雪かき
片側からしか照らしていなかった

朗読で聴く
第一章 向かいの家
七十三になった。
アメリカの北のほうの、冬の長い小さな町に住んでいる。
夫のジョージは、十一年前に六十八で死んだ。
娘が一人、四十五で、南の暖かい州にいる。
娘は毎年、冬だけでもこっちに来たら、と言う。
わたしは、この家を離れる気にならない。
通りを挟んだ向かいの家に、ドリスという女の人が住んでいる。
わたしより二つ年上で、この町に来たのも、わたしたちより少し早い。
三十一年、わたしはドリスが好きではなかった。
ドリスの夫のハロルドは、もの静かな人で、十五年前に死んだ。
ハロルドが死んでからも、ドリスの声は小さくならなかった。
声が大きく、よくしゃべり、人のことに首を突っ込む人だった。
わたしの家の庭の花が枯れると、水が足りないのよ、と大声で言った。
娘が離婚したときには、スーパーの駐車場で、大丈夫なの、と聞かれた。
大丈夫だと言っても、また次の週に聞かれた。
教会の婦人会でも、ドリスはいつも真ん中にいて、何でも自分で決めた。
わたしは、向かいの家の窓から、ドリスが郵便受けに行くのを見ると、カーテンを閉めた。
わたしの目に映るドリスは、いつも、大きな声でしゃべっている人だった。
三十一年、その顔しか見ていなかった。
夫のジョージは、ドリスのことを、悪い人じゃないよ、と言った。
わたしは、あなたは向かいの窓から見てないからよ、と言った。
同じ窓から見ていたのに、夫には、別の顔が見えていたのかもしれない。
第二章 朝の歩道
夫が死んだ冬のことだ。
葬式が済んで、娘も帰って、家に一人になった。
その冬は雪が多かった。
夫が毎朝していた雪かきを、わたしは一度もしたことがなかった。
最初の大雪の朝、わたしは、どうしようと思いながら、窓のカーテンを開けた。
家の前の歩道と、玄関までの小道の雪が、もう、きれいにかいてあった。
町の除雪の人がやってくれたのだと思った。
夫が死んだので、町が気をつかってくれたのだと。
次の大雪の朝も、その次の朝も、雪はかいてあった。
わたしが起きる前に、いつも、かいてあった。
わたしは、町役場に礼の手紙を書こうと思って、そのままにした。
それから十一年、冬の朝、わたしの家の前の雪は、いつもかいてあった。
わたしは、それを、町がしてくれることだと思っていた。
町の人に会っても、そのことを話題にしたことは一度もなかった。
話せば、誰がしているのか、分かったのかもしれない。
ありがたいとは思ったが、誰がしているのか、確かめたことはなかった。
わたしは、雪の朝、窓から、かいてある歩道を見るのが好きになった。
夫がいなくなった家で、朝いちばんに見るものが、きれいな歩道だった。
第三章 雪の残った朝
今年の一月、夜のうちに大雪が降った。
朝、カーテンを開けると、家の前の歩道に、雪が膝の高さまで積もっていた。
玄関までの小道も、埋まっていた。
十一年で、初めてのことだった。
長靴をはいて外に出ようとしたが、玄関の戸は雪で重く、半分しか開かなかった。
わたしは、町役場に電話をかけた。
今年は、雪かきに来てくれないのですか、と聞いた。
電話の人は、少し調べてから、言った。
町では、個人のお宅の歩道の除雪は、していないんですよ。
十一年、一度もしていません。
わたしは、電話を切って、窓の前に立った。
向かいのドリスの家を見た。
ドリスの家の前の歩道も、雪に埋まっていた。
ドリスの家の窓には、昼になっても、明かりがつかなかった。
三十一年、向かいの窓に明かりがつかない日は、一日も無かった。
カーテンを閉めていても、そのくらいは分かっていた。
第四章 向かいの窓の裏側
午後になって、教会の婦人会の人から電話があった。
ドリスが、先週から入院している、と言った。
腰を悪くして、しばらく歩けないらしい。
それから、その人は、少し声を落として、言った。
あなたのところの雪、今年は誰がかくの。
わたしは、何のことか分からなかった。
その人は、あら、知らなかったの、と言った。
ドリス、あなたのご主人が亡くなってから、毎朝、暗いうちに起きて、あなたの家の前をかいてたのよ。
あなたが起きる前に済ませるんだって。
知られたら、あなたが気をつかうからって。
あのね、ドリスは、ハロルドが死んだとき、誰にも雪をかいてもらえなかったのよ、とその人は言った。
一人で、泣きながらかいたんだって。だから、あなたのときは、って。
わたしは、受話器を持ったまま、立っていた。
窓の外で、雪がまた降り始めていた。
十一年、冬の朝、わたしが見ていたのは、かいてある雪だけだった。
かいている人は、暗いうちに来て、明るくなる前に帰っていた。
ドリスの、わたしの見ていない側は、わたしが寝ているあいだにだけ、わたしの家の前にあった。
わたしが三十一年見てきたのは、昼間の、大きな声のドリスだった。
朝の暗いうちのドリスには、一度も、光を当てたことがなかった。
第五章 片側
わたしは、ドリスの片側だけを見て、三十一年、嫌ってきた。
大きな声、首を突っ込むところ、何でも決めるところ。
どれも本当のことだ。
けれど、それは、昼間の、わたしのほうを向いた側だった。
ドリスの裏側は、暗いうちに、黙って、雪をかいていた。
水が足りないのよ、と大声で言った同じ人が、何も言わずに、十一年、わたしの歩道をかいていた。
大丈夫なの、と何度も聞いてきたのは、首を突っ込んでいたのではなく、本当に心配だったのかもしれない。
わたしが光を当てていたのは、いつも同じ側だった。
昼間の、通りのこちら側から見える側だ。
そちら側から見れば、ドリスは、うるさい人でしかなかった。
裏側には、別の光が当たっていた。
婦人会の人は、知っていた。
たぶん、町の何人かは、知っていた。
知らなかったのは、雪をかいてもらっていた、わたしだけだった。
ドリスが十一年、暗いうちに雪をかいていたあいだ、わたしは、向かいの窓のカーテンを、何度閉めただろう。
閉めたカーテンの向こうで、ドリスは、わたしの家のほうを向いていた。
エピローグ
次の朝、わたしは、暗いうちに起きた。
夫の使っていた雪かきのシャベルを、物置から出した。
まず、自分の家の前をかいた。
十一年ぶんのやり方を、腕が知らなかった。
息が切れて、何度も休んだ。
それから、通りを渡って、ドリスの家の前の歩道をかいた。
ドリスが退院して帰ってくるまで、毎朝、そうした。
暗いうちに始めて、明るくなる前に帰った。
病院にも、一度、見舞いに行った。
ドリスは、ベッドの上で、大きな声で、雪は大丈夫なの、と聞いた。
わたしは、大丈夫よ、と答えた。
今度は、本当に大丈夫だった。
ドリスが帰ってきた日、婦人会の人が、ドリスに何か言ったのかもしれない。
ドリスは、窓から、大きな声で、ありがとう、と言った。
わたしは、カーテンを閉めなかった。
手を振って、雪がまた降るかもね、と大きな声で言った。
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