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西日のブラインド

光をさえぎったところが、形になっていた

西日のブラインド

朗読で聴く

第一章 暗い本屋

六十四になった。

駅から少し歩いた商店街で、小さな本屋をやってきた。

父が始めた店で、わたしが二十六で継いだ。三十八年になる。

夫は、信用金庫を勤め上げて、いまは家で碁を打っている。子どもはいない。

店の入り口は、西を向いている。

午後になると、大きなガラス戸から、西日がまっすぐ差しこんでくる。

日に当たると、本の背表紙は、一夏で色があせる。

赤は桃色に、青は水色になって、書名が読めなくなる。

父は、それを嫌った。本は、背表紙で選ばれるんだ、と言っていた。

父は、夕方になると、棚の前を歩いて、背表紙を一冊ずつ指でなでた。

色があせていると、黙って抜いて、奥にしまった。

あせた本は、もう、売り物にならないと言った。

だから、わたしは、毎日、午後二時になると、ガラス戸のブラインドを下ろした。

店の中は、蛍光灯だけになって、少し暗くなった。

三十八年、一日も欠かさなかった。

夏も、冬も、曇りの日も、二時になると、ひもを引いた。

夫は、ときどき、店に寄って、暗い店だな、と言った。

これじゃあ、客が入らないよ。外から、やってるかどうかも分からない。

わたしは、本が焼けるから、と答えた。

夫は、本より客を守れよ、と言って、笑った。

わたしも、笑った。でも、ブラインドは、上げなかった。

第二章 明るい店

十五年前、駅ビルに、大きな本屋ができた。

天井が高くて、ガラス張りで、どこもかしこも明るかった。

商店街の人は、みんな、そちらへ行くようになった。

高校生も、会社帰りの人も、うちの前を、素通りするようになった。

わたしは、それでも、午後二時には、ブラインドを下ろした。

駅ビルの本屋に、一度だけ、行ってみたことがある。

入り口の平台の本は、どれも、日の光を浴びて、きらきらしていた。

窓ぎわの棚の背表紙は、どれも、白っぽく色があせていた。

それでも、人は、そこに集まっていた。

わたしは、何も買わずに帰った。

売り上げは、毎年、少しずつ減った。

夫は、もう、何も言わなくなった。

わたしは、分かっていた。

明るい店に、人は入る。暗い店には、入らない。

わたしは、本を守るつもりで、店から光を締め出してきたのだ。

背表紙の色と引きかえに、店そのものを、しぼませてきたのだ。

去年の秋、この春で店を閉めると決めた。

父の代から数えて、六十年だった。

決めた晩、夫は、よくやったよ、とだけ言った。

わたしは、よくやったのかどうか、分からなかった。

父の店を、暗くして、しぼませて、閉めるのだ。

閉店の貼り紙を書くとき、手が止まった。

長いあいだ、ありがとうございました、と書いて、その先が、書けなかった。

第三章 焼けていない本

三月、在庫を、隣の町の古本屋さんに見てもらった。

五十くらいの、無口な男の人だった。

棚の本を、一冊ずつ抜いては、背表紙を見て、戻していった。

途中で、手を止めて、言った。

焼けてないですね。

え、とわたしは聞き返した。

一冊も、焼けてない。二十年前の本も、出たときの色のままだ。

こういう店は、めったに無いんですよ。どこも、窓ぎわの棚は、真っ白になってる。

男の人は、棚の前で、しばらく黙っていた。

それから、いい値で引き取ります、と言った。

わたしは、礼を言いながら、少し、おかしな気持ちがした。

店をしぼませた暗さが、最後に、値段になって返ってきた。

それだけのことだと、思おうとした。

その晩、夫に、焼けてないって言われた、と話した。

夫は、碁石を置く手を止めて、そうか、と言った。

親父さんが、喜ぶな。

第四章 隅に座っていた子

店を閉める最後の日、午後に、一人の女の人が入ってきた。

三十すぎくらいの、眼鏡をかけた人だった。

閉店の貼り紙を見て来ました、と言った。

店の中を見回して、変わってない、と小さな声で言った。

わたし、小学生のころ、毎日、ここに来てたんです。

顔を見ても、思い出せなかった。

毎日来る子なら、覚えているはずだった。

でも、わたしは、店に来る子の顔を、あまり見ないようにしていた。

見られるのが嫌な子もいると、父に教わっていた。

母が働いていて、家に帰っても、誰もいなかったんです。

明るいところにいると、一人なのが、みんなに見えちゃう気がして。

ここは、午後になると、暗くなったでしょう。

奥の絵本の棚の隅に座って、閉店まで、本を読んでました。

おばさんは、いらっしゃい、とだけ言って、何も聞かなかった。

三年、毎日です。

一度だけ、閉店の時間を過ぎても、帰らなかった日があったんです。

母が、その日は遅くなるって、分かってて。

おばさんは、何も言わずに、ブラインドを下ろしたまま、店を閉めずに待っていてくれました。

わたしは、思い出した。雨の日だった。

奥の隅に、ランドセルが一つ、置いてあった。

女の人は、奥の棚の前にしゃがんで、床を見た。

ブラインドの羽のすきまから、細い光が、床に、しまになって落ちていた。

これです、と女の人は言った。この、しまの光。ずっと覚えてました。

いま、小学校の教師をしている、と言った。

教室の後ろに、本の隅を作ったんです。午後はカーテンを引いて、少し暗くして。

同僚には、暗いねって言われます。

でも、明るいところでは、座れない子がいるんです。

わたしも、そうだったから、分かるんです。

そういう子が、毎年、一人か二人、そこに座るんです。

わたしの教室の隅は、ここの、形なんです。

第五章 締め出したもの

女の人が帰ったあと、わたしは、ブラインドを下ろした店の中に、一人で立っていた。

三十八年、わたしは、自分が店から光を締め出してきたのだと思っていた。

光をさえぎったせいで、店がしぼんだのだと思っていた。

でも、ブラインドがさえぎったところに、残っていたものがあった。

焼けていない背表紙の色。

明るいところでは座れなかった子の、座る場所。

その子が、大人になって、自分の教室に作った、同じ形の隅。

そこに、毎年、一人か二人、座る子どもたち。

光の当たらなかったところが、そのまま、形になって、残っていた。

わたしは、暗くしていたのではなかった。

日の当たらない場所を、一つ、毎日、作っていたのだ。

エピローグ

四月、店の中は、空っぽになった。

棚も、古本屋さんが持っていった。

絵本は、売らずに、段ボールに詰めて、あの女の人の学校に送った。

どれも、出たときの色のままだった。

箱に詰めながら、わたしは、一冊ずつ、背表紙を指でなでた。

父と、同じことをしていた。

ブラインドは、外して、丸めて、一緒に入れた。

五月の終わりに、手紙が届いた。

教室の隅の窓に、ブラインドを付けました、と書いてあった。

午後になると、床に、しまの光が落ちます、と。

写真が一枚、入っていた。

しまの光の中で、男の子が一人、絵本を読んでいた。

男の子の顔は、写っていなかった。うつむいて、本のほうを向いていた。

夫が、写真をのぞきこんで、暗いな、と言った。

それから、いい本屋だ、と言った。

ソウルミッション358

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