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五枚の手紙

溜めすぎたところが、にじんでいた

五枚の手紙

朗読で聴く

第一章 毎月の手紙

六十七になった。

夫は七十で、町の農協を勤め上げ、いまは庭の畑をいじっている。

息子が一人いる。浩二は四十二で、東京の会社に勤めている。

浩二は、小さいころから、口数の少ない子だった。

学校であったことも、こちらから聞かなければ、話さなかった。

浩二が大学に入って家を出たのは、二十四年前の春だった。

それから、わたしは、毎月、浩二に手紙を書いてきた。

便箋は、いつも五枚だった。

ちゃんと食べているか。夜ふかしをしていないか。

友だちは、どういう人か。お金は、足りているか。

東京は物騒だから、夜道は気をつけなさい。

書きたいことは、いくらでもあった。

近所の奥さんから聞いた、東京の事件のこと。

テレビで見た、若い人の病気のこと。

浩二の小学校の同級生が、どこに就職したかということ。

どれも、浩二に知らせておかなければならない気がした。

一か月分の心配を、ためておいて、月末の晩に、台所のテーブルで一気に書いた。

五枚でも、足りないくらいだった。

書き終えると、いつも、少し手首が痛くなった。

封筒は、便箋五枚でふくらんで、切手を一枚余分に貼らなければならなかった。

郵便局の窓口の人に、いつも厚いですね、と言われた。

わたしは、それを、ほめられたように受け取っていた。

第二章 返事の来ない手紙

浩二からの返事は、ほとんど来なかった。

来ても、はがきに三行ほどだった。

元気です。忙しいです。また連絡します。

わたしは、それが寂しかった。

五枚書いて、三行しか返ってこない。

そのうち、読んでいないのではないかと思うようになった。

だから、大事なことは、何度も書いた。

同じ心配を、先月も、今月も、来月も書いた。

赤いペンで線を引いたこともある。

夫は、そんなに書かなくても、と言った。

あいつは、あいつで、やってるよ。

わたしは、父親はのんきでいいわね、と言い返した。

わたしの母も、よく心配する人だった。

わたしが嫁いでからも、母は、週に一度は電話をかけてきて、あれこれ心配した。

わたしは、それをうるさいと思ったことが無かった。

少なくとも、無かったと思っていた。

心配するのが、母親の仕事だと思っていた。

五枚書いても、足りない。足りないから、もっと書く。

二十四年、わたしは、毎月、そうしてきた。

一度だけ、急いでいて、はがきで済ませた月がある。

浩二が就職して二年目の冬で、わたしは、父の看病で実家に帰っていた。

便箋を買いに行く時間もなく、駅の売店で一枚だけはがきを買って、ホームで書いた。

ごはん、食べてる。寒いから、あったかくしてね。

それだけだった。

電車が来て、わたしは、はがきをポストに入れる前に、読み返しもしなかった。

実家に着いて、父の枕元で、ああ、便箋の手紙を書けなかった、と思った。

わたしは、その月のことを、ずっと、手を抜いた月だと思っていた。

第三章 結婚式

去年の秋、浩二が結婚した。

相手は、会社の同僚の、明るいお嬢さんだった。

式の前の晩、わたしは、浩二に渡す手紙を書こうとして、便箋を前に一時間座っていた。

結局、五枚書いて、渡さずにバッグにしまった。

披露宴の終わりに、浩二が、両親への手紙を読んだ。

わたしは、ハンカチを握りしめて、浩二の顔を見ていた。

浩二は、少し照れながら、便箋を広げた。

浩二の声は、少しふるえていた。

母さんは、毎月、手紙をくれました。

便箋に、五枚です。

会場が、少し笑った。

わたしも、つられて、少し笑った。

五枚が、そんなにおかしいとは、思っていなかった。

正直に言うと、ぜんぶは、読めませんでした。

心配が、びっしり書いてあって、読んでいると、息が苦しくなりました。

わたしは、ハンカチを握ったまま、動けなくなった。

夫が、横で、小さくせきばらいをした。

でも、一枚だけ、ずっと財布に入れているはがきがあります。

浩二は、上着の内ポケットから、財布を出した。

色あせた、一枚のはがきだった。

ごはん、食べてる。寒いから、あったかくしてね。

就職して二年目の冬、仕事がうまくいかなくて、辞めようと思っていた夜に、これが届きました。

短かったから、すっと入ってきました。

この一枚があったから、あの冬を越せました。

会場が、静かになった。

隣の夫が、わたしの肩に、そっと手を置いた。

わたしは、そのはがきを書いた駅のホームの寒さを、思い出していた。

第四章 にじんだ五枚

帰りの電車で、わたしは、ずっと黙っていた。

夫も、何も言わなかった。

家に帰って、台所のテーブルに座った。

二十四年分の手紙のことを、考えた。

押し入れの奥から、書き損じの便箋の束を出してみた。

書き損じでさえ、字がびっしりと詰まっていて、読み返すと、自分でも息が苦しくなった。

五枚の便箋に、一か月分の心配を、ぎっしり詰めた。

詰めれば詰めるほど、届くと思っていた。

けれど、浩二には、それが、息の苦しくなる五枚だった。

大事なことを何度も書いたせいで、どれが大事なのか、分からなくなっていたのだと思う。

赤い線を引いたところも、きっと、ほかの字と一緒に、にじんで見えていた。

溜めすぎた心配は、紙の上で、にじんだしみになっていた。

読めたのは、急いで書いた、あの一枚だけだった。

わたしが、手を抜いたと思っていた月だった。

夫が、台所に入ってきて、お茶をいれてくれた。

あいつ、ちゃんと読んでたじゃないか、と夫は言った。

五枚のうちの、どこか一行ぐらいは、きっと届いてる。

わたしは、そうかしら、と言った。

夫は、そうだよ、と言った。

わたしは、バッグから、式の前の晩に書いた五枚を出した。

読み返して、そっと、引き出しにしまった。

第五章 薄く刷る

わたしは、浩二のことを、濃く濃く書こうとしてきた。

濃く書けば、そのぶん、届くと思っていた。

けれど、インクを溜めすぎると、紙の上では、字がつぶれる。

薄く、さらっと書いた一枚のほうが、字の形のまま、相手に届く。

心配するのが、母親の仕事だと思っていた。

けれど、心配を全部、紙に載せるのが、仕事ではなかったのかもしれない。

心配は、わたしの中に置いておけばよかった。

浩二に渡すのは、その上澄みの、ひとことで足りた。

二十四年分の五枚の手紙を、わたしは、責める気にはなれない。

あれも、わたしだった。

毎月の晩の、台所のテーブルの、あの手首の痛みも、わたしだった。

ただ、届いたのは、にじんでいないところだった。

エピローグ

今月から、手紙を、はがきにした。

書くことを、一つだけに決める。

一つに決めるのに、三日かかった。

書きたいことは、まだ、たくさんある。

たくさんあるのを、ぐっとこらえて、一つだけ書く。

今月は、こう書いた。

お嫁さんと、仲良くね。寒くなるから、あったかくしてね。

ポストに入れて、帰り道に、手首が少しも痛くないことに気づいた。

三日後に、浩二から、はがきが来た。

はがき、ありがとう。読みやすかった。

三行だった。

わたしには、それで、十分だった。

ソウルミッション358

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