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四つめの椅子

空けておいた側は、一度も使われなかったこと

四つめの椅子

朗読で聴く

第一章 四つある

五十四になった。

台所に、四人がけの食卓がある。

椅子が四つ。

いま、この家には二人しかいない。

こちらと、夫だ。

娘は、二十七で家を出た。

いま三十一だ。

隣の県にいる。

息子は、二十四のときに死んだ。

七年前だ。

病気ではない。

勤め先からの帰りに、事故だった。

雨の日だった。

相手の車が止まらなかった。

こちらは、そのことを、七年、誰にも詳しく話していない。

話すと、その日の話になる。

その日の話にすると、ほかの二十四年が消える。

二十四年のほうが、ずっと長い。

長いほうを覚えていたい。

椅子は、四つのままにしてある。

二つは毎日使う。

一つは、娘が来たときに使う。

残りの一つは、使わない。

四人がけの食卓は、四十二のときに買った。

それまでは、丸い小さいものを使っていた。

子どもが大きくなって、狭くなったからだ。

買った日、四人で座って、狭くないね、と言った。

その形で、五年使った。

五年のあいだ、四つとも同じように減っていた。

同じように減っているのを、こちらは見ていない。

見ていないのは、当たり前だったからだ。

第二章 誰も座らない

その一つは、窓側の席だ。

息子が座っていた席だ。

息子が死んでから、そこに誰も座っていない。

決めたわけではない。

葬式のあと、親戚が何人か来た日がある。

人が足りなくて、椅子が要った。

誰かが、その椅子を引こうとした。

夫が、立って、別の部屋から椅子を持ってきた。

何も言わずに持ってきた。

それで、その日も誰も座らなかった。

夫が持ってきた椅子は、寝室にあった丸椅子だ。

高さが合っていなかった。

合っていない椅子に、親戚が座った。

誰も、高さのことを言わなかった。

それから七年、同じだ。

娘が来ても、その席には座らない。

娘は、自分の席に座る。

誰も、何も言わない。

言わないというのは、決めたことではない。

一度も話題にならなかった、というだけだ。

話題にならないことは、そこに無いことになりやすい。

この椅子は、そうならなかった。

毎日、目に入るからだ。

第三章 拭く

こちらは、毎日、食卓を拭く。

四人ぶん、同じように拭く。

窓側のところも拭く。

そこには何も置かないので、汚れない。

汚れないが、拭く。

最初の年は、拭かなかった。

拭くと、認めることになる気がした。

二年めから、拭くようになった。

拭かないでいると、そこだけ埃が溜まる。

埃が溜まると、使っていない場所に見える。

使っていない場所には見せたくなかった。

使っていない場所ではあるのに、そう見せたくなかった。

拭いていると、手が止まる日がある。

止まると、しばらくそこを見ている。

見ても、何も無い。

椅子は、木のままだ。

座面が、へこんでいない。

ほかの三つは、少しへこんでいる。

同じ年に買った椅子だ。

同じ木で、同じ形だ。

七年で、三つは減って、一つは減らなかった。

座面の布は、四つとも同じ色だ。

日に焼けて、四つとも少し薄くなっている。

薄くなり方は、同じだ。

違うのは、座ったところのへこみだけだ。

日は四つに同じだけ当たる。

座るほうだけが、三つに偏っている。

第四章 夫の言ったこと

去年の秋、夫が言った。

六十一になった年だ。

夕飯のあと、二人でいた。

夫は、窓側の椅子を見ていた。

それから、こう言った。

あれ、片づけなくていいのか。

こちらは、驚いた。

七年、二人ともその話をしていない。

どうして、と聞いた。

夫は、少し考えてから言った。

置いておくと、待ってるみたいだから。

夫は、続けて言った。

待ってるみたいなのが、お前に悪い。

こちらは、そのとき初めて、夫が七年、こちらを見ていたと知った。

椅子を見ていたのではない。

椅子を見ているこちらを、見ていた。

こちらは、待っていない、と答えた。

答えてから、本当かどうか分からなくなった。

待つというのは、来る人がいる場合のことだ。

来ないと分かっているものは、待てない。

待てないのに置いてある。

置いてある理由に、まだ名前がついていなかった。

第五章 待っていたのではなかった

その晩、こちらは、長く考えた。

待っているのか。

待っていない。

息子は帰ってこない。

それは分かっている。

では、何のために空けているのか。

考えて、分かったことがある。

埋めないため、だった。

あの席を誰かが使うと、席が四つのまま埋まる。

埋まると、家族が四人に見える。

見えるだけで、四人ではない。

見えるほうに合わせると、違うほうが消える。

四人に見えるが、中身は違う。

違うものを同じ形にするのが、いやだった。

だから空けてある。

待っているのではない。

埋めないことが、決めたことだった。

次の日、夫にそう言った。

夫は、うん、と言った。

それから、俺もそうだ、と言った。

七年、同じことを考えていて、二人とも言わなかった。

言わなかったのは、言うと片づける話になるからだ。

片づける話になると、どちらかが決めることになる。

決めたくなかった。

決めないでおくと、空いたままでいられる。

空いたままというのは、何も起きていない状態のことだ。

何も起きていないでいられる場所が、家にひとつある。

空いたままでいられることが、こちらには要った。

エピローグ

椅子は、そのままにしてある。

片づけない。

娘には、去年の暮れに話した。

娘は、知ってた、と言った。

どうして分かったのか聞くと、こう答えた。

お母さん、あの席だけ、拭くとき手が止まる。

こちらは、気づいていなかった。

娘は続けた。

私、あの席に座ろうと思ったこと、一度もない。

座る場所じゃなくて、空けてある場所だから。

娘は、そこを「兄ちゃんの席」とは言わなかった。

空けてある場所、と言った。

言い方が、こちらと同じだった。

空けてある場所って、家にひとつあってもいいと思う。

娘は、そのあとで、こうも言った。

私の家にはね、まだ無いの。

まだ、埋めたいものばっかりで。

こちらは、それでいい、と言った。

空ける場所は、埋めるものが無くなってからできる。

食卓は、四人ぶんある。

使うのは、二人か三人だ。

一つは、これからも減らない。

減らないものは、渡せない。

渡せないものを、家の真ん中に置いている。

真ん中に置いてあるものは、よけて通ることになる。

七年、よけて歩いてきた。

よけるのは、避けることとは違う。

そこに何かがあると分かっていて、ぶつからないように歩くことだ。

置いてあるので、毎日、拭く。

拭くところまでが、こちらのすることだ。

その先は、しない。

夫は、いまも別の部屋から椅子を持ってくる。

人が多い日は、五つになる。

五つあっても、窓側の一つは空いている。

空いている一つを囲んで、みんなで食べる。

来た人は、たぶん気づかない。

気づかなくていい。

気づかれないまま、そこは空いている。

空いていることに、名前はつけていない。

名前をつけると、そこが何かの場所になる。

何かの場所になると、埋めたくなる。

埋めないために、名前をつけない。

拭くだけだ。

ソウルミッション358

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