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編み目

向きが変わったところが、別の面だったこと

編み目

朗読で聴く

第一章 母のセーター

六十四になった。

箪笥の、いちばん下の引き出しに、セーターが、二枚、入っている。

一枚は、母が、編んだものだ。

四十年以上、前のものだ。

もう一枚は、こちらが、編んだものだ。

母は、九十一だ。

四年前から、施設にいる。

編むことは、もう、できない。

こちらは、二十四のときに、母に、編み方を、教わった。

娘が、生まれる年だった。

娘のものを、自分で編みたいと、思った。

母は、台所で、教えてくれた。

一度だけだった。

一度で、できるようになった。

それから、四十年、編んでいる。

娘のものを編み、孫のものを編み、いまは、自分のものを編む。

毛糸は、いつも、同じ店で買う。

針も、教わったときのものを、使っている。

母は、若いころ、近所の人のものも、編んでいた。

頼まれて、編んでいた。

お金は、取らなかった。

毛糸だけ、持ってきてもらった。

母が編んだものは、この町に、まだ何枚か、残っているはずだ。

母は、早い人だった。

冬のあいだに、五枚も六枚も、編んだ。

こちらは、一冬に、一枚だ。

遅くても、かまわない。

急いで編む相手が、いない。

第二章 傾きが逆

春に、娘が、来た。

娘は、三十六だ。

引き出しから、二枚のセーターを、出した。

娘は、たたんだ二枚を、横に置いて、聞いた。

これ、どっちが、おばあちゃんの。

こちらは、すぐ、分かった。

右のほうだと、言った。

娘は、驚いた。

なんで、分かるの。

こちらは、二枚を、明るいところに、持っていった。

編み目を、指で、押さえた。

編み目は、細い山が、いくつも並んだ形だ。

その山が、少し、傾いている。

母のセーターは、山が、右に、倒れていた。

こちらのセーターは、山が、左に、倒れていた。

目の数は、同じだ。

毛糸の太さも、同じだ。

厚みも、同じだ。

暖かさも、たぶん、同じだ。

傾きだけが、逆だった。

娘は、二枚に、顔を近づけて、長く、見ていた。

娘は、言った。

おばあちゃんに、教わったのに、逆なんだね。

こちらは、うなずいた。

うなずいて、それから、黙った。

四十年、気づかなかった。

第三章 母の手

次の週、施設に、行った。

母は、窓のそばに、座っていた。

こちらの名前は、分かる。

娘の名前は、忘れている。

編んだことも、忘れていた。

セーターを、見せた。

母は、きれいだね、と言った。

自分が編んだものだと、分からない。

こちらは、毛糸と、針を、出した。

母の手に、持たせた。

母の手が、動いた。

覚えていない人の手が、編み始めた。

三つか、四つ、編んだ。

止まった。

こちらは、その手を、見ていた。

母の手は、こちらの手と、逆に、動いていた。

母は、右から、目を送る。

こちらは、左から、送る。

母は、こちらを、見た。

母は、言った。

そうかい。

何が、そうかい、なのかは、分からない。

母の手だけが、四十年前の向きで、動いた。

部屋には、四人いる。

だれも、話していない。

窓のそばだけ、明るい。

職員の人が、来て、言った。

お母さん、手が、きれいですね。

こちらは、うなずいた。

母の手は、節が太い。

左の親指の付け根が、盛り上がっている。

針を挟むところだ。

こちらの左の親指も、同じところが、盛り上がっている。

同じ形の手で、逆の向きに、動く。

帰るとき、母は、こちらの手を、握った。

握った手も、向きがあった。

母は、下から、握る。

こちらは、上から、握っていた。

第四章 向かい合っていた

帰りの電車で、二十四の年のことを、思い出した。

母は、台所の卓で、教えてくれた。

母は、こちらの正面に、座っていた。

向かい合って、座っていた。

母が、こうするのよ、と手を動かした。

こちらは、見たとおりに、手を動かした。

向かい合うと、相手の手は、鏡になる。

母の右は、こちらの左だ。

見たとおりに動かすと、逆になる。

その日、向きが、決まった。

母は、直さなかった。

直さなかったのは、なぜだろう。

母は、編めているかどうかだけを、見ていたのだと思う。

編めていた。

だから、何も、言わなかった。

逆でも、編める。

逆でも、暖かい。

四十年、母と同じものを編んでいると、思っていた。

編んでいたのは、鏡の側だった。

母は、着る人のために、編んでいた。

父のものと、こちらのものと、弟のものを、順に編んだ。

こちらは、娘のために、編み始めた。

途中から、そうではなくなった。

娘が家を出てからは、夜の時間を、埋めるために、編んだ。

量は、同じだ。

編み目の数は、数えられる。

数えられるものは、同じだった。

弟に、電話で、聞いてみた。

弟は、六十一だ。

母のセーターのことを、覚えているかと、聞いた。

弟は、覚えていた。

首のところが、きつかった、と言った。

こちらは、笑った。

弟は、言った。

姉さんの編んだのは、きつくないよ。

こちらは、聞いた。

着たことが、あったか。

弟は、言った。

十年前に、もらった。

毎年、着てる。

こちらは、知らなかった。

編んで、渡して、それで終わりにしていた。

渡したあとのことを、見ていなかった。

母は、渡したあとを、見ていたのだろう。

第五章 娘に教える

夏に、娘が、また来た。

娘は、言った。

私も、編んでみようかな。

こちらは、うれしかった。

それから、考えた。

どこに座るかを、考えた。

向かい合って教えると、娘の向きは、こちらの逆になる。

それは、母の向きだ。

横に並んで教えると、娘の向きは、こちらと同じになる。

こちらは、娘に、聞いた。

どっちがいい。

娘は、意味が、分からない。

こちらは、二枚のセーターを、また出した。

説明した。

娘は、聞いてから、言った。

じゃあ、向かい合ってでいい。

こちらは、なぜ、と聞いた。

娘は、言った。

おばあちゃんと、同じ向きになるんでしょ。

こちらは、何も、言えなかった。

娘は、言った。

どっちも、同じくらい、あったかいんだから。

秋に、娘は、向かい合って、座った。

こちらは、こうするのよ、と手を動かした。

娘は、見たとおりに、動かした。

娘の手は、母の向きに、なった。

三代で、向きが、二つになった。

エピローグ

二枚のセーターは、同じ引き出しに、入っている。

並べて、入れている。

一度、母の向きに、直そうとしたことがある。

十年ほど前だ。

三日で、手が、戻った。

手は、もう、別の面になっていた。

直せなかったことを、長く、恥じていた。

いまは、恥じていない。

二枚は、同じ引き出しの中で、別の面をしている。

どちらも、山が並んでいて、どちらも、暖かい。

明るいところに置くと、傾きだけが、違う。

変わり目は、どこかと考える。

編み始めた日では、ない。

母が死ぬ日でも、ない。

二十四の、あの台所だ。

母が、正面に、座った。

正面に座ると、鏡になる。

鏡になると、向きが、逆になる。

それだけのことで、四十年の面が、二つに、分かれた。

母に、言いたいことは、もう、ない。

母の手は、覚えている。

こちらの手も、覚えている。

二つの手が、逆の向きで、同じものを、編んできた。

娘の手は、母の向きになる。

こちらの向きは、こちらで、終わる。

終わっても、一枚は、引き出しに、残る。

ソウルミッション358

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