あの公園から見た明かりと、よく似ていた。
さきは、少しやせて、でも、よく笑った。
十四のときと、同じ笑い方だった。
わたしは、少し、ほっとした。
わたしは、ずっと言えなかったことを、言った。
あの冬、三か月、返せなくて、ごめんね。
さきは、首をふった。
それからね、と、さきは言った。
わたしにも、あるんだよ。送れなかった日。
わたしは、さきの顔を見た。
そんなはずはないと思った。
わたしの覚えているかぎり、さきのおやすみは、一晩も、休んだことがなかった。
第五章 点の並び
さきは、自分の携帯電話を出して、古いメールを、さかのぼって見せた。
去年の秋。
さきが離婚した月だった。
さきの側から、おやすみが、一つも、出ていなかった。
一か月、まるごと。
画面には、わたしからの、おやすみだけが、ずらりと続いていた。
返事のない、わたしの一行ばかりが、下へ下へと並んでいた。
その並びを見て、わたしは、あの冬の自分の画面を思い出した。
なのに、毎晩、わたしからのおやすみは、届いていた。
あのとき、と、さきは言った。
わたし、だれにも、何も言えなかったの。
送る元気も、なかった。
でも、毎晩、十時になると、あなたのおやすみが来た。
わたしが返さなくても、来た。
それで、まだ、一日が終われたの。
朝が来るのが、こわかった。
でも、あなたのおやすみが来ると、今日はもう、終わっていいんだって思えた。
終わっていい日が、一日ずつ、来たの。
わたしは、気づいていなかった。
去年の秋、さきから返事が無い夜があったかどうかさえ、覚えていなかった。
それくらい、わたしの指は、毎晩、勝手に動いていた。
さきから来ない夜にも、わたしは、いつもの手つきで、おやすみを送っていた。
来たら返す、のではなかった。
毎晩、自分から、送っていたのだ。
いつからそうなったのかは、分からない。
たぶん、あの三か月のあとからだ。
さきが、返さないわたしに、毎晩送ってくれたように。
わたしも、知らないうちに、そうしていたのだ。
二十四年の線は、一本の線ではなかった。
毎晩、一つずつ打った、おやすみの点の並びだった。
わたしの点が抜けたところを、さきの点が埋めていた。
さきの点が抜けたところを、わたしの点が埋めていた。
だから、並びは、一度も、終わらなかった。
まっすぐな線も、点の並びだった。
エピローグ
その夜、さきの家の客間で、布団に入った。
となりの部屋に、さきがいる。
十時になった。
携帯電話が、光った。
おやすみ。
壁の向こうから、さきの笑う声が、小さく聞こえた。
わたしも、送った。
おやすみ。
二十四年で、いちばん近い、おやすみだった。
明日の朝には、また、遠い町と、遠い町にもどる。
それでも、夜の十時には、また一つ、点が打たれる。
どちらかが打てない夜も、もう一人が打つ。
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