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同じ調子

どこにも、力点が無かったこと

同じ調子

朗読で聴く

第一章 母の電話

五十九になった。

母は、二年前に、八十六で死んだ。

母は、電話をよくかけてきた。

週に二度か三度だ。

こちらは、働いていた。

市の水道局に、三十七年いた。

電話は、昼の休みか、夜にかかってくる。

昼は、十五分しか休みがない日もあった。

そういう日は、早く切りたかった。

早く切りたい日と、そうでない日で、聞き方が違った。

母のほうは、どの日も同じだった。

電話に出ると、母は、同じ調子で話しはじめる。

今日は寒い。

大根が安かった。

隣の家の柿が、色づいた。

腰が、少し痛い。

病院の予約が、来週にある。

テレビで、昔の歌をやっていた。

全部、同じ速さで、同じ声で言う。

こちらは、聞きながら、選んでいた。

大根と柿は、聞かなくていい。

腰と病院は、聞く。

そう決めて、聞いていた。

決めているのは、こちらだ。

母は、決めていない。

母は、大事なことから先に言う人ではなかった。

思い出した順に、出してくる。

思い出した順というのは、順番が無いのと同じだ。

順番が無いので、こちらが順番をつけた。

第二章 メモ

こちらは、電話のそばにメモを置いていた。

病院の日にちや、薬の名前を書くためだ。

大事なことだけ、書く。

書かなかったことは、覚えていない。

いま思い出せるのは、書いたほうだけだ。

大根がいくらだったかは、分からない。

柿の色も、分からない。

母が何と言ったのかも、分からない。

全部、聞こえてはいた。

聞こえていたが、通り過ぎていった。

聞き流すというのは、聞いていないことではない。

聞いてから、置かないことだ。

置かなければ、翌日には無い。

通り過ぎさせたのは、こちらだ。

電話の最後は、いつも同じだった。

じゃあね、と母が言う。

こちらも、じゃあね、と言う。

それで切れる。

二十年、その形だった。

途中で、こちらが言ったことがある。

用があるときだけでいいよ。

母は、そう、と言った。

言ったあとも、回数は変わらなかった。

変えなかったのは、たぶん、母に用が無かったからだ。

用が無いのに、かけてくる。

こちらは、それを、ひまだからだと思っていた。

第三章 最後の電話

母が死ぬ三日前にも、電話があった。

そのときは、入院していた。

病室からかけてきた。

声は、いつもと同じだった。

同じ速さで、同じ調子だ。

入院していても、声の調子は変わらなかった。

弱っている、という感じもしない。

あとから、それが分かりにくさだったと思った。

今日は暑い。

看護師さんが、よくしてくれる。

窓から、木が見える。

ごはんは、半分残した。

こちらは、その日も、選んで聞いた。

ごはんを残したことは、聞いた。

木のことは、聞き流した。

三日後に、死んだ。

葬式のあと、その電話を、何度も思い出した。

思い出せるのは、ごはんのことだけだ。

木が、どんな木だったのかは、分からない。

母は、それを言った。

言ったのに、こちらは受け取っていない。

病室の窓から見えた木は、いまも分からない。

看護師さんに聞けば、分かるかもしれない。

聞いていない。

聞いても、母がどう言ったかは、戻らない。

木の名前が分かるだけだ。

第四章 妹に聞いたこと

妹が一人いる。

遠い町にいる。

母の家からは、こちらのほうが近かった。

五十四だ。

妹にも、母は電話をかけていた。

同じくらいの回数だ。

四十九日のあとに、妹と話した。

妹が言った。

お母さんの電話、覚えてる。

こちらは、大事なところだけね、と言った。

妹は、少し黙った。

それから、こう言った。

私は、全部、同じだと思って聞いてた。

こちらは、それだと疲れないか、と聞いた。

妹は、疲れる、と言った。

でも、選ぶほうが、あとで困る、とも言った。

こちらは、意味が分からなかった。

妹は、続けた。

お母さん、強く言うこと、なかったでしょう。

大根も、腰も、同じ声だったでしょう。

だから、どれが大事かは、こっちが決めるしかない。

私は、決めないで聞いてた。

妹は、そのあとで言った。

決めないで聞くと、疲れるよ。

疲れるけど、あとで全部、残ってる。

こちらは、何が残っているのかを聞いた。

妹は、こう答えた。

お母さんが、どういう順番で話したか。

順番に意味は無いんだけど、その無さが残ってる。

第五章 決めていたのは、こちらだった

妹の話を、その晩、考えた。

母の声には、力点が無かった。

どこも強くない。

どこも、先に聞いてくれ、と言わない。

全部、同じ圧で出てくる。

強く言う人の話は、こちらが選ばなくていい。

向こうが選んでくれているからだ。

母は、選んでくれなかった。

選んでくれないことを、こちらは、考えていないからだと思っていた。

考えていないのではない。

全部を同じに置く人だった。

それは、母が何も考えていないからではない。

母の言い方が、そうだった。

こちらは、その中から大事なものを選んで、残りを捨てていた。

選ぶ基準は、こちらの都合だ。

病院の予約は、こちらが動く用事だから聞く。

大根の値段は、こちらが動かないから聞かない。

つまり、こちらの用事があるかどうかで、選んでいた。

母の話の重さで選んでいたのではない。

母は、大根の話も、腰の話も、同じ重さで出していた。

重さをつけたのは、こちらだ。

そして、こちらがつけた重さのほうを、母の話だと思っていた。

二十年、母の話だと思っていたものは、こちらの要約だった。

要約は、要約した人のものだ。

母のものではない。

母の話は、要約の外にあった分のほうが、ずっと多い。

多いほうを、こちらは持っていない。

エピローグ

メモの紙は、まだ引き出しにある。

病院の日にちと、薬の名前だけが並んでいる。

二十年ぶんで、一冊にもならない。

母が話したことは、これの何倍もあったはずだ。

残っているのは、こちらが選んだ分だけだ。

選ばなかった分は、どこにも無い。

メモの紙を、去年、捨てようとした。

捨てられなかった。

捨てられないのは、これが残っている全部だからだ。

全部のつもりで持っているものが、ほんの一部だと分かっている。

分かっているが、これしか無い。

無いのは、母が言わなかったからではない。

言ったのに、書かなかったからだ。

妹に、去年の秋から、電話をするようにした。

月に一度くらいだ。

妹も、同じ調子で話す。

今日は寒い。

猫が、椅子から落ちた。

こちらは、それを、選ばないで聞いている。

選ばないで聞くと、長い。

長いが、切りたくならない。

切りたくならないのは、たぶん、どれも同じ圧だからだ。

同じ圧の話は、終わりがはっきりしない。

はっきりしないものを、人は軽いと思う。

軽いのではない。

どこも同じ、というだけだ。

はっきりしないので、こちらから切る理由も、出てこない。

母の電話も、そうだったのだと思う。

切る理由が出てこないので、長くなる。

長くなったのを、こちらは、ひまのせいにしていた。

ひまではなかったのかもしれない。

用が無いのに話す人は、用のかわりに何かを渡している。

渡していたものの名前は、いまも分からない。

分からないが、大根と柿の中に入っていた。

ソウルミッション358

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