写しを返した
原本は無く、写しだけ

朗読で聴く
第一章 隣のキルト
六十八になった。
アメリカの小さな町に、五十年住んでいる。
夫のウォルトは五年前に七十二で死んだ。
息子が一人、四十五で、州の北の町にいる。
結婚して、この町に来たのは十八のときだ。
隣の家に、ルース・ハンセンという人がいた。
わたしより二十も年上で、キルトを縫う人だった。
居間の壁に、大きなキルトが一枚掛けてあった。
青と白の、星の模様だった。
ルースの母親が、ルースの結婚のときに縫ったものだという。
わたしは、初めて見たとき、しばらく動けなかった。
ほかのキルトと、どこが違うのかは分からなかった。
ただ、星の並び方が、ほかで見たことのない並び方だった。
ルースに頼んで、模様を写させてもらった。
方眼紙を持っていって、居間の床に座って、星を一つずつ数えて写した。
三日かかった。
ルースは、好きなだけ見ていいと言って、コーヒーを出してくれた。
写しているあいだ、ルースは台所で自分の縫い物をしていた。
ときどき、居間をのぞいて、どこまでいったの、と聞いた。
星を数えるのをまちがえて、最初からやり直した日もある。
ルースは、母も数えまちがえてたわよ、と笑った。
第二章 四十年の写し
写した方眼紙で、最初の一枚を縫った。
自分の家の寝室に掛けた。
ルースのとは、少し違っていた。
布も違うし、わたしの縫い目はルースの母親ほどそろっていない。
それでも、星の並び方は同じだった。
それから、町で誰かが結婚するたびに、一枚縫って贈るようになった。
教会の人の娘、近所の息子、夫の同僚の子。
数えたことはないが、四十年で三十枚は超えていると思う。
どれも、あの方眼紙から縫った。
贈った先で、そのキルトがどうなったかは、あまり知らない。
寝室に掛けた人もいるだろうし、クローゼットにしまった人もいるだろう。
ときどき、町のバザーで、わたしの縫ったのに似た星を見ることがある。
誰かが、わたしの一枚を見て、また写したのだと思う。
写したのは誰か、聞いたことはない。
方眼紙は、何度も写し直した。
破れたり、染みがついたりするたびに、新しい紙に写した。
いま使っているのは、たぶん五枚目か六枚目だ。
わたしは、自分のキルトを写しだと思っていた。
本物は、ルースの居間の壁にある。
わたしのは、どれも、それを写したものだ。
町の人に、きれいねと言われるたびに、隣のルースのが元なのよ、と答えた。
答えるのが、礼儀だと思っていた。
ルースは、わたしのキルトを見るたびに、いいわね、と言った。
わたしは、あなたのお母さんのには及ばないわ、と答えた。
ルースは、何も言わずに笑っていた。
その笑い方の意味を、わたしは三十年、考えたことがなかった。
第三章 火事
三年前の冬、ルースの家が焼けた。
夜中に、暖房の配線から火が出た。
ルースは、八十五になっていて、娘の家に泊まりに行っていた。
だから、けがはなかった。
家は、半分焼けた。
居間は、全部焼けた。
壁のキルトも、焼けた。
わたしは、次の朝、焼け跡の前に立った。
居間の壁があったところが、黒くなっていた。
五十年、毎日のように見ていた星が、どこにも無かった。
わたしは、原本が無くなった、と思った。
わたしの三十枚は、原本の無い写しになった。
元が無くなれば、写しは何を写したものか分からなくなる。
そう思って、その晩は眠れなかった。
ウォルトが生きていたら、何と言っただろうと思った。
ウォルトは、わたしのキルトを、ルースのより好きだと言っていた。
身びいきだと思って、聞き流していた。
あの晩は、その言葉を少しだけ思い出した。
第四章 ルースが来た
ひと月たって、ルースが娘の車で来た。
玄関先で、ルースは言った。
あなたの方眼紙、まだある。
ある、と答えた。
ルースは、少し黙ってから言った。
一枚、縫ってもらえないかしら。
母のキルトの写しを。
わたしは、すぐには返事ができなかった。
ルースは続けた。
母の縫った模様を覚えているのは、もうあなたの方眼紙だけなのよ。
わたしは、写し方を知らなかった。
五十年、壁に掛けて見ていただけで、一度も写さなかった。
写さなくても、いつでもそこにあると思っていたから。
わたしは、方眼紙を出してきた。
六枚目の、染みのある紙だった。
ルースは、それを両手で持って、しばらく見ていた。
これが、母の星ね、と言った。
わたしは、写しよ、と言いかけて、やめた。
写しだと言えば、ルースの手の中の紙が、小さくなる気がした。
ルースにとっては、それが、いま残っているいちばん母に近いものだった。
近いものを、遠くする理由は無かった。
第五章 写しを返した
その冬、一枚縫った。
布は、できるだけルースの母親のに近い青を探した。
縫い目は、いつもより時間をかけてそろえた。
それでも、ルースの母親ほどにはそろわなかった。
縫っているあいだ、何度も方眼紙を見た。
星の数を数えて、まちがえて、また数えた。
五十年前にルースの居間の床でしたのと、同じことをしていた。
春に、ルースの娘の家に持っていった。
ルースは、キルトを膝に広げて、星を一つずつ指で押さえた。
同じね、と言った。
同じじゃないわ、とわたしは言った。
縫い目も、布も違う。
ルースは、首を振った。
母のも、縫った年ごとに違ったのよ。
母は、同じ模様を何枚も縫った。
壁のは、その中の一枚にすぎなかった。
わたしが原本だと思っていたものも、母にとっては何枚目かだった。
わたしは、それを聞いて、しばらく黙っていた。
原本だと思っていた一枚は、それ自体が写しだった。
ルースの母親が、自分の頭の中の星を、何度も布に写した一枚だった。
そして、その写しを、わたしがまた写した。
写しを重ねて、また、元の持ち主のところに戻った。
写しのほうが、原本より長く残った。
ルースは、帰りぎわに言った。
あなたが写してくれていて、よかった。
わたしは、写さなかったから、何も残せなかった。
見ているだけでは、残らないのね。
エピローグ
ルースは、去年の秋に八十七で死んだ。
葬式のとき、ひつぎの上に、わたしの縫ったキルトが掛けてあった。
ルースの娘が、そうしたいと言ったのだそうだ。
わたしは、教会の後ろの席から、それを見ていた。
青と白の星が、並んでいた。
ルースの母親の星で、わたしの縫った星だった。
どちらのものかは、もう分けられない。
分けなくていいのだと思う。
家に帰って、方眼紙を出した。
六枚目は、ずいぶん傷んでいた。
七枚目に、写し直した。
鉛筆で、一つずつ星を写した。
写し直しながら、思った。
ルースの母親の頭の中にあった星は、もうどこにも無い。
あるのは、写しだけだ。
写しだけで、星はここまで来た。
この春、近所の娘が結婚する。
一枚、縫うつもりだ。
きれいねと言われたら、今度は、隣のルースのが元なのよ、とは言わないかもしれない。
元は、もう無い。
あるのは、渡ってきた星だけだ。
縫って、渡す。
渡された人が、いつかまた写すかもしれない。
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