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一曲だけのギター

黒一色しか、持っていなかった

一曲だけのギター

朗読で聴く

第一章 古いギター

六十八になった。

アメリカの中ほど、オハイオの小さな町に住んでいる。

トウモロコシの畑の中に、家がぽつぽつと建っている町だ。

三十年、長距離のトラックを運転した。

妻のリンダは、五年前に、がんで亡くなった。

息子が一人いる。ダニーという。三十二になる。

ダニーには、自閉症がある。

言葉は、ほとんど話さない。

今は、町のグループホームで、仲間と暮らしている。

わたしの家の寝室には、古いギターが一本、立てかけてある。

父が残したものだ。

わたしは、このギターで、一曲しか弾けない。

十八の夏に、父が教えてくれた、古い民謡が一曲だけ。

ほかの曲は、何度やっても、指がついていかなかった。

楽譜も読めない。

だから、五十年、同じ一曲だけを弾いてきた。

父は、農場で働く人だった。

夕方、仕事が終わると、ポーチに座って、この曲を弾いた。

ほかの曲を弾いているのは、聞いたことがなかった。

父も、一曲しか知らなかったのかもしれない。

子どものころ、わたしは、それが少し恥ずかしかった。

友だちの家には、ラジオも、レコードも、たくさんあったから。

第二章 夜ごとの一曲

ダニーが三つのとき、夜になると、泣きさけぶようになった。

毎晩、何時間も、止まらなかった。

だっこしても、ゆすっても、だめだった。

リンダは、絵本を読んでやった。

ダニーは、絵本を、手ではらいのけた。

ある晩、わたしは、どうしようもなくなって、ギターを持ってきた。

ベッドのわきに座って、知っている一曲を弾いた。

ダニーが、泣きやんだ。

天井を見たまま、じっと聞いていた。

曲が終わると、また泣きだした。

もう一度弾くと、また泣きやんだ。

その晩は、十回、同じ曲を弾いた。

それから、毎晩、弾くことになった。

同じ曲を、同じ速さで、同じ順番で。

少しでも速く弾くと、ダニーは、首をふった。

仕事で家を空ける夜は、電話で弾いた。

トラックを止めた駐車場で、受話器を、ギターの前に置いた。

リンダが、受話器を、ダニーの耳に当ててくれた。

雪の夜も、雨の夜も、そうした。

ほかの運転手たちは、駐車場でギターを弾く男を、ふしぎそうに見た。

一曲だけ弾いて、ギターをしまうと、わたしは運転席で眠った。

受話器の向こうで、ダニーの寝息が聞こえる夜もあった。

それを聞くと、ほっとして、次の町まで走れた。

第三章 足りない父親

わたしは、ずっと、足りない父親だと思っていた。

ほかの父親は、子どもに、いろんな歌を歌ってやるだろう。

本を読んでやり、野球を教え、話をするだろう。

わたしには、一曲しかなかった。

ダニーと話すことも、ほとんど、できなかった。

何を考えているのか、分からない日の方が多かった。

学校の先生や、お医者さんが、むずかしい言葉で説明した。

リンダは、それをノートに書いて、一生けんめい勉強した。

わたしは、半分も分からなかった。

わたしにできたのは、夜、同じ一曲を弾くことだけだった。

ダニーが十になっても、十五になっても、弾いた。

二十になっても、弾いた。

もう、ねかしつけの歌の年じゃない、と、自分で思った。

それでも、ダニーは、毎晩、ベッドで待っていた。

弾かないと、眠らなかった。

ダニーが二十二のとき、町のグループホームに入ることになった。

リンダと二人で決めた。

わたしたちが、いつまでも、そばにいられるわけではないから。

引っ越しの日、ダニーは、ふり返らずに、ホームのドアを入っていった。

その晩、わたしは、一人で、寝室でギターを持った。

弾く相手は、もう、いなかった。

これで、夜の一曲も、終わりだと思った。

一曲しか渡せなかった父親だった、と思った。

第四章 春の音楽会

それから、十年がたった。

リンダがいなくなってからは、家の中は、しずかすぎた。

ダニーには、週に一度、会いに行った。

ダニーは、わたしの顔を見ると、少しだけうなずいた。

それで、じゅうぶんだった。

ダニーの部屋に、上がったことはなかった。

ホームの決まりで、家族は、食堂で会うことになっていた。

夜、ダニーがどうやって眠っているのか、わたしは、知らなかった。

聞くのが、こわかった気もする。

わたしの一曲が無くても、ちゃんと眠れているなら、それでいい。

そう思うのと同じくらい、さびしかった。

家の寝室で、ギターのほこりを、ときどき、はらった。

弾くことは、もう、ほとんどなかった。

この春、ホームの職員のマリアから、手紙が来た。

春の音楽会をひらきます。ぜひ、来てください。

ダニーさんが、出ます。

わたしは、首をかしげた。

ダニーが、音楽会で、何をするのか、分からなかった。

当日、ホームの食堂に、いすがならんでいた。

入居している人たちと、その家族が、集まっていた。

部屋のすみに、古いアップライトのピアノが、一台あった。

わたしは、いちばん後ろのいすに座った。

第五章 一色で、全部

ダニーの番が来た。

ダニーは、ピアノの前に座って、人さし指を一本、出した。

そして、弾きはじめた。

あの曲だった。

わたしが、五十年、弾いてきた、あの一曲。

同じ速さで、同じ順番で、一つの音も、まちがえなかった。

わたしは、息ができなかった。

曲が終わると、マリアが、わたしのところに来た。

ダニーさんは、毎晩、寝る前に、あの曲を弾くんです、と言った。

ここに来た最初の晩から、十年、一晩も休まずに。

あれを弾くと、ここが、自分の家になるみたいなんです。

ほかの人が、夜、こわくなって泣くと、その人のためにも弾くんですよ。

みんな、あの曲で、眠るんです。

マリアは、少し笑った。

この曲、どこで覚えたんでしょうね、と聞かれた。

わたしは、答えられなかった。

食堂の後ろで、だれかが、言った。

あの曲が始まると、廊下の電気が消えても、こわくないんだ。

ホームの仲間の、年取った男の人だった。

ダニーが弾いてくれるから、夜が、長くないんだよ。

わたしは、ポーチで弾いていた父の背中を、思い出した。

父も、一曲しか持っていなかった。

その一曲が、わたしの指に残り、ダニーの指に残っていた。

一曲しか、持っていなかった。

足りないと思っていた、ただ一つの曲だった。

その一曲が、ダニーの、家そのものになっていた。

黒一色しか、持っていなかった。

その一色で、あの子に要るものは、ぜんぶ、刷れていた。

エピローグ

音楽会のあと、ダニーの部屋に入れてもらった。

小さな寝室に、ベッドと、たんすが一つ。

かべに、古いギターが一本、立てかけてあった。

ホームの人が、中古の店で、見つけてくれたのだという。

ダニーは、ギターを、わたしにわたした。

わたしは、ベッドのわきに座った。

ダニーは、ベッドにあおむけになって、天井を見た。

三つのときと、同じかっこうだった。

窓の外は、もう暗くなっていた。

廊下の向こうで、だれかが、ドアをしめる音がした。

わたしは、ギターの音を、一本ずつ、ゆっくり合わせた。

わたしは、あの一曲を弾いた。

同じ速さで、同じ順番で。

曲が終わると、ダニーが、小さな声で言った。

もう一回。

ソウルミッション358

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