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セメントの足あと

離したから、形が残った

セメントの足あと

朗読で聴く

第一章 ぬれたセメント

七十二になった。

アメリカの東の、川沿いの小さな町に住んでいる。

四十年、町の工場で、機械の修理をしてきた。妻のキャロルは、二年前に死んだ。

キャロルは、町の図書館で働いていた。

息子が一人いる。ケビンは四十一で、西の海沿いの町で、船の整備をしている。

この春、家を売ることにした。一人で住むには、広すぎる家だった。

キャロルと二人で、三十八年住んだ家だった。

家の前には、玄関から道まで、コンクリートの小道がある。

毎朝、新聞を取りに、その小道を歩いた。

三十七年前の夏、わたしが自分で、セメントを流して作った道だ。

その日、ケビンは四つだった。

暑い日で、わたしは、汗だくで、こてを動かしていた。

わたしが少し目を離したすきに、ケビンは、裸足で、ぬれたセメントの上に入っていた。

三歩、歩いたところで、わたしは気づいて、怒鳴った。

ケビンは、びっくりして、泣き出した。

そして、両脇を抱えて、セメントの上から持ち上げた。

持ち上げたあとに、小さな足あとが、三つ、残っていた。

指の形まで、はっきり分かる足あとだった。

わたしは、こてで、ならして消そうとした。

キャロルが、そのままにしておいて、と言った。

いつか、この子が大きくなったら、見せてあげるのよ、と。

足あとは、三十七年、そこに残っている。

第二章 止めなかった父

わたしは、厳しい父親だった。

言葉の少ない男で、ほめることを、知らなかった。

わたしの父親も、そういう男だった。

ケビンが野球の試合で打っても、もっと腰を落とせ、としか言わなかった。

キャロルは、あなたは褒め方を知らないのね、と、よく笑った。

十八の春、ケビンは、海軍に入ると言った。

キャロルは泣いて、止めた。わたしは、行け、とだけ言った。

本当は、喉まで、行くなという言葉が出かかっていた。

引き止めなかった。何も、言えなかった。

ケビンが荷物をまとめる音を、わたしは、ガレージで聞いていた。

ケビンは、次の週に、出ていった。

見送りには、キャロルだけが行った。

それから二十年、ケビンが家に帰ってきたのは、数えるほどだった。

結婚したことも、子どもが生まれたことも、キャロルから聞いた。

クリスマスに電話があって、キャロルが話し、わたしは、元気か、とだけ言った。

キャロルの葬式には帰ってきたが、三日で、西へ戻っていった。

空港まで送る車の中で、わたしたちは、ほとんど話さなかった。

わたしは、息子を手放したのだと思っていた。

十八のあの朝、止めなかったから、息子は、遠くへ行ったきりになった。

あのとき、ほかの父親のように、行くなと言えば、何かが違ったかもしれない。

家を売る話を電話でしたとき、ケビンは、少し黙ってから、片づけを手伝いに行く、と言った。

第三章 不動産屋

五月、不動産屋の若い女の人が、家を見に来た。

家の中を見て回ったあと、玄関の小道で、立ち止まった。

この小道、だいぶ古いですね、と言った。

ひびも入っているし、売る前に、新しく打ち直したほうが、高く売れますよ。

そう言って、足あとの上を、何も気づかずに踏んで歩いた。

わたしは、足あとのことを、言わなかった。

そうだな、とだけ言った。

四十年前なら、自分で打ち直したところだが、もう膝がもたない。

業者には、ケビンが来たあとの週に、来てもらうことにした。

それで、全部、終わりにできると思った。

その晩、わたしは、玄関の明かりの下で、小道の足あとを見た。

三十七年、毎日踏んできたのに、ちゃんと見たのは久しぶりだった。

三つの小さなくぼみに、夕方の雨が、少したまっていた。

これも、なくなるのだと思った。

キャロルが残しておいてと言った足あとも、わたしの代で終わる。

息子と同じだ。手放して、それきりだ。

第四章 息子の足

六月の初め、ケビンが、九つになる孫を連れて、帰ってきた。

孫の名前は、ルークという。会うのは、二度目だった。

背が高くなって、ケビンの子どものころに、よく似ていた。

車から降りたケビンは、玄関の小道の前で、立ち止まった。

しゃがんで、小さな足あとを、指でなぞった。

まだ、あったのか、と言った。

母さんが、毎年、春になると、ここの落ち葉を、手で払ってた。

わたしは、業者が来週、打ち直しに来ることを話した。

ケビンは、しばらく黙っていた。

ルークが、父さん、これ、なに、と聞いた。

パパの足だよ、四つのときの、とケビンは言った。

それから、言った。

父さん、覚えてるか。おれが海軍に行くって言った朝。

母さんは泣いて、止めた。父さんは、行け、とだけ言った。

おれは、ずっと、父さんは、おれがどうでもいいんだと思ってた。

でも、ルークが生まれてから、分かったんだ。

止めないのは、こわいことだ。行くなって言うほうが、ずっと簡単だ。

ルークが学校の遠足に行くだけで、おれは、行くなと言いそうになる。

父さんが手を離してくれたから、おれは、自分で選んで、出ていけた。

自分で選んだから、こうやって、自分で帰ってこられたんだ。

誰かに引き止められて残ってたら、たぶん、二度と帰ってこなかった。

ケビンは、足あとを見た。

これだって、そうだろ。父さんは、おれを、セメントの上から持ち上げた。

ならして消すんじゃなくて、持ち上げて、離した。

だから、残ったんだ。

ケビンの声は、少し、震えていた。

第五章 持ち上げたから

その晩、わたしは、不動産屋に電話をして、打ち直しを断った。

電話を切ったあと、玄関の明かりをつけて、しばらく小道を見ていた。

小道は、そのまま売る。買う人には、足あとのことを、ちゃんと話す。

不動産屋の女の人は、少し驚いて、それから、すてきな話ですね、と言った。

三十七年、わたしは、自分は息子を手放した父親だと思ってきた。

十八の朝も、四つの夏も、手を離したところで、何かを失ったのだと思っていた。

でも、そうではなかった。

手を離したところに、形が残っていた。

持ち上げて、離したから、セメントには、三つの足あとが残った。

行けと言って、離したから、息子は、自分の足で出ていき、自分の足で帰ってきた。

握ったままだったら、何も残らなかった。

ケビンも、ルークも、ここには来なかった。

ならして消していたら、何も残らなかった。

エピローグ

出発の朝、ケビンは、裏の物置から、古いセメントの袋を見つけてきた。

小道の端の、ひびの入ったところを、少しだけ削った。

そこに、新しいセメントを流して、ならした。

ルーク、とケビンは言った。靴を脱げ。

わたしは、思わず、怒鳴りそうになって、やめた。

ルークは、裸足で、ぬれたセメントの上に、そっと立った。

ケビンが、両脇を抱えて、持ち上げた。

ルークは、笑っていた。

新しい足あとが、二つ、残った。

三十七年前の足あとの、すぐ隣だった。

古いほうが三つ、新しいほうが二つ、並んでいた。

わたしは、こてを持ったまま、それを見ていた。

キャロルに、見せたかった。

ならさなかった。

ソウルミッション358

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