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図面

青写真は計画ではなかった

図面

朗読で聴く

第一章 青焼き

六十八になった。

町の工務店で、四十年、図面を引いてきた。

三年前に辞めた。

妻は二年前に六十五で死んだ。

娘が一人、四十で、県内の別の町にいる。

押し入れの天袋に、筒が一本ある。

中に、青焼きの図面が入っている。

四十年前、この家を建てたときに、自分で引いた図面だ。

青い紙に、白い線で、部屋が描いてある。

当時は、図面を青焼きで写していた。

原図を感光紙に重ねて、光に当てる。

線のところだけ光が通らず、白く残る。

ほかは全部、青くなる。

その青い紙を、現場に持っていった。

大工は、その青い紙を見て、柱を立てた。

わたしは、自分の家の図面を、三か月かけて引いた。

夜、会社から帰ってから、台所のテーブルで引いた。

妻は、横で湯を沸かしながら、ときどきのぞいた。

ここは何の部屋、と聞かれた。

書斎だ、と答えた。

本を読む部屋にするつもりだった。

若いころは、仕事の本を家でも読んでいた。

家を建てたら、夜はそこで読むのだと思っていた。

ここは、と聞かれた。

客間だ、と答えた。

妻は、ふうん、と言って、湯のみを置いていった。

台所はどこ、と妻が聞いたのは、三日目の晩だった。

ここだ、とわたしは指さした。

流しの前に立つと、窓から庭が見える。

そこだけは、妻に聞いてから描いた。

ほかの部屋は、全部わたしが決めた。

第二章 図面のとおりに

家は、図面のとおりに建った。

柱の位置も、窓の大きさも、階段の段数も、図面のとおりだった。

わたしは、それが自慢だった。

図面のとおりに建つ家は、少ない。

たいていは、途中で何か変わる。

変わらなかったのは、わたしが図面を引いた人間で、住む人間でもあったからだ。

書斎には、机と本棚を入れた。

客間には、座卓と座布団を入れた。

図面に描いたとおりに、使うつもりだった。

娘が生まれて、二年で、書斎は子ども部屋になった。

机は、廊下の端に出した。

客間には、客がほとんど来なかった。

五年もすると、客間は物置になった。

庭の隅に描いた花壇は、一度も作らなかった。

かわりに、そこには物干しが立った。

図面のとおりに建った家は、図面のとおりには使われなかった。

わたしは、それを気にしていなかった。

家というのは、そういうものだと思っていた。

仕事では、施主の家を何十軒も引いた。

引き渡したあと、その家がどう使われているかは、ほとんど見に行かなかった。

たまに前を通ると、窓に知らないカーテンが下がっていた。

図面を引いた人間の知っている家は、引き渡した日までだった。

第三章 筒を開けた

妻が死んで、しばらくして、娘が片づけに来た。

天袋から、筒が出てきた。

これ何、と娘が聞いた。

この家の図面だ、と答えた。

娘は、筒から図面を出して、居間の床に広げた。

青い紙に、白い線が、四十年前のままあった。

娘は、しばらく見ていた。

それから、ここ、わたしの部屋、と指さした。

そこには、書斎、と書いてあった。

わたしの字だった。

娘は、笑った。

わたしの部屋、書斎だったの、と言った。

知らなかった、と言った。

わたしも、忘れていた。

娘は、ほかの部屋も一つずつ指でたどった。

客間、と書いてあるところを見て、ここは物置だよね、と言った。

花壇、と書いてあるところを見て、ここは物干しだよね、と言った。

図面の字と、娘の言う名前が、一つも合わなかった。

娘にとって、あの部屋は、生まれたときから娘の部屋だった。

書斎だったことは、一日も無い。

書斎だったのは、わたしの図面の上だけだった。

娘は、図面をくるくる巻いて、筒に戻した。

これは、この家じゃないね、と言った。

この家になるはずだった家だね。

第四章 残っていた跡

娘が帰ったあと、家の中を歩いた。

図面に無いものを、探した。

子ども部屋の柱に、鉛筆の線が何本も引いてある。

娘の背を、毎年の誕生日に測った跡だ。

妻が引いた線だ。

横に、小さく年が書いてある。

図面には、柱は一本の四角でしか描いていない。

台所の床の、流しの前だけ、色が薄くなっている。

妻が四十年、そこに立っていた跡だ。

廊下の端の机には、湯のみの輪の跡がいくつもある。

わたしが、夜、図面を引いた机だ。

書斎から出したあと、廊下で三十年、図面を引き続けた。

物干しの下の土は、固くなっている。

妻が洗濯物を干すとき、毎日同じところに立っていた。

居間の敷居は、真ん中だけすり減っている。

四十年、三人で同じところをまたいだ跡だ。

図面では、敷居は一本の細い線だった。

どれも、図面には描いていない。

描けなかった。

引いたときには、まだ無かったからだ。

家に残っているのは、図面に描いたものではなかった。

ここで、実際に誰かが立ったり、座ったり、置いたりした跡だった。

第五章 青い紙

青焼きの話を、また思い出した。

原図を重ねて、光に当てる。

線のところだけ、光が通らない。

白く残るのは、光をさえぎったところだけだ。

わたしは四十年、あれを図面だと思っていた。

けれど、あの青い紙に残っているのは、描いた計画ではない。

紙の上に、実際に置かれていたものの影だ。

線が白いのは、そこに線が置かれていたからだ。

家も、同じだった。

図面に描いたことは、何も写っていない。

写っているのは、実際にそこに置かれていたものだけだ。

柱に当てた鉛筆、流しの前の足、湯のみの底。

置かれていたものの形で、家は白く抜けている。

仕事で引いた何十軒の家も、きっと同じだろうと思った。

わたしの図面は、どの家にも残っていない。

残っているのは、そこに住んだ人の跡だけだ。

それで、いいのだと思う。

家は、図面のためにあるのではない。

わたしは、図面のとおりに建てたことを、自慢にしていた。

図面のとおりだったのは、建った日だけだった。

建った次の日から、家は、図面ではないものを写し始めた。

四十年分、写した。

写したものの中に、わたしが引いた線は、ほとんど無い。

エピローグ

図面は、捨てなかった。

筒に入れて、天袋に戻した。

捨てる理由も、残す理由も、あまり無い。

ただ、娘があれを見て笑ったのが、よかった。

この家になるはずだった家。

娘の言ったことは、合っていると思う。

わたしは、なるはずだった家を引いた。

なったのは、別の家だった。

別の家のほうに、妻と娘の跡が全部ある。

この秋、娘が孫を連れてきた。

孫は六つで、柱の線を見つけて、これ何、と聞いた。

おまえのお母さんの背だ、とわたしは答えた。

孫は、自分も測って、と言った。

鉛筆を出して、柱に当てた。

図面を引くときの鉛筆だった。

Hの、固い芯だ。

柱に当てると、細い線しか出なかった。

娘のいちばん下の線より、少し低かった。

線を一本、引いた。

横に、小さく、今年の年を書いた。

図面に線を引くのは、四十年やってきた。

柱に線を引いたのは、初めてだった。

図面の線は、なるはずのものを描く。

柱の線は、いまそこにあったものを写す。

残るのは、たぶん、こちらのほうだ。

ソウルミッション358

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