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半分ずつのノート

どこを取っても、同じ濃さだった

半分ずつのノート

朗読で聴く

第一章 兄の妹

三十四になった。

海の近くの町で、夫と、五つの娘と暮らしている。

わたしには、三つ年上の兄がいる。

兄の大地は、生まれたときから、ダウン症という障がいがある。

今は、町のグループホームで暮らしながら、パン工場で働いている。

兄は、やさしい人だ。

会うと、いつも、わたしの名前を大きな声で呼ぶ。

まゆ、まゆ、と言って、両手をふる。

人が見ていても、まったく気にしない。

小さいころ、わたしは、それがはずかしかった。

わたしは、兄が好きだ。

兄の働くパン工場のパンは、町の小学校の給食にも出ている。

兄は、それが自慢で、会うたびに、その話をする。

でも、子どものころ、わたしは、ずっとさびしかった。

家の中の真ん中には、いつも、兄がいた。

母は、兄の病院、兄の学校、兄のリハビリに、いつもついていった。

わたしの参観日に、母が来たのは、数えるほどだった。

わたしは、手のかからない子と、言われて育った。

手のかからない子は、手をかけてもらえない子だと、思っていた。

熱を出しても、わたしは、自分で布団をしいて寝た。

母は、兄の発作の夜は、兄のそばから離れられなかった。

次の朝、母は、熱、下がった、とだけ聞いた。

わたしは、うん、とだけ答えた。

高校を出ると、わたしは、すぐに家を出た。

遠くの町の短大に行き、そのまま、そこで就職した。

家から離れたかった。

第二章 母の箱

この春、母が亡くなった。

六十六だった。

病気が分かってから、半年だった。

父は、もう、十年前に亡くなっている。

母は、それから、一人で兄の通う作業所の送り迎えを続けた。

兄がグループホームに入ったのは、母の病気が分かってからだった。

四十九日がすんで、わたしは、実家の片づけに通った。

兄は、グループホームから、週末だけ手伝いに来た。

兄は、母の服を一枚ずつたたんで、紙袋に入れていった。

たたみ方は、母が教えたとおりに、ていねいだった。

母の部屋の押し入れの奥に、段ボールの箱が、いくつもあった。

開けると、大学ノートが、ぎっしりつまっていた。

表紙には、年ごとの数字が、書いてあった。

兄が生まれた年から、去年まで。

三十七冊あった。

わたしは、いちばん古いノートを開いた。

母の字だった。

兄の毎日のことが、書いてあった。

ミルクを何ミリ飲んだか。

何回、熱が出たか。

わたしは、やっぱり、と思った。

一冊目には、兄のことしか書いていなかった。

二冊目も、三冊目も、同じだった。

わたしは、まだ、生まれていなかったのだから。

それでも、ページをめくるたびに、胸の奥が、少しずつ冷えていった。

母の毎日は、兄のことで、いっぱいだったのだ。

わたしは、ノートを閉じて、段ボールに戻そうとした。

兄が、ほかのも見て、と言った。

第三章 四冊目のノート

わたしは、四冊目のノートを開いた。

わたしが生まれた年のノートだった。

手が止まった。

ページのまん中に、線が一本、引いてあった。

左に、兄の名前。

右に、わたしの名前。

わたしの名前は、まだ、ひらがなだった。

まゆ、と、少し丸い字で書いてあった。

その日の兄のことが、左半分に書いてあった。

その日のわたしのことが、右半分に書いてあった。

次のページも、その次のページも、同じだった。

毎日、一ページを、まん中で半分に分けてあった。

兄の半分と、わたしの半分。

わたしは、ノートを、次々に開いた。

十冊目も、二十冊目も、同じだった。

わたしが家を出てからのノートも、同じだった。

右半分には、わたしから来た電話のこと、わたしの娘のことが、書いてあった。

今日、真由から電話。元気そう。声が少し疲れている。

今日、真由の娘が生まれた。三千百グラム。真由に似ている。

わたしが短大に行ってから、母とは、月に一度も話していなかった。

それでも、右半分は、毎日、書かれていた。

話していない日は、真由、今日は何をしているだろう、とだけ書いてあった。

第四章 右半分

わたしは、右半分を、一日ずつ、読んでいった。

今日、真由が、一人で靴をはいた。

今日、真由が、さか上がりができた。

今日、真由は、参観日にわたしを探していた。

後ろを、四回ふり返ったと、先生が教えてくれた。

大地の病院で、行けなかった。

帰って、ごめんね、と言ったら、いいよ、と言われた。

いいよ、が、いちばんつらい。

そのページの左半分には、兄の病院のことが書いてあった。

右半分の終わりには、小さく、もう一行あった。

真由の、いいよ、の顔を、忘れないでおく。

わたしは、その日のことを、覚えていた。

母がいないのを知っていて、それでも、教室の後ろを、何度も見た日だ。

右半分は、左半分と、同じ長さだった。

兄の病院の日も、わたしのページは、短くなっていなかった。

兄が入院していた月のページも、右半分は、きちんと埋まっていた。

今日、真由は、おばあちゃんの家から、電話をくれた。

今日、真由は、一人でお風呂に入った、とおばあちゃんから聞いた。

母は、わたしのそばにいない日も、わたしのことを、だれかから聞いて、書いていた。

母は、毎晩、二人のことを、同じだけ書いていた。

わたしが生まれてから三十四年、一日も、とばさずに。

兄が、となりに来て、ノートをのぞきこんだ。

これ、ぼくと、まゆ、と兄は言った。

半分ずつ、と言って、兄は、笑った。

第五章 同じ濃さ

わたしは、ずっと、母の真ん中には兄がいて、わたしは、そのはしにいるのだと思っていた。

わたしがもらったものは、兄がもらったものより、薄いのだと思っていた。

でも、ノートの中では、わたしの半分も、兄の半分も、同じ濃さの字で書かれていた。

同じ鉛筆で。

同じ強さで。

どこを取っても、同じ濃さだった。

母は、参観日には来られなかった。

でも、その夜、わたしのことを、兄のことと同じだけ、書いていた。

わたしは、最後のノートを開いた。

去年の、秋のページだった。

病院のベッドで書いたらしく、字が、少しゆれていた。

それでも、まん中の線は、まっすぐだった。

右半分の最後に、こう書いてあった。

真由。手のかからない子に、ずっと、手をかけたかった。

わたしは、ノートを胸に当てて、しばらく動けなかった。

兄が、わたしの背中を、ぽんぽんとたたいた。

母が、わたしたちが泣いたときに、いつもしてくれたのと同じたたき方だった。

エピローグ

家に帰って、わたしは、文房具屋で、大学ノートを一冊買った。

その夜、娘が寝たあと、台所のテーブルで、ノートを開いた。

まん中に、線を一本、引いた。

左に、娘の名前を書いた。

右に、兄の名前を書いた。

娘には、今日、自分で靴をはいた、と書いた。

兄には、今日、ノートをのぞいて、半分ずつ、と言って笑った、と書いた。

二つの半分は、同じくらいの長さになった。

わたしは、えんぴつを置いて、ノートを閉じた。

次の週末、兄に会いに行ったら、また、半分ずつ、と言って笑うだろう。

ソウルミッション358

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