洗濯屋の本棚
手放した物が、毎日使われていた

朗読で聴く
第一章 閉じた図書室
七十一になった。
アメリカの南西部の、乾いた町で、娘の家族と暮らしている。
生まれ育ったのは、オハイオの、川沿いの小さな町だ。
わたしは、その町の小学校で、三十年、図書室の司書をした。
二十一で勤めはじめて、五十一まで。
図書室は、校舎の二階のいちばん奥にあった。窓が三つあって、午後になると、本の背に日が当たった。
子どもたちは、昼休みになると、走ってきた。
本を一冊借りるたびに、わたしは、裏の表紙のポケットの貸出カードに、日付のはんこを押した。
雨の日には、本を読まない子も、図書室に来た。わたしは、その子たちに、一冊だけ、こっそり選んでやった。
その一冊を、次の週も借りに来る子がいると、わたしは、一日じゅう、うれしかった。
図書室には、古い木のカードの引き出しがあった。本の題名と作者の名前を、一枚ずつ、わたしが手で書いたカードだった。
二十年前、町の小学校は、隣の町の学校と一つになった。
古い校舎は閉められて、図書室も閉じることになった。
新しい学校には、新しい本がそろっていた。古い本は、いらないと言われた。
本は、校舎の裏の大きなごみ箱に、捨てられることになった。
第二章 二つの棚
わたしは、捨てることができなかった。
何日も迷ったあと、町の大通りの、コインランドリーに行った。
店をやっていたのは、オルティスさんという、無口な男の人だった。
洗濯が終わるのを待つあいだ、子どもたちが、いつも退屈そうに座っている店だった。
本を、置かせてもらえませんか、と頼んだ。
オルティスさんは、しばらく考えてから、壁の前を指さした。
あそこなら、空いてる。
オルティスさんは、何も聞かなかった。本が好きなのかどうかも、分からなかった。
ただ、本棚を運ぶのを、黙って手伝ってくれた。
最後の一冊を並べたとき、わたしは、ありがとうございます、と言った。オルティスさんは、肩をすくめただけだった。
わたしは、二つの古い本棚を運びこんで、図書室の本を、できるだけ並べた。
それでも、並べきれなかった本は、ごみ箱に行った。
それから二年して、夫が死んだ。
わたしは、家を売って、娘のいる南西部の町に移った。
コインランドリーの本のことは、気になっていた。
でも、もうとっくに、片づけられたと思っていた。
洗濯屋に、古い本など、いつまでも置いておく理由はない。
第三章 捨ててきたもの
わたしは、ずっと、自分があの図書室を捨てたのだと思っていた。
三十年、子どもたちに、本は友だちだと言ってきた。
その友だちを、最後は、洗濯屋の壁ぎわに押しつけて、町を出た。
南西部の町の図書館に、ときどき行った。
明るくて、新しくて、本がたくさんあった。
それを見るたびに、あの二つの棚を思い出した。日に焼けて、かどのすり切れた本たちを。
捨てるのを、少し先に延ばしただけだった。
そう思って、二十年近く、オハイオには帰らなかった。
娘は、ときどき、オハイオの話をしてよ、と言った。わたしは、もう昔のことだから、と答えた。
この秋、昔の同僚が亡くなったと、知らせが来た。
わたしは、葬式に出るために、十八年ぶりに、川沿いの町に帰った。
大通りの店は、半分ほどが閉まっていた。
わたしが勤めていた小学校の校舎は、もう取り壊されて、草の生えた空き地になっていた。
図書室の窓があったあたりの空を、わたしは、しばらく見上げていた。
第四章 壁いっぱいの本
葬式の翌朝、わたしは、大通りを歩いた。
コインランドリーは、まだそこにあった。
看板は新しくなっていたが、ガラス戸の取っ手は、昔と同じ、すり減った真鍮だった。
ガラス戸を開けると、洗剤の匂いと、乾燥機の回る音がした。
そして、壁が、端から端まで、本棚になっていた。
二つだった棚は、八つに増えていた。
店の奥から、若い男の人が出てきた。オルティスさんの息子だった。
父は、五年前に引退しました、と彼は言った。
あの本、父は、一冊も捨てませんでした。
壊れたら、テープで直した。町の人が、家で読まなくなった本を持ってきて、棚が増えた。
彼は、レジの横の、分厚いノートを見せてくれた。
名前と日付が、びっしりと書いてあった。
借りた人が、自分で書いて、返すときに線を引くんです。
ノートは、もう十九冊目だった。
表紙が日に焼けて、ばらばらになりそうな本には、透明なテープが、何重にも巻いてあった。
二十年、毎日、誰かが借りていく。
手放した物が、毎日使われていた。
わたしは、棚から一冊抜いた。
裏の表紙のポケットに、あの貸出カードが、まだ入っていた。
わたしの押した日付のはんこの下に、知らない人たちの手書きの日付が、何十も続いていた。
第五章 洗濯を待つ子ども
店の奥の長椅子で、小さな男の子が、本を読んでいた。
母親の洗濯が終わるのを、待っているのだった。
その横で、わたしと同じくらいの年の女の人が、乾燥機から洗濯物を出していた。
その人は、わたしの顔を見て、目を丸くした。
ミセス・ハリス。司書の先生でしょう。
わたし、この店で、字を覚えたんです。
学校が一つになったとき、わたしの家は車がなくて、新しい学校の図書室まで、行けなかった。
でも、毎週、洗濯に来るたびに、ここで一冊借りられた。
あの本棚がなかったら、わたし、たぶん、字の読めないまま、大人になってた。
うちの子も、孫も、ここの本で大きくなりました。
その人は、乾いた洗濯物をたたみながら、笑った。
毎週、洗濯の日が楽しみだったんですよ。洗濯物より、本のほうが重かったけど。
わたしは、カードを持ったまま、立っていた。
図書室を捨てたのだと、二十年、思っていた。
でも、図書室は、捨てられていなかった。洗濯を待つあいだの三十分に、場所を変えて、毎日、開いていた。
わたしが閉じたと思っていたのは、校舎の二階の部屋だけだった。
長椅子の男の子が、本を閉じて、レジの横のノートに、たどたどしい字で名前を書いた。
それから、その本を、自分の洗濯物の袋に、大事そうにしまった。
エピローグ
帰る前の日の朝、わたしは、もう一度、コインランドリーに行った。
娘の家から持ってきた、一冊の本を、鞄から出した。
三十年前に、図書室のために買って、最後に自分の家に持ち帰った絵本だった。
裏の表紙に、新しいポケットを貼って、カードを入れた。
オルティスさんの息子に渡すと、彼は、空いている棚の端に、それを立てた。
父に電話したら、喜んでました。あの人は本を読まないけど、毎晩、棚の本が何冊減ったか数えてたんです、と彼は言った。
減った日は、機嫌がよかったんですよ。
わたしは、貸出のノートに、自分の名前と、今日の日付を書いた。
それから、絵本の隣の一冊を借りて、南西部の町に帰った。
飛行機の中で、わたしは、その本の貸出カードを見た。わたしのはんこの下に、九つの名前と日付が続いていた。
返すのは、次の秋だと、ノートに書いておいた。
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