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畝の外

枠からはみ出していた

畝の外

朗読で聴く

第一章 嫁に来た日

七十になった。

山あいの村で、畑をやっている。

二十二で、この家に嫁に来た。四十八年前のことだ。

夫は、五年前に死んだ。息子は、町で働いている。

いまは、一人で、古い家と、畑を守っている。

畑は、大根と、白菜と、じゃがいも。道の駅に出して、少しだけお金になる。

嫁に来たころのわたしは、声が大きくて、よく笑う娘だった。

畑で草を取りながら、歌をうたった。

町の高校で、合唱部にいた。歌っていると、腰の痛いのも忘れた。

しゅうとめは、それを嫌がった。

嫁が、畑で歌なんかうたうもんじゃない。

しゅうとめは、言葉の少ない、きちんとした人だった。

畝は、まっすぐに立てる。苗は、同じ間をあけて植える。

朝は、誰よりも早く起きる。

味噌汁の味も、漬物の漬け方も、全部、しゅうとめの決めたとおりだった。

この家には、この家の枠があった。

わたしは、町の、商店街の八百屋の娘だった。畑のことは、何も知らなかった。

わたしは、その枠に、いつも収まらなかった。

味噌汁は、いつも少し濃かった。漬物は、いつも少し早く出した。

そのたびに、しゅうとめは、黙って、わたしの顔を見た。

第二章 畝の外の花

嫁に来て二年目の春、わたしは、畑の端に、花の種をまいた。

畝の外の、草しか生えないところだった。

実家の母が持たせてくれた、コスモスとひまわりの種だった。

嫁に行く朝、母は、向こうでさみしくなったら、これをまきなさい、と言った。

夏になると、ひまわりが、わたしの背より高くなった。

道を通る人が、足を止めて見ていった。

小学生が、自転車を止めて、花の数を数えていった。

秋には、コスモスが、畑の端を、桃色と白で埋めた。

しゅうとめは、それを見て、言った。

畑は、売るものを作るところだ。

花なんか植えて、どうするんだ。

わたしは、何も言い返せなかった。

夜、布団の中で、少し泣いた。

それでも、次の年も、その次の年も、わたしは、畝の外に種をまいた。

しゅうとめは、毎年、同じことを言った。

花なんか植えて、どうするんだ。

そう言って、畑の端には、一度も近づかなかった。

近所の人も、あそこの嫁は変わってる、と言っていたらしい。

畑の端に花なんか植える嫁は、この村には、ほかにいなかった。

わたしは、それを、夫から聞いた。

夫は、困ったように笑っていた。

夫も、しゅうとめに逆らえる人ではなかった。

わたしは、自分は、この家の枠からはみ出した嫁なのだと思っていた。

しゅうとめには、最後まで、認めてもらえなかったのだと思っていた。

第三章 しゅうとめの死

しゅうとめは、十年前の秋に、九十一で死んだ。

最後の半年は、寝たきりだった。

わたしは、毎日、体をふいて、ごはんを食べさせた。

味噌汁を、少し薄めに作るようにした。

しゅうとめは、何も言わずに、全部飲んだ。

しゅうとめは、ありがとう、とは、一度も言わなかった。

ただ、ときどき、窓の外を見ていた。

窓からは、畑の端が見えた。

その年も、コスモスが咲いていた。

しゅうとめは、目を細めて、長いこと、そちらを見ていた。

まぶしいのだと、わたしは思っていた。

葬式のあと、わたしは、しゅうとめの部屋を片づけなかった。

片づける気になれなかった。

しゅうとめの着物も、湯のみも、眼鏡も、そのままにしておいた。

認めてもらえないまま、終わってしまった。

四十年近く、同じ家にいて、一度も、よくやった、と言われなかった。

そう思うと、あの部屋に入るのが、つらかった。

十年、しゅうとめの部屋の戸は、閉めたままだった。

毎年、秋になると、わたしは、一人で畑の端に立って、コスモスを見た。

見せる人は、もう、誰もいないと思っていた。

第四章 缶の中

この春、隣の村から、トメさんという人が訪ねてきた。

九十三になる、しゅうとめの、娘のころからの友だちだった。

腰は曲がっていたが、声は大きく、よく笑う人だった。

しゅうとめの十年の法事に来られなかったから、と言って、線香をあげに来てくれた。

孫の運転する車に乗って、山を一つ越えてきた。

仏壇の前で、トメさんは、笑って言った。

あんたのおしゅうとめさんね、毎年、秋になると、わたしを呼んだのよ。

うちの畑の端を見に来い、って。

うちの嫁は、畑の外に花を植える。

この村で、あんな嫁は、ほかにいない、って。

それはそれは、自慢そうだったよ。

花が咲くと、わたしの家にまで、わざわざ歩いて呼びに来たんだから。

あの人が、あんなにうれしそうな顔をするのは、ほかに見たことがない。

わたしは、トメさんの顔を見た。

トメさんは、知らなかったの、と言った。

わたしは、首を横に振った。声が出なかった。

あの人は、口では、言わない人だったからね。

そのかわり、言わないことを、ずっと手でやってた人だよ。

トメさんが帰ったあと、わたしは、十年ぶりに、しゅうとめの部屋の戸を開けた。

押し入れの奥に、古いお菓子の缶があった。

開けると、小さな紙の袋が、何十も入っていた。

どの袋にも、しゅうとめの字で、年が書いてあった。

きちんとした、細い字だった。畝と同じように、まっすぐだった。

中には、ひまわりと、コスモスの種が入っていた。

いちばん古い袋は、わたしが嫁に来て、二年目の年のものだった。

いちばん新しい袋は、しゅうとめが寝たきりになる前の秋のものだった。

どうやって、畑の端まで行ったのだろう。わたしは、一度も見ていなかった。

しゅうとめは、三十六年、わたしの花の種を、毎年、取っておいたのだ。

第五章 はみ出したところ

その晩、わたしは、缶を膝にのせて、縁側に座っていた。

四十八年、わたしは、自分は枠からはみ出した嫁だと思ってきた。

畝の外に花を植える、変わった嫁だと。

しゅうとめには、最後まで、恥ずかしい嫁だったのだと思ってきた。

でも、そうではなかった。

枠からはみ出していたところが、わたしの、いちばん大きなところだった。

しゅうとめが、友だちを呼んで見せたのは、まっすぐな畝ではなかった。

畝の外の、花だった。

わたしがいちばん恥ずかしいと思っていたところを、しゅうとめは、いちばん人に見せたかったのだ。

寝たきりの窓から見ていたのも、畑の端の、コスモスだった。

目を細めていたのは、まぶしかったからではなかったのかもしれない。

枠の中に収まっていたら、しゅうとめの缶は、空っぽだった。

わたしは、袋を一つずつ、手のひらにのせた。

どの種も、乾いて、軽かった。

三十六年ぶんの、畝の外だった。

エピローグ

四月、わたしは、畑の端に、種をまいた。

しゅうとめの缶の、いちばん新しい袋の種だった。

町から、孫の美咲が、手伝いに来た。

十二になる、声の大きな、よく笑う子だ。

わたしに、よく似ていると、息子は言う。

美咲は、まきながら、歌をうたった。

わたしは、止めなかった。

わたしも、小さな声で、一緒にうたった。

ねえ、おばあちゃん、なんで畑の外に植えるの。

わたしは、少し考えてから、言った。

ここが、この家の、いちばんいいところだからよ。

美咲は、ふうん、と言って、また歌いはじめた。

残った種は、新しい袋に入れて、今年の年を書いた。

それから、缶に戻して、押し入れにしまった。

ソウルミッション358

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