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水のやりすぎ

溜めすぎたところが、にじんでいた

水のやりすぎ

朗読で聴く

第一章 息子のバラ

七十一になった。

アメリカの国の南の、雨の少ない小さな町に住んでいる。

夫のフランクは、八年前に死んだ。

子どもは二人いた。

息子のマイケルは、二十二年前、二十五で、車の事故で死んだ。

娘のサラは、いま四十五で、北の州の町に住んでいる。

結婚して、中学生の息子がいる。

マイケルは、庭いじりが好きな子だった。

子どものころから、裏の空き地で拾ってきた種を、勝手に庭にまいていた。

何が生えてくるか分からないのが楽しいんだ、と言っていた。

死ぬ前の年の春、庭の南側に、バラの苗を六本植えた。

母さん、来年の今ごろには、ここが一面赤くなるよ、と言っていた。

その来年を、マイケルは見なかった。

葬式のあと、わたしは、バラの世話を始めた。

それまで、庭のことは、マイケルとフランクに任せきりだった。

朝と夕方、毎日、たっぷり水をやった。

枯らしてはいけないと思った。

マイケルの残したものを、一本も失いたくなかった。

夏の暑い日には、昼にも水をやった。

近所の人が、見かけるたびに、よく続くわね、と言った。

庭の北側には、野の花が勝手に生えている一角があった。

そこには、ほとんど水をやらなかった。

マイケルが種をまいた場所だったが、わたしには、ただの草むらにしか見えなかった。

第二章 サラへの電話

マイケルが死んでから、わたしは、サラにも、同じようにした。

サラは、そのころ、大学の寮にいた。

わたしは、毎日、サラに電話をかけた。

ちゃんと食べているか。夜は出歩いていないか。

誰と会っているのか。どこへ行くのか。

何時に帰ってくるのか。

車の運転には、気をつけなさい。

サラが電話に出ないと、出るまでかけた。

寮の友だちに、サラはどこにいるのか、と聞いたこともある。

サラは、あとで、恥ずかしかった、とだけ言った。

サラは、はじめのうちは、ちゃんと出てくれた。

大学の話や、友だちの話を、少しずつしてくれた。

わたしは、その話の半分も聞かずに、次の心配を話した。

そのうち、三回に一回しか出なくなった。

大学を出ると、サラは、北の州で仕事を見つけた。

ここから、車で二日かかる町だった。

引っ越しの日、サラは、車の窓から手を振った。

その顔が、少しほっとしているように見えた。

わたしは、見なかったことにした。

わたしは、サラが、わたしから逃げたのだと思った。

逃げられるようなことをした覚えは、無かった。

それでも、電話は、毎日かけ続けた。

二十年、ほとんど一日も欠かさなかった。

フランクは、生きているあいだ、何度か言った。

少し、やめてみたらどうだ。

わたしは、やめられなかった。

電話を切ったあとの、サラの声の冷たさが、翌日の不安になった。

不安になると、また電話をかけた。

かければかけるほど、サラの声は遠くなった。

第三章 枯れたバラ

バラは、三年目の夏に、根が腐り始めた。

葉が黄色くなり、茎が黒くなった。

わたしは、水が足りないのだと思って、さらに水をやった。

六本のうち、四本が枯れた。

フランクが、根もとの土を掘ってみて、黒くてぐしょぐしょだ、と言った。

わたしは、それでも、水をやる手を止めなかった。

残った二本も、花は、ほとんど咲かなかった。

わたしは、枯れた四本を抜くことができず、そのまま庭に立てておいた。

茶色い茎が、何年も、庭の南側に並んでいた。

その同じ夏、庭の北側の、水をやらなかった一角が、一面の花になった。

黄色い花、青い花、白い花。名前も知らない野の花だった。

わたしは、それを見て、少し腹が立った。

わたしが一度も手をかけなかった場所だった。

手をかけたほうが枯れて、ほうっておいたほうが咲いた。

近所の人に、バラのことを話すと、その人は、困ったように言った。

水のやりすぎよ。この土地の土は、水が溜まると、根が息をできなくなるの。

わたしは、その言葉を、ずっと、聞かなかったことにしてきた。

やりすぎだと認めたら、マイケルのバラを枯らしたのは、わたしだということになる。

それが、どうしても、認められなかった。

第四章 電話をやめた冬

去年の冬、わたしは、腰の骨を折って、ひと月入院した。

病室には電話が無く、携帯電話も、家に置いてきてしまった。

入院のことを、サラに知らせる人も、いなかった。

近所の人は、娘の電話番号を知らなかった。

二十年で初めて、サラに電話をかけない日が、ひと月続いた。

退院して家に帰ると、留守番電話が、いっぱいになっていた。

全部、サラからだった。

ママ、どうしたの。

ママ、電話が来ないけど、元気なの。

ママ、お願いだから、かけ直して。

わたしは、その声を、何度も聞き直した。

二十年、わたしがかけてばかりで、サラからかかってきたことは、ほとんど無かった。

サラの声を、あんなに近くに聞いたのは、何年ぶりか分からなかった。

最後の伝言は、泣き声だった。

ママ、お願い。何かあったなら、誰かに頼んで知らせて。

かけ直すと、サラは、泣きながら怒った。

それから、少し落ち着いて、言った。

ママ、毎日の電話、ずっと、しんどかった。

出ないと、また鳴るでしょう。鳴るたびに、責められてる気がしてた。

でも、ひと月鳴らなかったら、今度は、わたしのほうが、声が聞きたくなった。

電話の向こうで、孫の声がした。

ママ、おばあちゃんと話してるの、とサラが答えていた。

第五章 溜まった水

わたしは、バラにも、サラにも、水をやりすぎていた。

失いたくない一心で、朝も夕方も、たっぷり注いだ。

注げば注ぐほど、守れると思っていた。

けれど、溜まった水の中で、バラの根は息ができなくなった。

毎日の電話の中で、サラも、息ができなくなっていた。

わたしがいちばん心を注いだところが、いちばん、腐りかけていた。

水をやらなかった北の一角は、自分で根を張って、咲いていた。

誰にも頼らずに、雨の少ない夏を越していた。

電話をかけなかったひと月に、サラは、自分から、わたしを呼んでいた。

愛情が足りなかったのではない。

溜めすぎて、相手が息をする隙間が、無かったのだと思う。

マイケルの種が、北の一角で勝手に咲いていたように、サラも、勝手に咲く場所が、必要だったのだ。

わたしは、その場所まで、水で埋めてしまっていた。

エピローグ

この春、残った二本のバラの根もとの土を、掘り返して、砂を混ぜた。

水は、三日に一度にした。

やりたくなる手を、何度も止めた。

止めるほうが、やるよりも、ずっと難しかった。

サラへの電話は、日曜の夜だけにした。

日曜の夜、わたしがかけるより先に、サラから電話が来ることもある。

五月、二本のバラが、二十年ぶりに、赤い花をつけた。

マイケルの言った一面には、ほど遠い。

六本のうち、二本だけだ。

それでも、赤かった。

日曜の電話で、そのことを話すと、サラは、写真を送って、と言った。

夏には、孫を連れて、見に来るそうだ。

サラから、そう言い出したのは、初めてだった。

北の一角の野の花も、今年も、勝手に咲いている。

ソウルミッション358

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