郵便局のベンチ
白いままの日は、一日も無かった

朗読で聴く
第一章 五年の朝
八十一になった。
カナダの真ん中の、広い麦畑の中の小さな町で、生まれた。
町には、通りが三本と、郵便局が一つしかない。
わたしは、十八から六十五まで、町の穀物倉庫で働いた。
秋になると、町じゅうの麦が、わたしの倉庫に集まってきた。
トラックが、朝から晩まで、倉庫の前に並んだ。
わたしは、麦の重さを量って、帳面に書きつけた。
四十七年、一度も、量りまちがえなかった。
それが、わたしのほこりだった。
妻のルースは、町の学校で、四十年、子どもたちに字を教えた。
五年前、わたしが七十六のとき、ルースは死んだ。
それから五年、わたしは、何もしなかった。
毎朝、七時に家を出る。
郵便局まで、歩いて、じゅっぷん。
郵便局の前の、古い木のベンチに座る。
郵便を受け取って、また、歩いて家に帰る。
それだけの毎日だった。
町の人は、わたしが座っているのを見て、手を上げていった。
わたしも、手を上げた。
話すことは、ほとんどなかった。
家に帰ると、台所の時計の音だけが、大きく聞こえた。
ルースの椅子は、テーブルの向こうに、そのままにしてあった。
夕食は、缶のスープを温めて、一人で食べた。
ルースがいたころは、毎日が、何かでいっぱいだった。
この五年は、何も書いていない紙のようだった。
ルースは、毎晩、台所のテーブルで、日記をつけていた。
わたしは、日記など、一度もつけたことがない。
もしつけていたら、この五年は、どの頁も同じだったろう。
郵便局に行った。ベンチに座った。帰った。
第二章 冬の道
この町の冬は、長くて、きびしい。
十一月になると、雪がふりはじめる。
朝は、氷点下三十度になる日もある。
それでも、わたしは、毎朝、郵便局まで歩いた。
家から郵便局までは、公園を斜めに横切るのが、いちばん近い。
雪がふった朝は、公園に、だれの足跡も無かった。
わたしは、ひざまで雪にうまりながら、まっすぐ歩いた。
吹雪の朝は、前が見えなかった。
それでも、郵便局の屋根の旗を目当てに、歩いた。
ベンチに着くと、まず、手袋で雪をはらった。
それから、腰をおろした。
息子のダニエルは、遠い町から、電話をくれた。
父さん、冬だけでも、こっちに来ないか。
わたしは、断った。
この町を離れたら、ルースの墓に、だれも花を持っていかない。
でも、本当は、自分が何のためにここにいるのか、分からなかった。
八十を過ぎた男が、毎朝、ベンチに座っているだけだ。
だれの役にも立っていない、と思った。
倉庫で働いていたころは、町の人に、必要とされていた。
麦を運んでくる人たちは、わたしの量った重さで、一年の暮らしを決めた。
今のわたしは、だれの暮らしも、決めていない。
ただ、雪の上を歩いて、ベンチに座っているだけだ。
第三章 新しいベンチ
この春、町の集まりで、郵便局のベンチを新しくすることが決まった。
古いベンチは、四十年前に、町の人たちが作ったものだ。
板は、雨と雪で、ひびが入っていた。
わたしは、それを聞いて、少しさびしかった。
でも、仕方がない、と思った。
町の集まりでは、だれも、わたしに何も聞かなかった。
ベンチは、ただのベンチだった。
わたしも、ただの年寄りだった。
古い物は、新しい物に代わる。
わたしの毎朝も、いつか、だれかの毎朝に代わる。
工事の前の日、わたしは、いつものように、ベンチに座った。
郵便局のリンダが、窓口の奥から出てきた。
リンダは、六十になる。
三十年、この町の郵便局に、ひとりで座ってきた人だ。
リンダは、わたしのとなりに座って、言った。
リンダが、仕事中に外へ出てくることは、めったになかった。
朝の郵便局は、いつも、彼女一人きりだからだ。
このベンチ、あなたが座ってたところだけ、色がちがうのよ。
第四章 五年分の朝
わたしは、立ち上がって、ベンチを見た。
板の、右のはしの一か所だけが、すべすべに光っていた。
ちょうど、男が一人、座ったくらいの大きさだった。
リンダは、続けて言った。
この五年、わたしは、毎朝、窓からあなたを見てたの。
あなたが七時十分にここに座ると、今日も町は大丈夫だって思えた。
一度、あなたが来なかった朝があったでしょう。
わたし、すぐに、あなたの家に電話したのよ。
覚えている。
インフルエンザで、寝こんでいた朝だった。
あの日、リンダは、昼に、スープを持って来てくれた。
わたしは、町の人が親切なのだと思っていた。
わたしが来なかったから、気づいたのだとは、思わなかった。
それから、リンダは、もう一つ、教えてくれた。
冬の朝、子どもたちは、あなたの足跡をたどって、スクールバスまで歩いていくのよ。
あなたが、毎朝、いちばん先に、雪に道をつけるから。
子どもたちは、それを、じいさんの道、って呼んでる。
わたしは、何も言えなかった。
目の前の通りを、ちょうど、何人かの子どもたちが歩いていった。
一人が、わたしに手をふった。
わたしは、ふり返すのが、少しおくれた。
白いままの日は、一日も無かった。
何もしなかったと思っていた五年の毎朝、わたしは、雪に、最初の道をつけていた。
第五章 板の跡
次の日、工事の人たちが、古いベンチを外しに来た。
わたしは、工事の人に、一つだけ頼んだ。
右のはしの板を、一枚、もらえないか。
工事の人は、笑って、のこぎりで、その板を切ってくれた。
わたしは、板を、家に持って帰った。
板は、思ったより、重かった。
雪どけの水を、四十年、吸ってきた重さだった。
わたしは、板を、赤ん坊のように、両腕で抱えて歩いた。
台所のテーブルに置いて、手のひらでなでた。
すべすべの跡は、五年分の朝だった。
その前の、四十年分の、だれかの朝も、そこに重なっていた。
わたしは、その板で、小さな棚を作った。
穀物倉庫で、五十年近く、板を打ちつけてきた手だった。
棚は、玄関のわきにつけた。
そこに、ルースの写真を、一枚、立てた。
ルースが、教室の窓の前で笑っている写真だ。
毎朝、玄関で、その写真に、行ってくるよ、と言うことにした。
ダニエルに電話をして、ベンチの話をした。
ダニエルは、しばらく黙っていた。
それから、父さんらしいな、と笑った。
来年の冬も、こっちには来ないんだね、と言った。
わたしは、ああ、と答えた。
エピローグ
次の朝、わたしは、いつものように、七時に家を出た。
郵便局の前には、新しいベンチがあった。
切ったばかりの木の、いいにおいがした。
まだ、どこも、すべすべではなかった。
わたしは、右のはしに、腰をおろした。
郵便局の窓の向こうで、リンダが、手を上げた。
わたしも、手を上げた。
通りの向こうから、スクールバスを待つ子どもたちが、歩いてきた。
一人の男の子が、わたしの前で立ち止まって、言った。
おはよう、じいさん。今年の冬も、道をつけてね。
わたしは、うなずいた。
男の子の吐く息が、白かった。
新しいベンチの板は、まだ白かった。
これから、わたしが、毎朝、色をつけていく。
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