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見積もりの外

枠からはみ出していた

見積もりの外

朗読で聴く

第一章 電器屋の息子

六十六になった。

古い団地のそばの商店街で、小さな電器屋をやっている。

店は、死んだ夫が始めた。いまは、息子の大輔が継いでいる。

大輔は三十八で、まだ一人だ。

夫が倒れたとき、大輔は東京の会社をやめて、帰ってきた。

会社でも、枠に収まらないと言われていたらしい。

わたしは、店の奥で、帳簿をつけている。

店先には、扇風機と、電球と、乾電池が並んでいる。

新しい冷蔵庫や洗濯機は、カタログを見てもらって取り寄せる。それで、この町では足りている。

大輔は、子どものころから、枠に収まらない子だった。

小学校の通知表には、毎年、時間を守りましょう、と書かれた。

図工の時間に描いた絵は、いつも画用紙からはみ出して、机にまで描いてあった。

先生に呼ばれて、わたしは何度も頭を下げた。

家に帰って叱ると、大輔は、だって、木が紙に入らなかったんだもん、と言った。

わたしは、入る大きさに描きなさい、と言った。

店を継いでからも、それは変わらなかった。

エアコンの取り付けに行けば、ついでに台所の電球を替えて、物置の棚を直して帰ってくる。

一時間の仕事が、三時間になる。

見積もりに入っていないことは、お代をもらわない。

ついでですから、と言って、頭を下げて帰ってくる。

ガソリン代も、部品代も、出ていくばかりだった。

わたしは、帳簿を見るたびに、ため息をついた。

第二章 はみ出す時間

大輔、見積もりの中で終わらせなさい。

わたしは、何度もそう言った。

うちは、ボランティアじゃないのよ。

大輔は、うん、と言うだけだった。

次の日も、三時間かけて帰ってきた。

団地の三階の、一人暮らしの吉田さんのところでは、テレビの線を一本つなぐのに、半日かかった。

吉田さんが、戦争の話を始めたから、と大輔は言った。

最後まで聞いてたら、夕方になった。

あきれて、わたしは何も言えなかった。

その月の帳簿は、とうとう赤い数字で終わった。

わたしは、夜中に一人で電卓をたたいて、何度も同じ足し算をした。

商店街の人は、大輔くんはいい子だけど、商売は下手だね、と笑った。

わたしも、そう思っていた。

夫が生きていたら、もっとちゃんと叱っただろう。

見積もりのとおりに仕事をして、決まった時間に帰ってくる。

それが、まっとうな店だと思っていた。

それで、店も、この子も、守れると思っていた。

この子は、どこまでいっても、枠からはみ出す。

夫は、見積もりの紙を、きっちり書く人だった。

大輔は、その紙の裏に、いつも何か書き足して帰ってきた。網戸、雨どい、玄関の電気。

それが、わたしには、ずっと心配だった。

わたしがいなくなったら、この子は、この店をどうするのだろう。

そう思うと、夜、眠れないこともあった。

第三章 台風の夜

去年の秋、大きな台風が来た。

夜の九時ごろ、町じゅうの電気が消えた。

店の電話が、鳴りやまなくなった。

わたしは、暗い店の中で、手さぐりで受話器を取った。

団地のお年寄りからだった。

暗くて、薬の場所が分からない。冷蔵庫の中のものが心配だ。酸素の機械が止まった。

どの人も、大輔くん、いる、と聞いた。

お店の人、ではなく、大輔くん、だった。

どうして、うちの番号を知っているのか、わたしは分からなかった。

大輔は、懐中電灯と、電池の入った箱を抱えて、雨の中を出ていった。

わたしは、店に残って、電話を受けつづけた。

名前と部屋の番号を、ろうそくの明かりで紙に書いて、大輔の携帯に送った。

夜中の一時を過ぎても、電話は鳴った。

団地の階段を、一軒ずつ上って、下りた。

酸素の機械の家には、店の発電機を運んで、朝までつけておいた。

戻ってきたのは、夜が明けてからだった。

雨はやんで、商店街のシャッターに、薄い光が当たっていた。

びしょぬれで、店の床に座りこんで、少し笑った。

わたしは、タオルを持っていって、何も言わずに、その頭を拭いた。

みんな、無事だった。

それだけ言って、そのまま眠ってしまった。

第四章 冷蔵庫の番号

次の週、団地の自治会長の竹内さんが、店に来た。

お礼に来ました、と言って、深く頭を下げた。

手には、団地の人たちが書いた寄せ書きを持っていた。

大輔は、配達に出ていて、いなかった。

それから、わたしに言った。

お母さん、知ってますか。

団地のお年寄りの家の冷蔵庫には、みんな、この店の番号が貼ってあるんです。

大輔くんが、行くたびに、自分で書いて貼っていくんですよ。

何かあったら、ここに電話して、って。

電球一つでもいいから、って。

わたしは、店の電話の横の壁を見た。

そこには、何も貼っていなかった。

わたしは、知らなかった。

帳簿には、どこにも書いていないことだった。

竹内さんは、続けた。

吉田さんの話を、半日聞いてくれたのも、大輔くんだけです。

あの人は、それから、毎週、大輔くんが来る日を待ってた。

見積もりの中だけで仕事をする人だったら、あの晩、誰も、ここに電話しなかったと思います。

この団地は、大輔くんの、見積もりの外のところに、ずっと助けられてきたんです。

竹内さんが帰ったあと、わたしは、帳簿を閉じた。

閉じた帳簿の上に、しばらく手を置いていた。

第五章 はみ出したところ

その晩、わたしは、店の奥で、一人で座っていた。

三十八年、わたしは、この子は枠に収まらない子だと思ってきた。

はみ出すところを、直そうとしてきた。

見積もりの中で終わらせなさい、と言い続けてきた。

でも、そうではなかった。

枠からはみ出していたところが、この子の、いちばん大きなところだった。

画用紙からはみ出した絵も、三時間になる仕事も、半日の戦争の話も、冷蔵庫に貼った番号も。

枠の中に収まっていたら、あの晩、町じゅうから電話は鳴らなかった。

吉田さんも、酸素の機械の家の人も、暗い部屋で、朝を待つしかなかった。

大輔は、枠の外のほうが、ずっと大きかったのだ。

わたしが見ていたのは、枠の中の、小さなところだけだった。

わたしは、引き出しの奥から、大輔が小学生のころの絵を出した。

画用紙の端で切れた、大きな木の絵だった。

枝の先は、紙の外へ出ていって、どこにも描いていなかった。

あのとき、この木は、机の上まで伸びていたのだ。

わたしは、それを、入る大きさに描きなさい、と叱ったのだった。

エピローグ

次の月曜日、大輔は、吉田さんの家に、エアコンの掃除に行った。

見積もりは、一時間だった。

わたしは、帳簿のその日の欄に、何も書かなかった。

夕方になっても、大輔は帰ってこなかった。

電話をすると、吉田さんが出た。

大輔くん、いま、うちの網戸を直してくれてるのよ。

後ろで、大輔の笑う声がした。

吉田さんの声も、笑っていた。

わたしは、はい、と言って、電話を切った。

見積もりは、一時間のままにしておいた。

それから、店の電話の横に、新しい紙を貼った。

団地の人たちの名前と、番号だった。

大輔が、いつか自分で書いていたものを、写したのだ。

ソウルミッション358

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