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灰色のカーディガン

くすんだ色も、白ではなかった

灰色のカーディガン

朗読で聴く

第一章 色の無い人

六十五になった。

夫は六十八で、去年、信用金庫の支店を最後に勤めを終えた。

娘が一人いる。美和は三十八で、隣の市に住み、六つの娘がいる。

わたしは、四十年、同じような服ばかり着てきた。

灰色のカーディガン、ベージュのスカート、紺に近い灰色のコート。

たんすを開けると、どの引き出しも、くすんだ色で埋まっている。

派手な色が嫌いなわけではなかった。

若いころ、一度だけ、赤いワンピースを買ったことがある。

デパートの試着室で、鏡の前に立って、似合う、と思った。

店の人も、よくお似合いです、と言った。

けれど、家に帰って、たんすに掛けたまま、一度も着なかった。

着て外に出る自分が、どうしても思い浮かばなかった。

それから四十年、そのワンピースは、たんすのいちばん奥に掛かっている。

わたしは、目立たない人間だった。

学校でも、職場でも、名前を呼ばれるのは、いつも最後のほうだった。

それで困ったことは無い。

町内会の集まりでは、いつも、お茶を出す係だった。

話し合いが終わると、誰がお茶を出したのか、覚えている人はいなかった。

ただ、自分には、色が無いのだと思ってきた。

第二章 写真の中

家族の写真を見ると、それがよく分かる。

美和の、しちごさん。美和は赤い着物を着て、千歳あめの袋を持っている。

夫は、そのころ気に入っていた、黄色いネクタイをしている。

わたしは、灰色のスーツで、写真の端に立っている。

美和の入学式。美和は赤いランドセルで、夫は青い背広だ。

わたしは、やはり灰色で、門の柱の横にいる。

美和の結婚式。白無垢から、色打掛に着替えた美和は、朱色の中にいた。

わたしは、留袖ではなく、灰色がかった色無地を着た。

どの写真でも、わたしのところだけ、色が無い。

アルバムをめくっていると、わたしは、いてもいなくても同じだったように見えた。

写真から、わたしだけ切り取っても、誰も気づかないのではないか。

そう思ったことが、何度もある。

夫に言ったことは無い。

言えば、夫は、そんなことはない、と言うに決まっている。

そんなことはない、と言われても、写真の中の灰色は、変わらない。

わたしは、家族の真ん中にいる人間ではなかった。

真ん中には、美和の赤があり、夫の黄色いネクタイがあった。

わたしは、そのまわりの、何も塗っていないところだと思っていた。

夫は、写真を撮るのが好きだった。

三脚を立ててタイマーを押し、夫が走って列に入る。そのあいだに、わたしは、娘の後ろで、襟や髪を直す係だった。

シャッターが切られる直前に、わたしが一歩さがる。

それが、うちの写真の撮り方だった。

第三章 灰色のクレヨン

この春、孫娘の花が、幼稚園で家族の絵を描いてきた。

画用紙いっぱいに、四人が並んでいる。

ママ、パパ、花、それから、おばあちゃん。

ママはピンク、パパは青、花は、自分を赤で塗っていた。

おばあちゃんは、灰色だった。

しかも、四人の中で、いちばん大きかった。

画用紙の端から端まで、灰色のおばあちゃんが、両手を広げて立っていた。

美和が、笑いながら言った。

この子ね、灰色のクレヨンが無いって、先生に言いに行ったのよ。

十二色のセットには、灰色が入っていない。

先生が、黒を軽く塗ってごらん、と教えてくれたらしい。

花は、黒いクレヨンを寝かせて、力を入れずに、何度も何度も塗ったのだという。

だから、おばあちゃんのところだけ、ほかより時間がかかった。

お迎えのとき、花がいちばん最後まで描いてたの、と美和は言った。

わたしは、画用紙のおばあちゃんを、指でなぞった。

指の先が、少し黒くなった。

灰色は、むらになっていたが、どこにも、塗り残しが無かった。

白いままのところは、一つも無かった。

花の手の横には、短くなった黒いクレヨンが、一本、転がっていたという。

第四章 白じゃない

その晩、花に聞いた。

どうして、おばあちゃんを白にしなかったの。灰色が無いなら、白のままでもよかったのに。

花は、首をかしげて言った。

白は、いないってことだよ。

画用紙の白いところは、なんにも無いところだもん。

おばあちゃんは、いるから、塗ったの。

わたしは、何も言えなかった。

花は、続けて言った。

おばあちゃんは、いつも灰色の服でしょ。だから、灰色じゃないと、おばあちゃんに見えないの。

花にとって、灰色は、わたしの色だった。

色が無いのではなかった。灰色という色が、わたしだった。

次の日、美和が、古いアルバムを持ってきた。

色があせてきたので、写真を取り込んで、作り直すのだという。

一枚ずつ、画面に映しながら、美和が言った。

お母さん、どの写真にも、ちゃんといるね。

わたしは、端にいるだけよ、と言った。

美和は、首を振った。

端にいるから、わたしが真ん中にいられたんだよ。

お母さんが灰色だったから、わたしの赤が、赤く見えたんだと思う。

お母さんまで赤かったら、どれがわたしか、分からなかったよ。

美和は、画面の中の写真を、指で大きくした。

千歳あめの袋を持った美和の肩に、灰色の袖が、そっと掛かっていた。

わたしの手だった。

四十年、その手が写っていることに、わたしは気づいていなかった。

第五章 くすんだ色

わたしは、四十年、自分のことを、塗り残しだと思ってきた。

家族の絵の、何も塗っていない白いところだと。

けれど、白ではなかった。

くすんではいたが、はっきりした色だった。

花は、それを、黒いクレヨンを寝かせて、時間をかけて塗った。

白のままにしておけば、すぐに終わったのに、そうしなかった。

いる人は、塗る。花は、そう言った。

写真の中の灰色も、同じだったのだと思う。

美和の赤い着物の横に、灰色のわたしが立っていた。

夫の黄色いネクタイの横に、灰色のわたしが立っていた。

その灰色が無かったら、写真は、赤と、黄色いネクタイが、ばらばらに浮かんでいるだけだったかもしれない。

くすんだ色は、目立たない。

目立たないが、そこにある。

そこにあるから、ほかの色が、そこに置ける。

たんすの奥の赤いワンピースのことを、美和に話した。

四十年、一度も着ていないのよ、と言うと、美和は、見たい、と言った。

エピローグ

赤いワンピースは、花の発表会の衣装に、仕立て直すことになった。

四十年前の布は、少しも色あせていなかった。

美和が、裾を少し詰めて、袖を短くした。

花は、鏡の前で、くるりと回った。

発表会の日、わたしは、いつもの灰色のカーディガンを着て、客席に座った。

舞台の上で、赤い服の花が、手を振っていた。

花の目は、客席のわたしのほうを、まっすぐ見ていた。

灰色だから、すぐ見つけられた、とあとで花は言った。

終わってから、美和が、ロビーで三人の写真を撮った。

赤い花と、ピンクの美和と、灰色のわたし。

画面をのぞいて、花が言った。

おばあちゃん、ちゃんと灰色だね。

わたしは、そうね、と言った。

この写真なら、わたしを切り取ったら、誰でも気づくと思う。

ソウルミッション358

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