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太い字

どこにも、力点が無かったこと

太い字

朗読で聴く

第一章 強調する仕事

六十七になった。

アメリカの、小さな町に住んでいる。

三十九年、地元の新聞で働いた。

見出しをつける仕事だ。

記事を読んで、いちばん大事なところを決める。

決めたら、そこを太い字にする。

大きさも変える。

上に置くか、下に置くかも決める。

読む人は、太いところから読む。

太いところを決めるのが、こちらの仕事だった。

新聞は、週に二度出る。

町の人口は、六千人ほどだ。

火事、議会、高校の試合、店の開店と閉店。

どれも小さい話だが、見出しは付ける。

三十九年、それをやってきた。

うまいと言われたこともある。

こちらは、どこを立てるかで、記事が変わることを知っていた。

同じ記事でも、立てる場所を変えると、別の話になる。

それが仕事の面白いところだった。

入ったころ、上司に言われた。

読む人は、三秒しか見ない。

三秒で分かるところを、一つだけ作れ。

一つだけ、というのが要だ。

二つ作ると、どちらも立たない。

三十九年、一つだけ作り続けた。

一つに絞るのは、捨てることだ。

捨てたほうは、記事の中には残る。

残るが、読まれない。

読まれないものを、毎週、作っていた。

第二章 家でも同じだった

家でも、同じことをしていた。

妻が話す。

こちらは聞きながら、どこが大事かを決める。

決めたところだけ返事をする。

返事をしないところは、大事でないと判断した部分だ。

妻は、そのことを一度だけ言った。

結婚して十五年ほどのころだ。

あなたは、私の話に見出しをつける、と言った。

こちらは、笑った。

妻も笑った。

それで終わった話だと思っていた。

思っていた、というのは、考えなかったということだ。

笑って終わった話は、終わったことになる。

終わったことにしたのは、こちらだ。

妻は、二度めを言わない人だった。

二度めを言わないので、一度めが忘れられる。

妻は、四年前に死んだ。

六十五だった。

結婚は、四十二年だった。

子どもは、いない。

二人で、同じ家に四十二年いた。

第三章 妻の紙

去年、妻の机を片づけた。

引き出しに、紙の束があった。

日付と、短い文が並んでいる。

手帳ではない。

ばらばらの紙に、思いついたときに書いたものだ。

こちらは、一枚ずつ読んだ。

読むのに、三日かかった。

途中でやめようとして、やめられなかった。

どの紙も、同じ大きさの字で書いてある。

太い字は、一つも無い。

下線も、印も無い。

庭の水やりのこと。

母親の命日のこと。

パンの焼き加減。

自分の胸のしこりのこと。

全部、同じ字だ。

字の大きさを変えないというのは、意識してやることではない。

ふつうに書けば、同じ大きさになる。

変えるほうが、手間がいる。

こちらは、その手間を三十九年かけてきた。

同じ大きさで、同じ強さで、続けて書いてある。

数えると、三百枚以上あった。

いちばん古いのは、十九年前の日付だ。

こちらは、その束の存在を知らなかった。

隠していたのではないと思う。

机の引き出しに、ふつうに入っていた。

第四章 しこりのこと

しこりのことは、三年前の日付だった。

妻が死ぬ一年前だ。

その紙には、こう書いてあった。

右の胸に、小さいものがある。

次に書いてあるのは、庭の話だった。

トマトの苗を、二本足した。

その次は、隣の犬の話だ。

犬の名前も書いてある。

朝に鳴く、とだけ書いてある。

困っているのか、そうでないのかは、書いていない。

しこりのところと、トマトのところが、同じ字で並んでいる。

こちらは、その紙を持ったまま、しばらく座っていた。

妻は、こちらにそれを言ったはずだ。

言ったと思う。

言われた覚えが、こちらに無い。

覚えが無いのは、聞き流したからだ。

聞き流したのは、その日の話の中で、こちらが別のところを立てたからだ。

その日、何を立てたのかも、覚えていない。

手術は、その半年後だ。

見つかったときには、遅かった。

医者は、早ければ違ったかもしれない、と言った。

かもしれない、というのは、分からないということだ。

分からないが、こちらは、そこを読んでいない。

第五章 立てたのは、こちらだった

妻は、太い字を使わない人だった。

紙でも、話すときでも。

全部を同じ強さで出す。

出したあとは、受け取った側にまかせる。

こちらは、その中から一つを選んで太くしていた。

三十九年、仕事でやってきたことだ。

仕事では、それが腕だった。

家では、腕ではなかった。

記事は、書いた人が「ここを立ててくれ」と思って書く。

妻の話は、そうではない。

立ててくれ、と思って言っていない。

こちらが立てると、立てなかったほうが消える。

消えるというのは、見えなくなることだ。

紙の上では、小さい字はまだそこにある。

耳では、そこに無い。

耳は、立てたところしか残さない。

消えたほうに、しこりがあった。

消したのは、こちらの目だ。

妻が小さく言ったのではない。

妻は、いつもの大きさで言った。

いつもの大きさで言う人は、いつも同じに見える。

同じに見えるものの中から、人は勝手に一つを取る。

取った一つが、その日の話になる。

取らなかったほうは、言われなかったことになる。

言われなかったことになったものを、あとから数える方法は無い。

エピローグ

紙の束は、そのままにしてある。

捨てない。

順番も、並べ替えない。

並べ替えると、こちらが順番をつけることになる。

朝に、一枚だけ読む。

どの一枚かは、上から取る。

選ばない。

選ばないで読むと、庭の話もしこりの話も、同じ速さで入ってくる。

入ってきたあと、どこも太くならない。

太くならないまま、一日が過ぎる。

過ぎたあと、何も残らない日もある。

残らないのは、たぶん、正しい。

妻は、残そうとして書いていない。

同じ強さで、置いただけだ。

置いたものを、置いたまま受け取るのに、四年かかった。

四年かかっても、できているとは思わない。

読んだあとに、どれが大事だったかを考えてしまう。

考えると、また一つを太くしている。

太くしかけて、やめる。

やめるところまでが、いまの精一杯だ。

仕事では、それは下手というのだと思う。

下手でいい。

太い字は、もう作らない。

新聞は、いまも取っている。

見出しから読む癖は、抜けない。

抜けないが、そのあとで、下のほうの小さい字も読む。

小さい字のところに、誰かの一年が入っていることがある。

入っているかどうかは、読まないと分からない。

読んでも、分からないことのほうが多い。

多いが、読む。

読むのに、前より時間がかかる。

時間がかかるのは、どこも太くないからだ。

太くないものは、端から端まで同じ速さで読むしかない。

同じ速さで読むと、終わりが来るまで終わらない。

終わるまで読んだ日の夜は、少し静かだ。

ソウルミッション358

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