プールの見張り台
日に当たり続けたところが、深い青になっていた

朗読で聴く
第一章 四十回の夏
七十二になった。
アメリカの南西部の、砂漠の中の小さな町で暮らしている。
夏は、毎日のように、日陰でも四十度を超える。
わたしは、四十年の夏、町の市民プールで、監視員をしてきた。
三十二のとき、勤めていた工場が閉まって、夏のあいだだけの仕事として始めた。
冬は、ガソリンスタンドで働いた。夏が来ると、プールに戻った。
プールの端に、背の高い見張り台が一つある。
白く塗った木の椅子で、日よけは付いていない。
わたしは、そこに、朝の十時から夕方の六時まで座っていた。
水の上を、ひとかきずつ、目で追っていた。
朝は九時に来て、プールの底を長いあみでさらった。水の色を見て、薬を足した。
十時に門を開けると、子どもたちが、走って入ってきた。
走るな、と、わたしは毎日、同じことを言った。
四十年、一度も、事故を出さなかった。
町には、ほかに涼める場所がなかった。
夏休みの子どもたちは、朝から夕方まで、プールで過ごした。
働きに出る親たちは、子どもを、プールに預けるように送り出した。
それだけが、わたしの仕事だった。
夕方、プールを閉めると、わたしは、空になった水面を、もう一度だけ見渡した。
それから、見張り台に、古い布をかけて帰った。
第二章 日なたの椅子
見張り台の上は、町でいちばん暑い場所だった。
見張り台の椅子の肘掛けは、四十年で、わたしの腕の形にすり減った。
座ると、木が、わたしの腕を覚えていた。
日の光が、水に跳ね返って、下からも顔を焼いた。
帽子をかぶり、首に布を巻いても、焼けた。
四十年たって、わたしの顔と腕は、古い革のような色になった。
あなたの顔、毎年、色が深くなるわね、とマリアは笑った。
わたしは、日に焼けた顔を、鏡で見ないようにしていた。
妻のマリアは、毎晩、わたしの背中に、冷たいタオルを当ててくれた。
マリアは、六年前に死んだ。
息子のマイケルは、四十四で、フェニックスで弁護士をしている。
十六のとき、マイケルが言ったことがある。
父さんは、夏じゅう、日なたに座ってるだけじゃないか。
ぼくは、そういう仕事はしない。
マイケルは、怒っていたのではなかった。ただ、本当のことを言っただけだった。
わたしも、そう思った。
その夏も、わたしは、黙って見張り台に上がった。
見張り台の上から、プールの外の道を、自転車で通り過ぎていく息子の背中が見えた。
わたしは、四十年、日なたの椅子に座っていただけだった。
マイケルは、大学に行ってから、夏には一度も帰ってこなかった。
電話で、仕事が忙しい、と言った。
あの子は、日陰の仕事についた。それでいいと思った。
第三章 閉まるプール
この春、町の議会が、市民プールを閉めることに決めた。
修理にかかるお金が、町にはもう無いのだという。
最後の日は、八月の終わりの日曜日だった。
その日も、わたしは、朝の十時に見張り台に上がった。
四十回目の夏の、最後の日だった。
最後の週、わたしは、見張り台の白いペンキを、自分で塗り直した。
誰に頼まれたわけでもなかった。
四十年、毎年、夏の前に塗ってきた。最後の年だけ塗らないのは、おかしいと思った。
プールは、いつもの日曜日より混んでいた。
朝、門の前には、もう列ができていた。
列の中に、白いものの混じった髪の男や女が、何人もいた。
見覚えのない大人たちが、子どもを連れて来ていた。
わたしは、いつものように、水の上を目で追った。
夕方の五時を過ぎたころ、町長が、プールサイドに小さな台を置いた。
短い集まりを開くのだという。
わたしは、見張り台の上から、それを見ていた。
第四章 ロサ
町長のあいさつのあと、一人の女の人が台に上がった。
四十を少し過ぎたくらいの人だった。
わたしは、ロサといいます、と彼女は言った。
三十四年前の夏、七つのとき、わたしは、このプールで溺れかけました。
深いほうに、一人で行ってしまったんです。
気がついたら、あの見張り台の人が、わたしを抱えて、水から上げていました。
わたしは、その日のことを、覚えていた。
小さな女の子だった。水を吐いて、大声で泣いた。
あの日、わたしは、見張り台から飛び降りて、水に入った。
女の子の体は、思っていたより、ずっと重かった。
水から上げたあと、わたしの手は、しばらく震えていた。
それを、誰にも話さなかった。マリアにも。
ロサは、続けた。
それから毎年、夏になると、わたしは、このプールに来ました。
水に入る前に、いつも、見張り台を見上げました。
あの人が座っているのを確かめてから、飛びこみました。
そのあとは、一度も、上を見ませんでした。
見なくても、あの人がいるのが分かっていたから。
ロサは、隣に立つ小さな女の子の肩に手を置いた。
この子も、ここで泳ぎを覚えました、と言った。
第五章 顔を上げずに
ロサは、プールのほうを手で示した。
わたしは、日に焼けた顔のまま、何も言えずに、ロサを見下ろしていた。
今日、ここにいる大人は、みんな、子どものころ、このプールで遊びました。
あなたが日なたに座っていたから、わたしたちは、顔を上げずに、遊べた。
プールサイドの大人たちが、見張り台のほうを向いた。
誰かが、拍手をはじめた。それが、ほかの人にも移っていった。
拍手は、なかなか止まなかった。
わたしは、帽子を取って、頭を下げた。顔に、まともに夕日が当たった。
わたしは、見張り台の上で、どうしていいか分からなかった。
人混みのうしろに、背の高い男が立っているのが見えた。
マイケルだった。フェニックスから、車で来ていたのだった。
マイケルは、拍手をしながら、わたしを見上げていた。
ぼくも、子どものころ、毎日ここで泳いだんだ。あとで、マイケルはそう言った。
上を見たことは、一度もなかった。父さんがいるのが、当たり前だったから。
わたしは、自分の腕を見た。
古い革のように焼けた腕だった。
日に当たり続けたところが、深い色になっていた。
その深い色の下で、四十年の子どもたちが、水しぶきの白い形になって、笑っていた。
エピローグ
六時になった。
わたしは、最後に、プールの水面を、端から端まで見渡した。
もう、誰も泳いでいなかった。
わたしは、見張り台の梯子を、ゆっくり降りた。
下で、マイケルが待っていた。
マイケルは、わたしの焼けた腕に、そっと手を置いた。
父さん、ぼく、知らなかったよ、と言った。
あの見張り台の上が、どれだけ暑いか、一度も考えたことがなかった。
ロサが、見張り台の写真を撮っていた。町の図書館に飾るのだという。
わたしは、息子の手の上に、自分の手を重ねた。
二人で、閉まっていくプールの門を出た。
門を出る前に、マイケルは、見張り台を振り返った。
あの椅子、もらって帰ってもいいかな、と息子は言った。
西の空に、まだ、強い日が残っていた。
わたしは、帽子をかぶらずに、その日の中を、息子と並んで歩いた。
あなたの魂のテーマに気づく場所