← あなたの魂のテーマを探す に戻る

町の色

くすんだ色も、白ではなかった

町の色

朗読で聴く

第一章 ペンキ屋

七十二になった。

アメリカの国の真ん中の、川沿いの小さな町に住んでいる。

四十年、家のペンキを塗る仕事をしてきた。

夫のジムと二人で始めた店で、ジムが死んでからは、一人でやってきた。

娘が一人いる。カレンは四十四で、隣の州の町にいる。

ペンキ屋というのは、客の選んだ色を塗る仕事だ。

この町の人たちが選ぶ色は、だいたい決まっていた。

灰色がかったベージュ、くすんだ緑、薄い茶色、雨に濡れた石のような灰色。

四十年、わたしは、そういう色ばかり塗ってきた。

店の奥の棚には、色見本の小さな缶が、何百と並んでいる。

鮮やかな赤や青の缶は、ほとんど開けたことが無かった。

開けないまま、缶のふたのふちが、さびていった。

若いころ、わたしは、画家になりたかった。

美術の先生に、色の使い方がいい、と言われたことがある。

大きな壁に、鮮やかな絵を描くのが夢だった。

けれど、結婚して、店を始めて、その夢は、どこかにしまいこんだ。

ジムは、塗るのが速くて、わたしは、色を合わせるのがうまかった。

客が持ってきた古い板切れの色を、わたしは、目だけで合わせた。

わたしの仕事は、ほとんど、その色合わせだった。

第二章 くすんだ町

町を車で走ると、わたしが塗った家ばかりだ。

郵便局のかどの家も、教会の向かいの家も、学校の裏の並びも。

どれも、灰色やベージュで、どれも、目立たない。

旅の人が、この町を通り過ぎても、たぶん何も覚えていないと思う。

町の写真が、観光の案内に載ったことは一度も無い。

載るのは、隣町の、色とりどりの家が並ぶ通りのほうだ。

わたしは、それを、少し恥ずかしく思っていた。

四十年かけて、何も無い町を塗っただけだ、と。

絵を描きたかった人間が、町を灰色で埋めてきた。

一度だけ、鮮やかな色を塗ったことがある。

教会の扉だ。

三十年前、牧師さんが、扉だけは赤にしたい、と言った。

わたしは、張り切って、いちばん深い赤を選んで、三度重ねて塗った。

扉が仕上がった日、わたしは、しばらく教会の前から動けなかった。

町でいちばんきれいなのは、あの赤い扉だと、いまでも思う。

ほかの家は、全部、その赤のまわりの、くすんだ余りだと思ってきた。

ジムが生きていたころ、そう言うと、ジムは、そうかな、とだけ言った。

ジムは、無口な人だった。

思っていることの半分も、口にしない人だった。

あのとき、ジムが何を言いたかったのか、わたしは、聞かないままだった。

第三章 水が出た年

三年前の春、川があふれた。

町の低いほうの半分が、一階の窓の高さまで、水につかった。

水が引いたあと、家々の壁は、泥の線で汚れ、ペンキははがれ落ちた。

どの家の壁にも、同じ高さに、茶色い線が一本、残っていた。

店も、半分、水につかった。

店の床には、泥がくるぶしまで積もっていた。

棚のいちばん低い段の缶は、全部、泥の中に倒れていた。

色見本の缶は、ラベルが流れて、どれがどの色か分からなくなった。

それから一年、わたしは、町じゅうの家を塗り直した。

七十を前にして、はしごに登るのは、正直、つらかった。

夜になると、肩が上がらなくなって、湿布を貼って寝た。

それでも、朝になると、また、はしごを担いで出かけた。

町の人たちが、自分の家に帰るのを待っていたからだ。

隣町から若い職人を二人呼んで、朝から晩まで塗った。

塗り直すとき、わたしは、客に色を聞いた。

せっかくだから、明るい色にしませんか、と何度か勧めた。

黄色でも、水色でもいい。こんなときだから、町を明るくしましょう、と。

けれど、ほとんどの客が、首を振った。

前と同じ色にしてくれ、と言った。

何人かは、わたしが色を覚えているかどうか、心配そうに聞いた。

覚えているわ、とわたしは答えた。本当は、自信が無かった。

第四章 前と同じ色

学校の裏の家の、年を取った奥さんが、こう言った。

水が引いて、泥だらけの町を見たとき、どこにいるのか分からなかった。

自分の家の前に立っても、自分の家に見えなかった。

あの灰色が無いと、うちじゃないのよ。

郵便局のかどの家のご主人も、同じことを言った。

前のくすんだ緑に戻してくれ。あれが、うちの色なんだ。

わたしは、ラベルの流れた缶を一つずつ開けて、色を合わせ直した。

四十年前に自分で調合した色を、自分の目で探した。

灰色がかったベージュにも、少しずつ違う灰色があった。

どの家の灰色も、その家の灰色だった。

ある家の灰色には、ほんの少しだけ、青が混ぜてあった。

三十年前、その家の奥さんが、海が恋しい、と言ったからだった。

わたしは、そのことを、缶のふたを開けて、色を見たときに思い出した。

同じに見えて、一軒ずつ、違っていた。

一年かけて、町は、元の色に戻った。

最後の何軒かは、秋の終わりまでかかった。

手がかじかんで、刷毛がうまく握れない日もあった。

最後の家を塗り終えた日、娘のカレンが、手伝いに来ていた。

丘の上から町を見下ろして、カレンが言った。

ママ、この町の色だね。

子どものころ、よその町から帰ってくると、この色が見えて、帰ってきたって思った。

あの赤い扉も、このくすんだ町の真ん中にあるから、あんなに赤いんだよ。

第五章 余りではなかった

わたしは、四十年、町を、何も無い色で埋めてきたと思っていた。

赤い扉のまわりの、くすんだ余りだと。

けれど、余りではなかった。

水が出て、色がはがれたとき、町の人は、自分の家が分からなくなった。

くすんだ色は、目立たないが、その家の人にとっては、はっきりした色だった。

それが無くなって、初めて、みんな、それがあったことに気づいた。

わたしも、同じだった。

ジムが、そうかな、とだけ言ったのも、たぶん、このことだったのだと思う。

わたしが塗ってきたのは、何も無いところではなく、町の色そのものだった。

赤い扉は、白い壁の中にあったのではない。

くすんだ町の真ん中にあったから、赤かった。

白い壁の中にあったら、あの赤は、ただ派手なだけだったと思う。

画家になって、大きな壁に鮮やかな絵を描いていたら、わたしは、この町の色を知らないままだったと思う。

四十年、わたしは、一枚の大きな絵を描いていたのかもしれない。

くすんだ色ばかりで描いた、町という絵を。

エピローグ

店は、この春、隣町から来た若い職人の一人に譲った。

色見本の缶には、新しいラベルを全部貼り直して、渡した。

ラベルには、色の名前ではなく、その家の人の名前を書いた。

学校の裏の奥さんの灰色。郵便局のかどのご主人の緑。

若い職人は、笑いながら、それを棚に並べていた。

名前で色が分かる店なんて、聞いたことがない、と彼は言った。

わたしも、聞いたことがない、と答えた。

日曜の朝、教会に行くと、赤い扉が、少し色あせてきていた。

今年の秋に、塗り直すつもりだ。

はしごは、若い職人が支えてくれることになっている。

扉の赤は、三度重ねる。

まわりの壁は、前と同じ、くすんだ灰色にする。

ソウルミッション358

あなたの魂のテーマに気づく場所