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日なたの姉

日に当たり続けたところが、深い青になっていた

日なたの姉

朗読で聴く

第一章 十五の春

七十七になった。

山あいの村で、一人で暮らしている。

生まれた家に、いまも住んでいる。家のまわりに、小さな畑が三枚ある。

わたしは、四人きょうだいのいちばん年上だった。

下に、弟が二人と、妹が一人いた。

父は、わたしが十四の冬に、山の仕事で足を悪くした。

畑と田んぼは、母とわたしの手に残った。

父は、足を引きずりながら、家の前の石段に座って、畑のわたしを見ていた。

すまんな、と父は一度だけ言った。わたしは、聞こえないふりをした。

十五の春、中学を出ると、わたしは畑に出た。

高校に行きたいとは、言わなかった。言える家ではなかった。

弟の健一は、勉強のできる子だった。

三つ年下の健一を、いずれ高校にやるには、誰かが畑に出るしかなかった。

それが、わたしだった。

朝の五時から、日が暮れるまで、畑にいた。

夏は、頭の上から日が照りつけた。帽子をかぶっても、首の後ろが焼けた。

冬は、手がひび割れた。母と二人で、凍った畑の大根を抜いた。

母は、ときどき、わたしの手を見て、ごめんね、と言った。

わたしは、そのたびに、首を横に振った。

第二章 焼けた顔

二十になるころには、わたしの顔は、すっかり日に焼けていた。

村の祭りで、町から来た若い人たちと並ぶと、自分だけ色が黒かった。

腕も、首も、手の甲も、日に焼けて、しわが寄っていた。

鏡を見るのが、いやだった。

十八のとき、町の写真館で、家族の写真を撮ったことがある。

できあがった写真を見て、わたしは、自分の顔だけを指で隠した。

弟たちの白い顔の横で、わたしの顔だけが、黒く写っていた。

その写真は、仏壇の引き出しに、しまいこんだ。

弟たちは、家の奥の、日の当たらない部屋で、本を読んでいた。

わたしは、その部屋の前を通るとき、なるべく足音を立てないようにした。

村の同級生たちは、町の高校の制服を着て、朝のバスに乗っていった。

わたしは、畑の中から、そのバスを見送った。

バスの窓に、日に焼けていない顔が並んでいた。

健一は、高校を出て、町の大学に行った。

次郎も、その次の年に、高校に入った。

妹のかず子は、看護学校に行った。

かず子が看護学校の寮に入る朝、わたしは、駅まで荷物を運んだ。

かず子は、汽車の窓から、姉ちゃん、ありがとう、と言った。

わたしは、手を振るだけで、何も言えなかった。

わたしは、畑に残った。

縁談もいくつかあったが、母を一人にできなくて、断った。

気がつくと、四十を過ぎていた。

わたしの人生は、日なたで焼けて終わったのだと思った。

弟や妹は、きれいな顔のまま、町で暮らしている。

わたしだけが、焼けて、黒くなった。

第三章 遠いきょうだい

健一は、高校の国語の先生になった。

次郎は、大きな会社で、橋を造る仕事をした。

かず子は、町の病院で、看護師長になった。

健一の結婚式で、わたしは、いちばん後ろの席に座った。

写真を撮るときも、そっと、柱の陰に入った。

次郎の造った橋を、一度だけ、テレビで見たことがある。大きな川に、白い橋が、まっすぐ架かっていた。

わたしは、それを、一人で、黙って見ていた。

三人とも、盆と正月には帰ってきた。

でも、話すことは、だんだん少なくなった。

健一が話す本の話も、次郎の話す橋の話も、わたしには分からなかった。

わたしは、台所で、黙って煮物を作った。

畑で採れた野菜を、新聞紙に包んで、三人の車に積んだ。

帰っていく車を、畑の端で見送った。

あの子たちには、もう、わたしは要らないのだと思った。

日なたで焼けた姉など、恥ずかしいだけだろうと。

母が死んでからは、帰ってくる回数も減った。

母の葬式の日、三人は、そろって帰ってきた。

健一が、喪主のあいさつで、何か言いかけて、やめた。

わたしは、何を言いかけたのか、聞かなかった。

わたしは、一人で畑に出続けた。

第四章 喜寿の祝い

この春、わたしは七十七になった。

健一から、電話があった。

姉さんの喜寿の祝いを、町でやるから、来てほしい。

わたしは、断ろうとした。着ていく服もなかった。

健一は、迎えに行くから、と言って、電話を切った。

次の日曜日、健一の車の助手席で、わたしは、町の景色をぼんやり見ていた。

姉さん、着るものなんか気にしなくていいよ、と健一は前を見たまま言った。

町の料理屋の座敷に、きょうだいと、その家族が集まっていた。

甥や姪や、その子どもたちまで、二十人近くいた。

わたしは、いちばん奥の席に座らされた。

日に焼けた手を、膝の上で、隠すように重ねた。

座敷の床の間に、一枚の写真が飾ってあった。

十八のときに写真館で撮った、あの家族の写真だった。

引き伸ばして、額に入れてあった。わたしの黒い顔も、そのまま写っていた。

わたしは、思わず、目をそらした。

料理が並んだところで、健一が立ち上がった。

七十四になった健一は、昔の父に、よく似ていた。

第五章 深い色

健一は、紙を出さずに、話しはじめた。

ぼくたち三人が、こうして生きてこられたのは、姉さんのおかげです。

ぼくが中学に上がった春、姉さんは、十五で畑に出ました。

ぼくは、家の奥の、日の当たらない部屋で、本を読んでいました。

夏になると、窓から、畑の姉さんが見えました。

帽子をかぶって、一日じゅう、日なたにいました。

ぼくは、それを見ながら、勉強しました。

あの写真を、ぼくは、ずっと、机の前に貼っていました。

白い顔の三人のうしろに、日に焼けた姉さんがいる。

姉さんの顔が黒かったから、ぼくらの顔は白かった。

姉さんが、日なたに立ってくれたから、ぼくらは日陰で本が読めた。

健一は、そこで、少し黙った。

ぼくは、国語の教師を四十年やりました。

教室で、何度も、姉さんの話をしました。

日に焼けた人の手は、いちばんきれいな手だと、生徒たちに言ってきました。

座敷の誰も、しゃべらなかった。

健一の孫の小さな女の子が、わたしの膝に来て、手をのぞきこんだ。

おばあちゃんの手、茶色いね、と言った。

健一が、それはね、日なたの色だよ、と言った。

次郎が、目をこすっていた。かず子は、ハンカチを出していた。

わたしは、膝の上の手を見た。

焼けて、黒くなった手だった。

日に当たり続けたところが、深い色になっていた。

その深い色のそばで、三人の弟と妹が、それぞれの形を持って、立っていた。

エピローグ

祝いのあと、かず子が、わたしの手を取った。

看護師長をしていた手で、わたしの手の甲を、ゆっくりさすった。

姉ちゃんの手、あったかいね、とかず子は言った。

次の朝、わたしは、村に帰った。

健一が、額に入れたあの写真を、わたしに持たせてくれた。

家に着いて、仏壇の横の壁に掛けた。引き出しの中の小さな写真も出して、隣に並べた。

いつものように、帽子をかぶって、畑に出た。

日は、もう高くなっていた。

わたしは、帽子のつばを、少しだけ上げた。

顔に、まっすぐ日が当たった。

焼けるのは、もう、いやではなかった。

ソウルミッション358

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